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『記憶を喰らう暗殺者の冷徹な復讐劇』  作者: beck2026
第5章 帝国領内への偽装潜行と、帝都地下工廠の解体

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第95話 三重防壁の氷解と、黒鉄の工廠長

 荷揚げドックの冷たい静寂の中、ノアは足音もなく、巨大な三重防壁扉の前へと歩み寄った。


 地下三百メートルの実験炉心区画を外部と隔絶するその扉は、厚さ一メートルを超える高純度チタン魔導装甲板が三層に重なり合った、文字通りの動かぬ要塞であった。

 表面には、外部からの物理打撃や魔導熱線兵器を拡散・中和するための幾何学的な魔法陣が隙間なく刻まれ、中央の円形ハッチには三重の機械式シリンダー錠と、魔力紋照合スキャナーが冷酷に鎮座している。

 通常の手順であれば、帝都軍部総司令官と工廠長が保有する二本のマスターキーを同時に差し込み、さらに登録された高級将官の生体魔力波長を一致させなければ、一ミリたりとも動かすことは叶わない。

 無理に外郭を爆破しようと試みれば、隔壁内部に仕込まれた高圧自爆雷管が作動し、通路ごと侵入者を生き埋めにするよう設計されていた。


「……ノア様、扉の主幹配線は装甲の裏側を貫通しており、外部からの物理的ピッキングは不可能です。強行突破を試みれば、工廠全域に最高警戒警報が発令されます」

 アッシュが携帯型の魔導検流計を扉の継ぎ目に当て、眉をひそめながら低く告げた。


「力押しで開ける必要はない。システム側から自発的に開錠させる」

 ノアは冷淡に言い放ち、扉の右脇に設置された緊急保守用コンソールへと視線を向けた。


 レオポルト中将の脳細胞から引き抜いた帝都地下工廠の極秘設計図面――そこには、この三重防壁扉が単なる防壁ではなく、「炉心暴走時の圧力逃がし弁」としての安全機能を兼ね備えている事実が克明に記されていた。

 ノアの指先が、コンソールのカバーを音もなく外し、内部の魔導光ファイバーを露出させた。


「炉心区画に異常熱暴走、あるいは極限冷却異常が発生した際、内部の気圧差による爆縮を防ぐため、扉は『強制安全開放モード』へと移行する安全機構が存在する。……その認証に必要なのは、炉心そのものが発する固有の魔力波長だ」


 ノアは目を閉じ、心臓のアスター・コアへと意識を集中させた。

 ドクン……!

 胸郭の奥で、蒼白い冷気の核が静かに脈動する。

 扉の向こう、地下深層から漏れ出してくる古代兵器の心臓部――【始原の氷核】が放つ、絶対零度の固有周波数。

 ノアはその波長を自らのコアの冷気によって寸分の狂いもなく再現し、指先から露出した光ファイバーへと直接流し込んだ。


 ピピッ――ジジジジッ!

 コンソールのモニターが突如として青緑色に発光し、警告灯が点滅を始めた。

『エラーコード零七――炉心深層冷却ブロックより、未登録の絶対零度パルスを検知』

『内部臨界気圧の急上昇と誤認。……フェイルセーフ作動、隔壁開放シークエンスを開始します』


 ガコンッ! 重厚な油圧シリンダーが次々と引き抜かれる鈍い衝撃音が響いた。

 プシューッ、と隙間から氷のように冷たい圧縮空気が吹き出し、厚さ一メートルの巨大な三重装甲扉が、地響きを立てながらゆっくりと左右へとスライドしていった。

 警報ベルは一切鳴り響いていない。

 完全なる安全点検バイパスによる、完全無音の自動開錠であった。


「……開きました。信じられません、あれほど堅牢な防壁が、指一本触れずに……」

 リアが翡翠色の瞳を微かに見開き、感嘆の息を漏らす。


「感傷は不要だ。……入るぞ」

 ノアは外套を翻し、開かれた暗黒の回廊へと足を踏み入れた。



        ◇



 装甲扉の先は、地下数百メートルを垂直に貫く巨大な空洞であった。

 通路の縁から見下ろした光景に、アッシュとリアは思わず息を呑んだ。


 そこは、地上の喧騒から完全に隔絶された、帝国軍の暗黒の心臓部――『第三地下工廠・決戦兵器建造ドック』。

 フットボール場数面分に匹敵する広大なドーム状の空間には、無数の鉄骨トラスと巨大クレーンが縦横に張り巡らされ、眩いアーク溶接の青白い火花が四方八方で弾けていた。

 そして、その中央に鎮座していたのは、見上げるばかりの巨大な影であった。


 全高三十メートルを超える、漆黒の魔導装甲を纏った異形の人型兵器。

 かつてノアがアイゼンガルド要塞で破壊した決戦兵器【霧氷の巨神】――その設計をさらに発展・改良させた、新世代の戦略級魔導兵器であった。

 しかも、建造ドックに並んでいるのは一機だけではない。

 フレーム状態のものを含め、実に四機もの同型巨神が、整然と建造ラインの上に並べられていた。


「……量産型、霧氷の巨神……!」

 アッシュが歯を食いしばり、小声で呟いた。

「アイゼンガルドで失われたデータを回収し、帝都の地下でこれほどの規模の量産ラインを密かに稼働させていたとは……。こんなものが前線に四機も投入されれば、王国の防衛線など数日で灰燼に帰します」


「だが、まだ動かん」

 ノアは冷徹な眼差しのまま、巨神たちの胸部装甲の空洞を指差した。

「動力炉が空だ。……あの巨大な質量を駆動させるだけの超高密度エネルギー源は、大陸広しといえども一つしか存在しない」


 ノアの視線の先――建造ラインの最深部、ひときわ厳重に魔導結界で囲まれた高台の実験プラットフォーム。

 そこには、巨大な球状の耐圧ガラス隔壁が設置されており、その内部に青白く冷たく輝く、拳大の幾何学的な結晶が浮遊していた。

 古代遺産【始原の氷核】。

 ノアの胸元のアスター・コアが、激しい熱感と共鳴の拍動を上げ、自らの片割れを求めて激しく疼いていた。


「プラットフォーム上部に人影を確認。……豪奢な白衣を着た男が一名、護衛の魔導装甲兵が二名です」

 リアが双眼鏡を下ろし、身を屈めながら囁いた。


 高台の管制コンソールに立っていたのは、銀縁のモノクルを掛け、肥満気味の体に最高級の絹の白衣を纏った初老の男であった。

 第三地下工廠長にして、帝国最高峰の魔導技術者――ヘンドリック技師長。

 男は手元の書類を満足そうに眺めながら、咥えた葉巻から紫煙をくゆらせ、二名の護衛兵に向かって傲慢な笑みを浮かべていた。


「素晴らしい……実に素晴らしいぞ! レオポルト中将の二万五千が壊滅したと聞いた時は肝を冷やしたが、この量産型巨神の炉心チューニングさえ完了すれば、枢密院の連中も私にひれ伏すしかない! アスターの古代遺産から抽出したこの無限の冷気エネルギーがあれば、我が帝国は大陸全土を氷漬けにできるのだ!」


「その未来は訪れない」


 突如として背後から響いた、氷柱のように冷え切った青年の声。

「なっ――!?」

 ヘンドリック技師長が驚愕して振り返った瞬間には、すでに死神の刃が目前に迫っていた。


 ヒュンッ!

 リアの放った二本の極細ワイヤーが闇を切り裂き、護衛の魔導装甲兵二名の首元へと寸分の狂いもなく巻き付いた。

 装甲兵が魔導銃を構えようと腕を上げた瞬間、強烈な張力が炸裂し、二人の巨体は壁際へと引きずり倒され、頭部を鉄柱に強打して一瞬で意識を刈り取られた。


「ひ、ひぃぃぃっ!? き、貴様ら何者だ!? 警備兵! 憲兵隊を呼べぇ――!」

 ヘンドリックが泡を食って懐の緊急警報スイッチを押そうとした。


 カチリ。

 だが、その指先がスイッチに触れることはなかった。

 ヘンドリックの喉元に、いつの間にか音もなく肉薄していたノアの冷たい指先が、突き立てられていたからである。


「声帯を震わせた瞬間、首の頸動脈内の血液を絶対零度で凍結させる。……体積膨張によって貴様の脳動脈が一瞬で破裂するが、試してみるか?」

 ノアの蒼氷の双眸が、至近距離からヘンドリックの網膜を刺し貫いた。


「ヒッ……! あ、アスター……!? な、なぜ貴様が……ここに……!」

 ヘンドリックは顔面を蒼白にし、咥えていた葉巻を泥のように床へと落とした。

 男は知っていたのだ。かつて帝国が強奪したアスター家の血筋、そしてその心臓に埋め込まれた復讐のコアの存在を。


「貴様の脳を直接暴いて情報を接収してもよいが、それでは時間が二分ほど無駄になる。……始原の氷核の封印解除コードと、炉心ブロックのマスターキーを出せ」

 ノアの指先から放たれる微小な冷気が、ヘンドリックの皮膚をチリチリと凍てつかせていく。


「わ、分かった! 言う! 言うから命だけは――!」

 傲慢だった工廠長は、恐怖のあまり膝をガタガタと震わせながら、首から下げていた純金のマスターキーと暗号帳を差し出した。


 ノアはそれを無造作に奪い取ると、リアへ向けて短く命じた。

「リア、この男を縛り上げて気絶させろ。……アッシュ、巨神四機の炉心冷却ラインに過冷却パルスを仕掛けろ。氷核を回収すると同時に、この建造ドック全域を永久凍結で解体する」


「了解いたしました!」

 リアの当て身がヘンドリックの首筋にめり込み、工廠長は白目を剥いて床へと崩れ落ちた。


 ノアは振り返り、実験プラットフォームの中央で青白く脈動する【始原の氷核】を見据えた。

 十数年の歳月を経て、奪われた一族の心臓が、いま再びノアの掌の中へと戻ろうとしていた。

 復讐の演算は、いよいよ最終解の導出へと向かって加速していく。


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