16.歌
王配は風呂上がりに、鏡を見ながら切れた唇に薬を塗っていた。
彼は軍人をしていたので、大体の事は自分でする。
「顔も冷やしたら?」
女王は痛々しい怪我を負った王配を心配している。
王配の左頬は真っ赤に腫れ上がっていた。
「これくらい平気だろう。骨も折れてなさそうだし…」
そう言いつつ、鏡で顔を確認している。
王配はこんなに腫れたのは久しぶりだと思った。
「…骨折した事あるの?」
女王は自分が怪我をしたかのように痛そうな顔をした。
「骨折はないな。訓練中に転んで手をついたらヒビが入った経験ならある」
王配が右手を見せてきた。
女王はその右手をじっと見つめ、異常がないか確認した。
「今は痛くないの?」
「ああ、平気だ。今は顔が一番痛いな」
「体は?」
女王は大胆にも王配の寝間着をめくった。
流石に王配も驚いてしまったが、女王は気にせず顔を近づけ打撲の痕を見ている。
王配の鍛え抜かれた肉体に女王の吐息がかかる。
「…エレオノーラ」
王配はくすぐったかったようだ。
「やっぱり痛いの?」
女王は心配だった。
誰かが傷つくのはもう見たくないのだ。
「こんなのエレオノーラに会う前にも沢山経験している」
「訓練で?」
「ああ。殴ったり蹴ったり、投げたり捻ったりな。剣や槍で切り傷も作ったりもした」
女王は王配の寝間着をめくるのを止めた。
そして今度は王配の寝間着の左袖をめくった。
逞しい腕があらわになった。
「ここね!」
王配の上腕には切り傷の痕があるのだ。
「ああ…」
王配は心配するなと言ったつもりだったが、女王はそうは取らなかったようだ。
「後は、ここね!」
女王は反対側の袖もめくった。
王配の前腕にも切り傷があった。
「それと――」
「そんなに俺の体にある傷跡を覚えたのか…」
「ええ、もちろん!妻として当然よ!」
女王は何やら自慢げに言った。
王配は女王を抱き寄せ、彼女の体温を確かめた。
「見逃している傷があるかもしれないから確認してみないか?」
翌朝、王配の顔の痣は少し赤紫色になっていた。
それを見た女王はおろおろとしている。
「これは痣が治る過程だ。そんなに気にしないでくれ」
「そうだけど…」
王配自身には痣は見えないが、女王には見えている。
顔なのでどうしても視界に入ってしまう。
見えてしまうと本人は気にしていないくても、見えている人からはどうしても気になってしまうのだ。
「…官にもぎょっとされるのかなぁ」
それは面倒臭いと王配は思った。
「あ、化粧で痣を隠せるんじゃない?私はこの間、目の下の隈を隠してもらったわよ」
「んー、じゃあ侍女に頼んでみるか」
二人で話していたら、ちょうど侍女達が女王の朝の準備ために寝室に来たので、王配は痣を隠すように頼んでみた。
すると一人の侍女が前に出て来た。
「殿下…、主人が無礼な振る舞いをいたしまして、なんとお詫びを言ったらいいのか…」
王配に怪我をさせたマクシムの妻のリンダが謝罪してきたのだ。
彼女はとても申し訳なさそうな顔をしていた。
「え、リンダが悪いのではないのだからそんな顔をしないでくれ。訓練は怪我がつきものだから気にしないでほしい。…マクシムの怪我はどうだった?俺より酷い怪我だったと思うのだが」
王配はマクシムに顔を殴られたので何発か殴り返した。
蹴りも脇腹に入れていた。
「はい。王城の医師に治療して頂いたのですが、大事ないとのことです。打撲と擦り傷だけでした」
「そうか…」
なんならもう一発殴っておけばよかっただろうかとチラリと思ったが、それは人間としてどうなのかと思ったのですぐに撤回した。
「顔に痣があるので店には立てませんが、元から無愛想ですから問題ないですよ」
リンダは笑顔になった。
「確かに客を相手にするのは難がある表情だよなぁ」
マクシムはほとんど笑わない。
笑ったとしても鼻で笑うか、誰が見ても分かる作り笑顔だ。
それは客へ対しても同じようだ。
「殿下、侍従が隣の部屋に来たので移動をお願いします」
「分かった」
王配は隣の部屋に移動した。
隣の部屋、もとい王配専用の寝室へは戸で繋がっていて移動出来る。
だが、王配はこの部屋で寝たことはなく、いつも女王と共に寝ている。
王配の着替えはこの部屋で行っている。
侍従は女王が着替えている時に寝室に入れないからだ。
女王と王配は昼過ぎにある部屋に行った。
そこには楽団員と劇団員が並んで立っていた。
その前には大臣達高官が椅子に座っている。
楽団員はそれぞれ楽器を持っているようだ。
「なんだ?陳情か?」
着席してすぐに王配は女王にヒソヒソと話しかけた。
「え?何、陳情って?」
もちろん女王は意味を聞いたのではない。
「あれ?彼らの活動の場が減らされる恐れがあるからじゃないのか?」
「違うわよ。減らしたりしないわ」
女王は少し怒っていた。
せっかく再び集まってくれた人達の仕事を奪うはずがない。
「彼らにお願いしたのよ。今日はその原案を見せてもらうの」
「…何の原案か言ってもらえると助かる」
王配は最近、兵士達の訓練の手伝いと言う名の鍛錬ばかりしている。
他は自身が領主を務める中央領についての報告書の確認をするぐらいだ。
火山灰対策についてはセマルグル王国に支援を願う手紙を出し、現在は返事待ちなのでこれに関しては積極的に動いていない。
「火山灰の注意喚起や対策を歌にするように依頼したのよ。円盤に録音して全領で流してもらって、国民に覚えてもらおうと思ったの」
「はい、覚えやすい言葉や曲調にいたしました」
指揮者のクラウディオと脚本家兼演出家のディエゴがやって来た。
歌詞はディエゴ、曲はクラウディオにお願いした。
「そうか…それだったら子どもでも覚えられる」
王配には考えつかなかった。
女王は誰からも仕事を奪わないようにしたのだ。
「彼らには慰問先で今からやる曲をやってもらうの」
「題名は何にするんだ?」
「避難?命を守るために?とかかしら…。何も浮かばないわ」
「陛下、殿下、演奏を始めてもよろしいでしょうか」
「ええ、お願い」
指揮者が指揮を振ると前奏が始まった。
そして歌手が歌いだした。
歌には降灰時は屋内にいるように、火山灰の清掃時は直接触らずにマスクと手袋とゴーグルをするように、長袖長ズボンに長靴で体を覆うように、子どもや老人は外に出ないように、とあった。
農作物には布をかけるか、取り払う時は風で吹き飛ばしたり、水で洗い流すようにするように、柔らかい布で拭くように、とあった。
「いかがでしたでしょうか?」
ディエゴが言った。
彼の後ろで楽団員が心配そうに見ている。
「よかったと思うけれど、旗にも言及した方がいいのかしら?」
女王が首を傾げながら言った。
曲調は覚えやすく、歌いやすい物になっていた。
歌に使われている言葉も、子どもが聞いても理解出来るように簡単な言葉を使っていた。
「赤と黒の旗が見えたら警戒しろか。冒頭に入れられるだろうか?」
王配も同意見のようだ。
「他にも入れたいですけど、これ以上長くしたら覚えられないでしょうか」
宰相は旗の他にももっと入れ込みたいようだ。
「河川の氾濫や土石流についても入れられたらなぁ」
「接近注意の看板を出すしかないのかしら?」
「予め河川の川底の堆積物を除去出来ればいいが…」
「そんな費用ひねり出せないわね…」
砂防堰堤と同じ理由だ。
時間もお金も人も足りない。
「あ、ごめんなさい。歌の話だったのに…。旗についても入れられたら良いと思うわ」
「王配殿下がおっしゃったように冒頭にねじ込んでみましょう」
クラウディオがそう言い、譜面をちらりと見た。
「ええ、いつまでになら出来るかしら?」
「明日までに間に合わせます」
「…そう、お願いね」
女王は無理して欲しくないが、一日でも早く広めたいと思うのも事実だ。
「ところで、劇団員は何しに来たんだ?」
王配は部屋の隅にいる劇団員を見ながら言った。
「ええ、慰問の時に彼らに清掃時の格好をして演技をさせようと思ったのです」
「彼らの格好を手本にすればいいのね。見て分かるのはいいわね。これから暑くなるから大変だと思うけど、水分と休憩をしっかりとってね」
「ありがとう存じます」
劇団員には宰相と農務省の役人から作物に付着した火山灰の除去の方法を詳しく説明された。
短い劇をやって農業従事者に説明するらしい。
それと一緒に清掃方法もやるらしい。
女王と王配は女王の執務室にやって来た。
二人は応接用の長椅子に隣同士で座っていた。
「これで農業被害は減らせるわよね…」
「と思うぞ」
あくまで何もしないよりかはだった。
どのくらい降灰するのか不明なので、なんとも言えない。
降灰中あるいは直後に雨が降るのが一番怖い。
乾いていたら風で舞い上がるのに、水を吸った火山灰は重くなる。
火山灰の量が多いと建物や作物が倒れてしまう恐れもあるのだ。
「集めた火山灰はどうするんだ?」
王配は降灰直後については話し合ってきたが、その後の話はしていないと気付いた。
「それなのよね…。なんでも火山灰と石灰でコンクリートとやらが出来るらしいのだけど、これを建材に使えたらいいと思うのよね」
「建材は欲しいな」
「なんでも海水に浸かるとより丈夫になるとか…」
「ははは、それをネタに海沿いの国に売りつけるか?」
「売りつけるとまではいかないけど、引き取ってもらうとか…?」
女王は王配の顔を見つめた。
彼女があまりに真剣な眼差しをしていたので王配は笑うのを止めた。
女王は王配に交渉しろと目で言っているのだ。
「…聞いてみるか」
王配は断るつもりはなかったが、女王の目力に負けた形に見えた。
王配は生まれ育った国に言ってみることにした。
「火山灰は水はけがいいらしいから、水はけが良い土地を好む植物を育てるのに良いらしいわ」
火山灰土壌は火山灰が風化して出来た土地だ。
なので新しい火山灰ではないようだ。
「んー、それらは国内で作っているのか?」
「大根やキャベツ、ネギね。それに柑橘類かしら?」
これらが育てられている土地は大昔に降り注いだ火山灰によるものだろう。
「どれも食事に出てきたな」
王配はこの国の料理に慣れてきたところだ。
と言っても特に好き嫌いはないので彼は大体の物は美味しく食べる。
「…あるいは畑の火山灰は除去しないとかかしらね」
「…そのままでは植物を育てられないだろう?」
女王は机に紙を置いて、何やら図を書き出した。
「火山灰ごと下の土まで掘って、出来た穴に火山灰を埋めるの」
「ああ、それで下にあった土を上に乗せるのか…。面白いな」
「天地返しと言うらしいわ。遠い国で大昔に実際に行われた方法よ」
「もしかして旅行記の国か?」
「ええ」
旅行記とは女王が王女時代に読んだ本の一つだ。
この旅行記は王配に貸しているので彼も読んでいる。
「かなり深く掘らないといけなさそうだな」
「一つの方法としてよ」
「何もないよりかは遥かに良いさ」
「陶磁器の釉薬に使用したとも書いてあったわ。後は磨き粉とか」
「そうか…」
女王は色々調べたようだった。
実用するかは別として、様々な例を知るのは良いことだろう。
にらめっこをしても王配は負けます。違う意味で笑ってしまうのです。




