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21.言葉だけで


 王配はアンドレイの部屋から出て女王が待つ寝室に向かった。

 祖父に勧められるがまま大量の酒を飲んでしまったので、流石に顔が熱くなっている。


 寝室に着いたら当然の事ながら灯りは消えていた。

 女王は先に寝たようだった。



「エレオノーラ…」



 本当に小さな声で囁くように呼びかけた。

 女王からは寝息が聞こえているので応答はなかった。


 王配は女王を起こさないように、静かにそっと女王の隣に横になった。

 そして優しく抱き寄せ、彼女の耳元に口を寄せた。



「愛し……」



 王配は女王に愛していると言おうとしたが、恥ずかしくて出来なかった。

 彼女が寝ている時にも関わらず出来なかった。

 王配がため息をつくと腕の中の女王がもぞもぞと動いた。



「アレクセイ…アリョーシャ……」



 小さな声で名前を呼ばれた王配は心臓がドキリとした。

 女王は王配にくっついてきた。

 どうやら寝ぼけているようだった。

 王配がどうしたらいいのか困っていると、女王は王配の胸板に顔を埋めた。



「どうした…?」



 話しかけても寝息が聞こえてくるだけだったので、寝言を言っただけのようだ。

 王配の夢でも見ていたのだろうか。

 そうだとしたらとても嬉しい。



「俺の愛しい人…」



 王配は大きな手で女王の髪を優しく撫でた。

 この絹糸のような美しい髪は、彼女の侍女達がいつも念入りに手入れしている。



「うふふ……」



 女王は笑ったがこれも寝言のようだ。

 女王が王配の寝間着を掴んできたので、王配は身動きが取れなくなった。

 無理に動いたら彼女が起きてしまう。

 王配は固まっているしかなかった。




 翌朝、いい夢を見られてご機嫌の女王がいた。

 対する王配は少々体が痛かった。

 彼が肩を回していると女王に話しかけられた。



「アレクセイどうしたの?」

「ちょっと肩が痛くて…」

「え、訓練で痛めたの?」



 今さっきまでご機嫌だった女王は、まるで自分が痛めたかのような辛そうな表情をした。



「…訓練みたいな物でだな」



 王配はじっと耐えていた。

 昨晩はわりとすぐに解放されたが、緊張した状態だったので体が痛くなってしまった。



「訓練の他にも何かしているの?ちゃんと休まないと」

「ああ、そうだな。分かった。だが、エレオノーラもちゃんと休んでくれ」

「私はあんまり仕事が出来ていないから、もっと仕事をしないといけないと思うの」



 女王は下を向いてしまった。

 王配からは表情が見えないが、さっきと同じように辛い顔をしているのだろう。



「そんな事はないさ。祖父上が来る途中で、降灰対策の歌を聴いたと言っていた。エレオノーラの仕事はちゃんと広がっている。どうしてそこまで自分を追い込むんだ?」

「アレクセイ…」



 女王は言ってくれなかった。


 女王は言えなかった。

 自分の存在が疑われている。

 自分はもう死んだと思われている。

 自分の名前だけ使われている。

 自分は実体のない幽霊なんじゃないかと思い始めている。


 王配は何も言えない女王を抱きしめた。



「言ってくれるまで、ずっとこうしていようかな」



 王配は女王を抱きしめたまま長椅子に座った。



「アレクセイ…あの…」

「俺は悩みを抱えている妻の役に立てなくて不甲斐なさを感じている」

「そんな!アレクセイはいつも私の事を考えてくれているわ。これは私が解決しないといけない事だから…。だから…」



 女王の声は小さくなっていくと同時に、少し震えていた。

 彼女の顔もだんだん俯いていった。



「だから言えない?」

「自分で解決したいの…。私が悩んでいるせいで、アレクセイまで悩ませてしまってごめんなさい」

「いつでも力になるから言ってくれ。無理はしないでほしい」



 王配は優しく包み込むように言った。



「ええ、ありがとう。本当にアレクセイのおかげで少し吹っ切れた気がするわ」



 女王は顔を上げて微笑んだ。

 声も弱々しくなくハリがある。



「そうか。では、お礼にエレオノーラから口吸いをしてくれないか?」

「え?…ええ、分かったわ」



 女王は王配に言われるがままに互いの唇と唇を合わせた。

 ちゅ、と短く音がした。



「ふぅ…では俺から励ましの口吸いを……」



 王配は真顔で言った。

 なので女王は王配が言った言葉を理解するまで時間がかかってしまった。



「…え?」



 女王は戸惑った隙に王配が動いた。

 王配は先ほど女王がした物よりも濃厚な口吸いをした。

 より長く、より甘く。

 しばらくして唇を離し、王配が頬を赤くして言った。



「愛しているよ、エレオノーラ」




「殿下…陛下に何をされたのでしょうか…」



 王配は宰相から睨まれた。

 じとりとした睨み方だった。



「何って恋人や夫婦がするやつだ」

「昨日も軍の訓練に参加されたそうですが、それでも発散出来ないとは…」



 最近、宰相は遠慮なく発言してくるようになった気がする。

 王配は冷や汗が出た。



「誤解だ。俺はただ…ただ…妻に愛の言葉を伝えただけだ」

「それだけで陛下の様子がおかしくなるのですか?」



 王配が女王に愛していると言ったら、明らかに挙動がおかしくなったのだ。

 言われ慣れない言葉を聞いて照れているようだ。



「ああ、そうだ」



 宰相はそれだけと言うが王配にとっては大きな事だった。



「お二人は普段から大変仲がよろしいと思っていたのですが、愛の言葉だけであのような様子になるのでしょうかね」

「…なったようだ」

「普段から王配殿下が陛下に伝えてらっしゃらないから、今日のような事態になったと判断してよろしいでしょうか」

「うっ…昨晩、祖父上に言われたので実行してみたら…こうなった……」



 宰相に長いため息をつかれた。




 女王は今朝王配から言われた言葉を思い出しては慌て、落ち着いたと思ったらまた慌てるのを繰り返していた。

 侍女達はそんな女王の様子をはじめは心配していたが、女王が照れているだけだと分かり微笑ましく思った。



(夢で言われた言葉を現実でも言われるなんて!)



 女王は嬉しくてたまらなかった。

 王配の声と顔が出てきて、女王はまた照れて笑った。

 今日、何回目かは誰も分からない。



(アレクセイ、今日は一段と格好良かったわ!なんだかキラキラしてたわ!)



 女王は書類に署名しながらまた思い出していた。

 署名は手慣れた物でスラスラと書ける。

 心なしか、いつもより署名が軽やかに見える。



「中継地点が決まって、旗を全領に送ったのね…」



 女王はサラサラと署名した。

 鼻歌でも歌い出しそうなくらいご機嫌だった。



(何を悩んでいたのかしら?まわりを気にしたら萎縮して余計に駄目になっちゃうのに…)



 女王は書類に目を通し、署名を続けた。

 たまによく分からない書類があると大臣か宰相を呼んで詳細を聞く。

 違う書類が紛れていたりもするので気を付けて署名をしている。



(皆さんだって間違えちゃったりするものね。誰かが気付いて正せればいいのよ。私にはアレクセイがいる。宰相だって、将軍だって、皆さんもいる。…私の存在自体が疑われたって、私がいる事には変わりないわ。…だけれど、国民の中に私が本当にいるのか不安に思っている人がいるのよね。どうしようかしら?)



 女王の手が止まったので、侍女達が声をかけた。

 先ほどまでの照れた様子ではなかったからだ。



「陛下、いかがなされましたか?」

「手首を痛められましたか?すぐに冷やす物を用意いたします」

「ええ、ありがとう」



 ダニエラとアンナだった。

 普段だったら若い侍女の指導を行っているが、今日は女王の様子がおかしかったので、二人が来たのだった。

 アンナから濡らした布を渡されて、利き手である右の手首を冷やした。

 激しく痛かったわけではないが、僅かに違和感があったので大事にならないように休憩する。

 考え込んでいて署名を間違えてしまったら、書類を作り直したりと面倒が起きるからでもある。

 幸い、まだそのような事態は発生していない。



「アンドレイ殿は面白い方ね。趣味のお話も沢山聞けたわ。釣りをなさるそうよ。川とか湖とか海とか色んな場所で釣るんですって。ご自分で魚を捌けるそうよ」

「湖や海ですと船に乗られるのでしょうか?」

「ええ、そうみたいよ。私だったら船酔いしちゃいそうだわ」



 幼少期に乗った馬車ではほとんど寝ていたので乗り物酔いはなかったと女王は記憶している。



「ご自分で捌くのならば調理もなさるのでしょうか?」

「塩を振って焼くだけとおっしゃっていたけど、釣ったばかりだったらそれだけで美味しそうね」



 女王は海の魚は食べたことないな、と思った。



「船もご自身で舵を取るそうよ。川に釣りに行くのも山を登るとか…」

「渓流釣りでしょうかね?」

「そうなのかしらね?山登りで様々な生き物に出会って興味を抱かれたんですって。世界をまわったら本当に色とりどりの生き物達がいたそうよ。あ、そう言えば貝殻や虫で物を装飾する国があるって本で読んだわね…」

「貝だと真珠が採れますけど、貝殻ですか?」

「貝殻自体をネックレスにしているのは見た事がありますけど、貝殻を使用してですか?」

「内側を使うそうだけど…、漆も使うみたいね。どちらもうちの国にはないから作れないわね」



 貝はなくはないが、小さな貝しかない。


 物珍しい工芸品があれば他国に売り出せるが、ケレース王国にはそれらしい物はない。

 ないというより、廃れたといった方がいいだろう。

 簒奪者が娯楽を禁じたので工芸品もなくなってしまったのだ。



「蚕もどうなるか分かりませんからね」

「卵は保存出来るから、仮に被害を受けても規模を縮小して再開すれば大丈夫よ」



 桑の木が残ればなんとかなるだろう。



「先ほどの虫を利用して物を装飾するのは一体なんの虫でしょうか?」

「玉虫っていう綺麗な羽の虫がいるそうよ。虫がなんだか可哀想な気がするから止めた方がいいわね」

「乱獲が起きるのも、飼育していたのが脱走してしまい大繁殖するのも嫌ですものね」

「大量発生………」



 女王は想像して後悔した。




 普段からきちんと言葉にしないと、ですね。

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