20.悩み事
女王も王配も悩みだらけです。
「アレクセイの顔の痣が完全に消えるまで、もう少し時間がかかりそうね」
女王はじぃっと王配の顔を見ている。
王配が顔に怪我をしてから必ず朝と晩に彼の顔を至近距離で見つめるようになった。
「そんなにすぐには消えないだろう…。エレオノーラ、一つ聞いてもいいか?」
「何かしら?」
女王は顔を離して王配の目元を見つめた。
「何かあったか?」
王配は真剣な目つきで女王を見た。
女王の目に王配が映った。
王配の目にも女王が映っている。
「何かって?」
「嫌な事だ。最近辛そうな顔をしたりするから気になって…」
「これから何が起こるか分からないでしょう?それでよ…」
これは本当だろうが、まだ何か隠していると王配は直感で思った。
「本当か?」
「ええ、本当よ」
女王は微笑んだが、どこか作り笑顔のような気がした。
「…そうか。何かあったらすぐに言ってほしい」
「アレクセイも何かあったら言ってね。訓練は大変じゃないの?訓練に参加するようになってから、なんだか辛そうで……。あんまり辛いのなら将軍に頼んで止めてもらうわよ?」
「いや、大丈夫だ。久しぶりだったから体が鈍っているのかもな」
今すぐ止めたいのに、心にもない事を言ってしまったと王配は後悔した。
「いつも疲れているようだから心配だったのだけど、大丈夫なのね?」
「ああ、怪我した箇所は痛いが、それ以外は至って健康だ」
「気を付けてね。私はこれ以上アレクセイが…皆さんが傷つくのは嫌なの……。それが例え訓練だとしても、怖くて…」
女王は俯き、少し震えていた。
本当に怯えているようだった。
「エレオノーラ…」
「仕方ないのは分かっているつもりなのだけど、やっぱり恐怖の方が勝ってしまうの。…駄目よね。こんな弱い王様なんて…」
女王は両手を握りしめた。
衣類も巻き込んで握っているので、皺になっている。
「誰かが傷ついて欲しい王様なんて、人間なんて、その方がおかしいだろ?そんなの間違ってる」
王配は女王を抱きしめ、背中を撫でた。
「ええ…そうよね…。そうだけど、もう少し強い人間になりたいの」
女王は王配の胸板に顔を寄せる。
王配は女王の背中をなで続ける。
「痛みに鈍感になってしまうのはよくない。痛いなら痛いと言って良いんだ」
「鈍感…慣れてしまうということ?」
「そうだな。俺もあれこれ言われたり、やられたりして耐えてきた。それが美徳とすら言われた。それでだんだん麻痺していって…」
「麻痺…」
「それで…。その時、エレオノーラに会ったんだ」
「私に?塔に助けに来てくれた時?」
女王は顔を上げて王配を見た。
「ああ、そうだ。エレオノーラに出会えたから、俺は心の痛みを思い出せたんだ」
王配は女王を見つめ返して笑った。
「弱くなってしまわなかった?」
「誰が人の痛みが分からない人間の側にいたいと思うんだ?」
「側に…」
「ああ、どんなに有能だろうと人の気持ちを考えられないような奴の側にはいたくないだろう?」
「それも、そうね…」
「出来る奴の中には自分を基準にして出来ない奴を責めたりする。無能だ怠け者だなんだと言ったりな。もちろん有能な人でも人の痛みを汲み取ってくれる人もいる」
「先生や将軍がそうだわ」
女王は目を細めて笑った。
これは自然な表情だ。
「ああ、俺もそう思う」
王配も自然と笑顔になった。
「無理して強くなろうとしなくてもいいのね」
「そんなのすぐに疲れる。自分を偽るのはとても疲れる。無理に変わろうとしなくていい」
「ありがとう。アレクセイ…。もう少しこうしていたいけど、お祖父様のお部屋に行かなくていいの?」
「ああ、そうだった。少し話したら戻って来るよ」
王配は女王の頬に手を添えると、彼女の顔は少し赤くなった。
「久しぶりに会ったのだからゆっくりお話してきて。その方がお祖父様もとても嬉しいと思うの」
「ありがとう、エレオノーラ。一緒に来てくれたら祖父上はもっと喜ぶと思うぞ?」
「私は疲れてしまったからもう眠るわね。お祖父様によろしく伝えて」
「わかった。おやすみエレオノーラ」
王配は女王と口吸いをして寝室から出て行った。
女王は王配の背中を見送った。
(事実を言えなかったわ…。私の存在自体を疑われているらしいだなんて…。小説と一緒ね)
女王は引き出しから読みかけの恋愛小説を取り出した。
あの日以来読んでいない。
当時と現在の自分の事を照らし合わせてしまい、続きを読めないままになっているのだ。
(今日はもう寝ましょう…)
女王は本を元の位置に戻し、寝台に向かった。
その足取りは重い。
寝台に横になっても不安ばかりが浮かんできて、頭の中をいっぱいにした。
窒息しそうになった。
本当は王配に隣にいて欲しかった。
彼がいれば大丈夫だと言い聞かせられるし、実際大丈夫だった。
どんな出来事も乗り越えられる。
(依存しちゃ駄目なのに…。アレクセイの負担になりたくないのに…。心配かけたくないのに…)
女王は自己嫌悪に陥りそうだった。
眠れないなら起きようと思い、女王は上体を起こした。
(…気持ちを切り替えるために、お裁縫しようかしら?)
下手くそながら、色々と作れるようになった。
最近は帽子とマスクが一緒になった物を縫っている。
一つ目は練習用に女王自身の物を作った。
今は王配用の物を作っている。
彼が寝ている間にこっそり寸法を測ったのだ。
(隙間がないように…しっかり縫わなくちゃ…)
「祖父上、こんばんは」
「おおっ!来てくれたか!」
王配は祖父アンドレイの部屋に行った。
元国王が泊まる部屋なので一番豪華な部屋だ。
アンドレイは酒を飲んでいた。
樽と瓶でいくつか持って来たようで、官吏や兵士の食堂で配ったら大変喜ばれた。
「はい。飲む量減りましたね」
「お前を待っていたんだろう!人を年寄り扱いしおって」
アンドレイはムッとした表情になった。
眉間の皺がより濃くなっている。
「もうすぐ曾祖父になる人の台詞ですかね」
周囲に迷惑にならない程度に二人は笑った。
「エレオノーラ女王は就寝したのか?」
アンドレイは王配の分の酒をグラスに注いだ。
琥珀色の酒だ。
良い匂いが広がっていった。
「ええ、疲れているとか」
王配は酒を口に入れて一口飲んだ。
「お前が疲れさせているのではないだろうなぁ?」
「…ここ最近は大丈夫です」
アンドレイはぐいっと飲み、王配は飲まずに両手で持ったグラスを見つめた。
「訓練に付き合わされているそうじゃないか。そこで体力を消耗させて、か…」
「ははは……」
友人だけでなく、祖父にまで知られた。
王配は力なく笑うしかなかった。
「私も似たような経験がある…と言っても毎日はやめてくれと言われただけだ」
「ははは…」
「お前の兄は何ヶ月も手を出さなかったそうだ。兄弟でこんなに違うとはな」
「それは父上や他の叔父上達でもあるでしょう」
王配がそういうと、アンドレイの表情が若干険しくなった。
怒っているのではないようだ。
「どうしました?」
「はぁ、それがだなぁ…。イワンが結婚するかもしれないとの噂を聞いてな…」
王配は驚きのあまり、言葉を失った。
口をパクパクさせて漸く言葉を発する事が出来た。
「お、叔父上が?ですか?あの、誰それ構わず、年上や未亡人と聞くといなや話しかける人が?」
「ああ、相手も未亡人らしい…」
「本当にぶれない人ですね…。どこで知り合ったのでしょうか」
「…噂だから本当かどうか分からないが、墓地らしい…」
「まさか旦那の墓の前で?」
「かもしれん」
王配はまた驚いた。
アンドレイはグラスの中身を飲み干した。
それを見た王配も祖父と同じように飲み干した。
「どんな方ですか?誰の妻だった方ですか?」
「年はイワンと同じくらいだそうだ」
王配は次々と驚きの情報を聞いてしまった。
口をあんぐりと開けて祖父から話を聞き続けるしかなかった。
「…つまみも食べろ」
「あ、はい。チーズ頂きます」
王配は山羊の乳から作ったチーズを食べた。
「…モコシュではマスクや手袋、帽子を量産し始めたそうだ」
「うちの国はモコシュから作物を覆う布を注文していますが、他の国は距離の関係で頼んでいないようです。手袋は売れるのでしょうか?」
「清掃作業がそんなに早く片付くとは思えないからそれを狙っているのではないかな。何なら第一便は少量ながらもう出たそうだ」
「流石、仕事が早い…」
王配ははとこの仕事の早さに驚嘆した。
「あのデザイナーのところでも作っているらしいぞ。いつもはもっと複雑な服をを作っているから手袋なんてお手の物だろう」
手袋だけにと言い、アンドレイは笑った。
「あの人はやり手ですからね。動くのが早い」
デザイナーは自分だけが得するようなやり方はしない。
実際、裕福でないケレース王国の女王と王配のためにほぼ無償で衣装を作った。
しかし、二人が大流行中の芝居の元になった人物達であるのを上手く利用して、商品を売り出している。
「うちの国にも何か出来たらと思うのですが、なかなかいい案が浮かびません」
「降灰対策用の歌を作って全領に広めているそうじゃないか。来る途中で耳にしたぞ」
「エレオノーラの指示ですよ。俺じゃないです」
王配は苦笑した。
王配は楽団員と劇団員を見て陳情に来たのかと思った。
事態が収まるまで彼らの活動を休止させると思っていたからだ。
「別にいいだろう。女王の案だって…。自分の手柄が欲しいのか?」
アンドレイは片方の眉を上げながら王配を見た。
孫の様子を窺っているようだ。
「まさか。誰の発案でもいいんです。しかし、俺がいて何か役に立てているのか心配なんです。俺がやっているのセマルグルに支援を呼びかけるぐらいなので…」
「使える物は使っておけ。もらえる物は病気以外もらっておけ。昼間は散々私にけしかけた癖に随分と弱気だな」
「ええ、実は先ほどエレオノーラと話をした際に彼女が少々弱気になっていたのです。俺が彼女を支えられていないのではと考えてしまいました」
「生まれ持った性格なのか、幽閉されていた期間に形成されてしまったものかは分からないが…」
アンドレイは机にグラスを置いた。
そして王配を真っ直ぐ見た。
「その性格を無理に変える必要はない。というか変えられない」
「ええ、もちろん分かっています。彼女にも言いました」
「女王はとても強い心を持っているのは間違いはない。お前はその目で見たんだろう?女王でなくても、女性は正念場になると別人のようになる。決める所できちんと決められればいいんだ。んで、アレクセイが上手く支えられているかって?女王はお前しか見ていないだろう。依存とまでは言わないが頼りにしていると思うぞ」
「えっと、それは俺は彼女を支えられているのでしょうか?」
「愛していると言っておけ」
王配はえ、と言って固まった。
「ちゃんと言葉にしないといけない」
「……」
「もしや言わなくても分かっていると思っているのか?」
「それは…はい、ちゃんと言います」
王配は何のためにと聞き返そうとしたが、アンドレイに睨まれてしまったので止めた。
長い間、祖母と寄り添ってきた祖父に言われると言葉の重みが違った。
「まだ結婚して一年経っていないのに課題を見つけたのか。お前らしいといえばらしいな」
「どういう意味でしょう?」
王配はやや前のめりになった。
「意識していないだろうが、いつもまわりの目を気にしているだろう。常に兄と比較されていたからな。高官や高位貴族の中ではお前を危険視する者もいた」
「何故です?」
「お前は軍部で人気があったんだ。セマルグルに残り、イワンと共に軍の幹部になっていたら軍の力が強くなりすぎる可能性があった」
「ほう…」
「冗談めかして王に推す者もいた」
「まさか…俺はずっと国や兄上のために働こうと思っていたのに」
王配は幼い時に自分自身でそう決めた。
それが自分の役目だと強く思ったのだ。
「なので司令官をするようにと言われた時は驚きました。人の上に立つなど…なんの経験もなかったのに…」
「ふふ、良い経験になっただろう?良い出会いもあった。私も芝居を見たぞ」
アンドレイはニンマリと笑った。
祖父の表情を見た王配は苦い顔をする。
「あれは…脚色に脚色を重ねていますから…。恋敵なんていませんでしたからね?」
王配は芝居は見ていないが、書いた本人や観劇した人達から内容を聞いて知っている。
「ははは!いたらそいつは今頃生きていないだろう。今まで何の執着…いや愛着にしておこう。が、なかった者が一つにのめり込んだ時が怖い」
「……」
王配は否定出来ず、奥歯を噛んだ。
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