24(中)
「来た来た」
手を振る坪井の声に促され、黒澤七海が会場となる公園の入り口に目を向けると、参加選手の群れに紛れて植松桜の長身がひょっこりと突き出て見えた。その桜の隣に、陸上部のジャージ姿にショートヘアの女の子がならんで歩いている。
向こうも黒澤七海たちに気がついたらしく、互いの声が届く距離まで近づいてきた時、ショートヘアの女の子がよっと軽く手を挙げて挨拶してきた。
「久し振りだねえ、黒澤。」
「お久し振りッス。吉岡先輩」
吉岡美南は傍まで近づくと、いきなり七海の頭をポンポンと軽く叩いてきた。
「相変わらずちっちゃいねえ。ああでも、中学の時は小学生みたいだったけど、高校になったら中学生くらいにはなったのかなあ」
「……1年ぶりの会話がそれすか。それに先輩だって言うほど背は高くないでしょ」
「黒澤、ギリギリ160センチでしょ?私、ギリ170以下だもん」
憮然とする七海をからかうと、初対面の田代や小松らと挨拶を交わし、出場チームで賑わう会場内を見渡した。出場するランナーたちは七海たちと同じように、芝生広場の空いたスペースにそれぞれテントを設営している。
「意外と参加者、多いんだね」
「今回、55組だそうですよ」
桜が田代学から受け取ったパンフレットを眺めながら言った。
「一人で参加する人も何人かいるけど、それでも四百人前後いるんだ」
酔狂だと言わんばかりに、桜が感心しながら呟いていると傍で聞いていた小倉が不満そうに言った。
「一人で済むなら、黒澤君が一人で走ればよかったんじゃないですかあ」
「この企画を提案したのは桜で、俺じゃねえつの」
「でも、取りまとめたのは黒澤君じゃないですかあ。部長も何か、言ってやってくださいよお」
「……そんなことは無いぞ。小倉楓」
針金のように痩せた体つきの写真部部長は、会場に到着してから、腕組みしたまま辺りを睥睨するように見渡している。そして、やにわに両手の親指と人指し指で四角形をつくると、四角形を賑わう他の参加選手らに合わせ覗き込むような仕草をした。
「レースを前に人々の談笑する光景、緊張する姿。写真部の題材には事欠かない。我々は何時いかなる時も写真部であることを忘れてはならない。わかるか小倉楓」
「はい、部長!」
今まで不満たらたらだった小倉は、部長の言葉に急に姿勢を正し、はきはきとした物言いに変わっている。
「うむ。では、カメラ機材も用意してきたろうな」
「申し訳ありません!重いので、家に置いてきました!」
「なんだとお!」
しかし、ご安心くださいと小倉は不敵な笑みを浮かべつつ、ポケットからスマートフォンを取り出した。
「ご覧ください。最近購入したスマホです。この高画質機能携帯があれば、鬼に金棒、我が軍勝利間違いなしです」
「よし、では行くぞ!」
「はい!」
言うなり、テンションの上がった2人は咆哮するように駆け出し、「あれだ」「こっちだ」などと写真撮影を指示しながら、人混みの中に消えていってしまった。
「写真部、頭おか……」
そこまで言い掛けて、さすがに言い過ぎだと気がついたのか、吉岡は口をつぐんでから小さく咳をして、明るい口調で言い直した。
「写真部、テンションたけーな」
「そうですね……」
しかし、返答したのは桜だけで、七海他は付き合い程度笑い声をあげただけだった。
小倉の実兄である田代学は、耳まで真っ赤にして黙々とテントを設営している。小倉に惚れているはずの坪井でさえも、難しい顔をして田代を手伝っている。
何となく気まずい空気が流れ、空気を変えようと吉岡は辺りをキョロキョロ見渡した。
「これで全員?」
「いや、俺の連れがそろそろ……」
七海が腕時計を見ながら言った。
「時間なんで、そろそろ迎えにいってきます」
予定の時刻になり、七海はチームから離れ、人気の多い公園の表側ではなく、人気の少ない裏側に向かった。
公園の裏側には広い三車線道路があるものの、駐車場のある表側と違って、人気が少ない。道路の向こう側は、倉庫や工場が建ち並ぶ工場地帯となっている。
人気が少ないといってもウォーミングアップ中の参加選手らしきランナーが、ちらほらと通りがかるので油断ができない。七海は一旦は通りに出てから周囲を窺って公園の木立の中に戻り、周りに人がいないのを確認して立ち止まった。
すると、七海の傍で目が眩むような金色の光が生まれ、強い風が周りの木々を揺らした。だが、それはまばたきひとつするほどの間だけで、光が消えるとそこにはキャップを被り、ジャージ姿にバッグをさげた相沢奈緒が立っていた。
「……おはよ」
「おう。今日はよろしくな」
「それにしても、こんな寂しい場所でゲストをお出迎え?」
「さすがに“空間転移”の魔法を、人前で見せるわけにもいかないだろ。行ったことない場所は、そこに知ってる奴がいないと使えないし」
「だから、この間も言ったけれど、七海君の家でいいじゃない」
「だからその時に言ったろ。土日は親父が休みなんだよ」
「だからさあ……。お父さんにもちゃんとご挨拶して、それから、私たちお付き合いしてますって伝えないと」
「……はいはい」
七海は呆れながら手を振ると、奈緒の荷物を手にとって先を歩き始めた。七海の行動があまりに自然な仕草だったので、奈緒は驚いて七海の背中を見つめていた。
――朝っぱらから、ときめきさせるな。
胸にわずかなうずきを感じる。ウォーミングアップもしていないのに、心臓の鼓動が既に速くなっていく。奈緒はとくとく落ち着かない胸をおさえた。
「なにやってんだ。早く来いよ」
「う、うん……」
奈緒は体温がたかくなるのを感じながら、七海のあとを追った。
※ ※ ※
「相沢……奈緒です」
黒澤七海から紹介を受け、よろしくと相沢奈緒が頭を下げて挨拶すると、小倉楓をはじめとした他のメンバーもそれぞれ挨拶をかえした。先ほどから目を丸くして奈緒を見ていた坪井は、へええと何やら感心した様子で首を振った。
「黒っちの噂の彼女かあ。前に植松さんが言ってた通り、美人だな。クールビューティて感じ」
「親戚だっつうの。それに外見ほどクールでもない」
――また、余計なことを。
きっと奈緒は七海を睨みつけるが、七海は素知らぬ顔をしている。そんな奈緒の横から、お久し振りぶりですと小倉楓が声を掛けてきた。
「相変わらず、黒澤君とはズブズブなんですかあ」
突然の発言に周りは一瞬にして凍りついたが、奈緒は小倉と最初に出会った時のやりとりを思い出し、にやりとほくそ笑んでみせた。
――仕返しだ。
「ズブズブどころか、もうグチュグチュでヌルヌルな関係よ」
「あらら、黒澤君もやりますわねえ。うふふ」
「ホントよ。会う度に参っちゃうわ。おほほ」
「……お前ら、何言ってんだよ」
小倉楓の突然の発言に、周りの空気が一瞬にして凍りついていた。先ほどは素知らぬ顔をしていた七海も表情が強ばり、アハハと無理して笑った声も乾いていた。
「お、小倉さん。急に、な、何を言いだすのかな」
「やだなあ、黒澤君。冗談じゃないですかあ。初めて相沢さんと会った時のこと、忘れたんですかあ」
頬をひくつかせる七海に、小倉は可笑しそうに笑ってみせる。
「そ、そんなこと言ったら、みんな誤解するだろ」
ねえと七海が振り返ると、田代や坪井といった男性陣は苦笑いしているだけだったが、吉岡美南と植松桜は、無表情で冷たい視線を七海に送っている。
「あの、吉岡先輩。冗談スよ。冗談」
「黒澤、あんたは変わっちまったんだなあ。もっと純な奴かと思ってたのに」
「……変態」
※ ※ ※
“えー、この24時間マラソンが開催されて、今回で9回となりました。次回は記念大会としまして……”
公園の芝生広場に設けられたステージ上で、運営委員長という、あまり運動には縁のなさそうな肥えた男が挨拶を述べている。
奈緒たちをはじめとした一行は、他のチームとともに壇上の前に集まり、運営委員長の話に耳を傾けていた。インターハイ等の大会と違って整列などせず、雑然とした感じで集まり、中には胡座をかいていたり、ジュース片手に話を聞く者、挨拶そっちのけで、ウォーミングアップに勤しむ者もいる。
――そんで、ウチのリーダーは……。
奈緒は後方を一瞥した。
その先には自陣のテントがあり、テントのなかで背を向けて横になっている黒澤七海の姿があった。
言い訳も空しく、吉岡と桜に詰られたのがよほどショックだったらしく、少し休むと言って、一人テントに残り横になっていた。
「……しょうがないわよね。あいつ」
奈緒の傍でささやくような声がし、振り向くと植松桜も同じように七海を眺めていた。
「冗談に決まっているのに、何をショック受けてんだか。ねえ?」
「……うん。そうね」
「あのさ。七海の親戚なんだって?私、七海とは小さい頃から付き合いあるんだけど、あなたのことは初耳だったから、ちょっと驚いちゃった」
来た。
幼馴染みの桜からの質問に、緊張を隠しながら奈緒は慎重に言葉を選んだ。
「お父さんの仕事の都合で、私たちも最近知り合ったばかりだから。七海君のことを、あなたほど知らないと思う。今日も父の用事と重なったから、来られたようなものだし。付き合いなんて、たまに電話があるくらいかな」
「そうか……。例えば私が七海の家によくお泊まりに行ったとか、いじめっこから助けてもらったとか、色々と聞いてない?」
ううんと奈緒は首を振った。
意外そうな表情をしろと、奈緒は自分に命令している。桜の目には、驚いている奈緒の顔が映っているはずだった。
植松桜が名家植松家の令嬢、愛人の子、いじめられっこ、世界で戦える格闘家、先生生徒から頼られる生徒会副会長、黒澤七海が想いを寄せる相手であること、だが婚約者がいることまで把握しているが、余計な知識を披露するより、無知を装った方が得策だろうと奈緒は判断していた。
「七海君からは、仲の良い幼馴染みぐらいしか聞いてないの。ごめんなさい」
「いいっていいって。気にしないでよ」
桜はそう言って手を振ったが、どこかほっとした顔つきになったのを奈緒は見逃さなかった。自分と七海の関係は、そこまで深くないと判断したのだと奈緒は思った。
“……以上をもって、ルール説明を終わります。長い戦いとなりますが、仲間と協力し、あるいは自分の体とも相談し、無事に完走してください”
ちょうど運営委員長のルール説明を含めた挨拶が終わると、まばらに拍手が起こり、それぞれチームごとに三々五々にわかれていった。
「さあて、長い戦いとなりますが、頑張りますかね」
奈緒の狙い通り、桜からの質問は上辺を撫でた程度で終わり、桜はウンと背伸びをしながら七海がいるテントに歩いていった。
――一応は誤魔化せたかな。
奈緒は小さくため息をつき、桜のあとに従って歩こうとした時だった。不意に桜が立ち止まって振り返った。
「あのさ、相沢さん」
「……なに?」
「もしかしたら、ちょっと協力してもらうことがあるかも」
「協力?」
うんと桜は頷いて、テントに視線を向けた。その瞳が、わずかに潤んで見えたのは陽の光のせいだろうか。桜が見つめる先には、まだふてくされて体育座りしている七海と、その隣に座って七海の頭をくしゃくしゃ撫でている吉岡の姿があった。
奈緒の目には、その光景は電線の上に止まって戯れている、小鳥のつがいのようにも思えた。




