第94話 深層の鉄蜘蛛と、零度の沈黙
ガタゴトと重低音を響かせ、特殊軍需貨物列車【第八〇四便】は漆黒の地下深層トンネルを猛烈な速度で疾走していた。
六両目貨車の内部は、外の喧騒を遮断した完全な密室であった。
天井の非常用ルーン灯がかすかに放つ淡い青緑色の燐光が、整然と積み上げられた頑丈な鉄製コンテナの輪郭を薄暗く浮かび上がらせている。
床に腰を下ろしたアッシュは、工具袋から取り出した精密やすりと魔導ドライバーを用い、自らの指先に装着された極細鋼線射出機の張力を微調整していた。
その隣では、リアが黒革鎧の留め金を点検し、予備の投擲用細針の一本一本に極低温麻痺毒が均一に塗布されているかを入念に確認している。
「到着まで、あと四十分だな」
ノアはコンテナの縁に片手を置き、心臓のアスター・コアの脈動を内省的に観察していた。
第4段階へと進化したコアは、先ほどの時速八十キロからの吸熱減速という過酷な負荷を経てもなお、極めて安定した冷却循環を維持していた。
だが、その冷気の奥底で、かつてない微細な共鳴が始まっていた。
胸郭の奥が、針で突かれたようにチリチリと熱を帯びる。
――帝都の地下深層。
そこにある古代兵器の心臓部【始原の氷核】が放つ固有の絶対零度波動を、ノアの体内のアスター・コアが本能的に感知し始めていた。
「ノア様、胸の具合は……?」
作業の手を止め、リアが心配そうに翡翠色の瞳を向けてきた。
その声音には、主君の微かな呼吸の乱れも見逃さない鋭敏な気遣いが滲んでいた。
「問題ない。……共鳴現象だ。かつて我が一族から強奪された心臓の片割れが、地下深くに確かに存在しているという物理的証拠に過ぎん」
ノアは冷淡に告げ、懐からオットーより託された第三工廠の搬入ドック見取り図を広げた。
「敵の迎撃態勢を再確認する。終着点である『帝都第三地下工廠荷揚げドック』は、地上から百五十メートルの深層に位置する帝国軍の巨大兵器製造施設だ。無人列車がホームに進入した瞬間、通常であれば自動仕分け用荷役ゴーレムと、哨戒用の自立歩行型兵器がコンテナの開錠作業に入る」
「自立歩行型兵器……通称【鉄蜘蛛】ですね」
アッシュが顔を上げ、険しい表情で頷いた。
「旧アイゼンガルド要塞で配備されていた重装甲警備ゴーレムの最新型です。胴体に高圧魔導プラズマカッターを内蔵し、八本の多脚で三次元的な跳躍を行う哨戒兵器。生体反応を感知すれば、問答無用で目標を溶断・焼却するようプログラムされています」
「ドック内に配備されている鉄蜘蛛の推計数は六機。さらにプラットフォーム上部には、自動装填式の広角魔導機銃座が二基。……列車が停車してから開錠が始まるまでの猶予は、わずか二十五秒だ」
ノアの指先が、見取り図の荷揚げプラットフォーム中央の集約配電盤をトンと叩いた。
「二十五秒の間に六機の鉄蜘蛛を無力化し、機銃座の火線制御ユニットを奪取する。……正面からの白兵戦は許可しない。ドック内の警報が一段階でも上がれば、工廠全域の隔壁が閉鎖され、始原の氷核が格納された最深部中枢へのアクセス経路が遮断されるからだ」
「承知いたしました。……騒音と破壊を最小限に抑える、無音の解体工作ですね」
リアが音もなく立ち上がり、短剣の柄に細い指を添えた。
その瞳には、すでに一切の迷いも躊躇も消え失せ、冷徹な暗殺者の光が宿っていた。
◇
キィィィィィィィィィィィッ……!
重厚な車輪が摩擦熱による甲高い悲鳴を上げ、巨大な貨物列車が減速を開始した。
暗闇だった車窓の隙間から、眩いばかりの魔導ナトリウム灯のオレンジ色の光が差し込んでくる。
天井の高い巨大なドーム状の荷揚げドック。
空気中には、熱せられた機械油とオゾンの焦げ臭い蒸気が充満していた。
プシューッ!
圧縮蒸気の排気音とともに、列車がプラットフォームへと完全停止した。
「列車停止を確認。……仕分けシークエンス開始まで、あと二十秒」
アッシュが懐中時計の針を見つめながら低く告げた。
カシャン、カシャン、カシャン……!
プラットフォームの暗がりから、不気味な金属軋み音を響かせて現れたのは、全幅三メートルに達する六脚の鋼鉄の異形――【鉄蜘蛛】であった。
黒光りする傾斜装甲の頭部には、赤く明滅する三対の複眼型魔導センサー。
胸部からは高圧プラズマの青白い火花がパチパチと弾け、獲物を解体するための油圧マニピュレータが威嚇するように開閉を繰り返している。
六機の鉄蜘蛛は規律正しい隊形を保ち、六両目貨車の搬入扉へと一斉に包囲網を狭めてきた。
「十秒前。……ノア様」
「行くぞ」
ノアの合図と同時に、貨車の天井ハッチが音もなく内側から開け放たれた。
三つの黒い影が、プラットフォーム上空十メートルの鉄骨トラスへと煙のように滑空する。
ピピッ!
鉄蜘蛛の複眼センサーが一瞬で反応し、侵入者を捉えようと首をもたげた。
だが、その機械知性が「侵入者」と認識して警報信号を中央演算器へ送信するよりも早く、冷酷な物理の法則が空間を支配した。
「相転移――【局所絶対零度格子】」
鉄骨梁の上から、ノアが両手を下方へ向けて鋭く薙ぎ払った。
パキィィィィィンッ!
大気中の水分が瞬時に氷晶へと相転移し、六機の鉄蜘蛛の多脚関節と駆動シリンダーへと、超高密度の極低温冷気が直接流し込まれた。
ギギギッ……!
時速百キロで動くはずの油圧シリンダー内部の作動油が一瞬で凍結・凝固し、鋼鉄のピストンが熱収縮によって完全固着する。
六機の鉄蜘蛛は、プラズマカッターを点火する間もなく、脚を硬直させたままその場に石像のように縫い止められた。
「今よ、アッシュ!」
リアのワイヤーが闇を裂いて奔った。
極細の鋼線が二基の天井魔導機銃の砲身へと巻き付き、強烈な張力で砲口を互いに噛み合わせるようにねじ曲げる。
その隙に、アッシュが猫のような身のこなしで中央集約配電盤の前へと滑り込んだ。
「配電盤の主幹ケーブルを補足。……ノア様から頂いた凍結パルスを流し込みます!」
アッシュが特殊絶縁ドライバーを端子に突き立てると、ノアの放った冷気が銅線を通じて制御盤の心臓部へと逆流した。
ジジッ、プツン。
警報回路の信号伝達素子が過冷却によって超伝導状態を起こし、論理ゲートが強制ショート。
中央管制室のモニターには『定期メンテナンスに伴う正常待機』のダミー信号が表示され、警報ベルは一切鳴り響くことなく、ドック全域の監視カメラと火線管制が完全に沈黙した。
静寂。
広大な荷揚げドックに響くのは、列車の魔導炉が冷えていくかすかな金属収縮音だけであった。
硬直した鉄蜘蛛の頭部から、赤いセンサー光が力なく消灯していく。
突入から制圧完了まで、わずか十八秒。
ノアの計算通りの完全な無音制圧であった。
「……周囲の生体反応、ゼロ。ドック内の防衛網の完全掌握を確認しました」
リアが周囲の警戒を解くことなく、短剣を逆手に構えて報告した。
「よくやった」
ノアは静かに床へと着地し、足元の鉄蜘蛛の装甲板を一瞥した。
そして視線を、ドックの最奥にそびえ立つ重厚な三重防壁扉へと向けた。
分厚い耐爆装甲扉の向こう側――地下三百メートルの暗黒の底から、冷たい、しかし激しい魔力の脈動が押し寄せてきている。
「この扉の先が、第三工廠の実験炉心区画……【始原の氷核】の保管エリアだ」
ノアの右手が、蒼白い燐光を宿して静かに持ち上がった。
復讐の終着点たる帝都の暗黒心臓部。
その最深部への扉が、いま開かれようとしていた。
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