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『記憶を喰らう暗殺者の冷徹な復讐劇』  作者: beck2026
第4章:【アスター領復興と、国境の防諜戦 編】

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第87話 王宮の暗雲と、ガイウスの賭け

 王都の夜は、息苦しいほどの緊張と冷たい静寂に包まれていた。

 前軍務卿派閥の頭目であったクロムウェル公爵の登庁停止処分、ならびに王室査問会による全資産の仮差し押さえが執行されて以来、貴族院の廷臣たちは互いの顔色を窺い合う疑心暗鬼の底に沈んでいた。


 王宮西翼、近衛騎士団副団長室。

 分厚い遮光カーテンが隙間なく閉め切られた薄暗い一室で、近衛副団長ガイウス卿は爪を噛みながら、絨毯の上を落ち着きなく行き来していた。

 卓上には、国境のアイゼンガルド要塞へ宛てた暗号通信符が、未送信のまま虚しく転がっている。


「……通信が途絶した。なぜだ! ヴァルター中将からの定時通信が四日前から完全に不通とは、一体現地で何が起きているのだ!」

 ガイウスは額に滲む冷汗を乱暴に拭った。


 アイゼンガルド要塞からの軍資金と、帝国軍侵攻の威嚇を背景に、近衛兵の半数を抱き込んで王宮枢密院を物理的に制圧する――それがクロムウェル公爵失脚後にガイウスが描いていた唯一の延命計画であった。

 だが、その頼みの綱である要塞からの応答が完全に消失した。


「このまま査問会がクロムウェルを徹底追及すれば、私の名前が露見するのも時間の問題だ……。待つ意味はない。今夜、手持ちの近衛第二中隊を動員し、強引に玉座を占拠するしかない……!」

 ガイウスが決意を固め、壁に掛けられた儀礼用軍刀を掴み取ろうとした、その刹那であった。


 カチリ、と。

 施錠されていたはずの執務室の重厚な防音扉が、何の前触れもなく外側から静かに押し開かれた。


「誰だ!? 合言葉はどうした!」

 ガイウスが電光石火の勢いで軍刀を抜き放ち、扉へと身構えた。


 だが、刃を振り上げるより早く、天井と床の死角から奔った二本の極細ワイヤーが、男の両手首と軍刀の鍔を寸分の狂いもなく絡め取った。

 ギチリ、と締め上げられ、刀身を振り下ろすどころか指一本動かすことすら許されない。

 背後の影から静かに姿を現したのは、王都の拠点防衛を担当する【夜鴉】第三班の長、シオンであった。


「深夜の密議、お邪魔かしら。ガイウス副団長」

 開かれた扉の向こうから、深紅の豪奢なドレスの裾を優雅に揺らしながら歩み入ってきたのは、ルナ・ローゼンバーグであった。


「ル、ルナ・ローゼンバーグ……!? なぜ商会の小娘が、近衛の厳重な警戒網を抜けてここにおる!」

 ガイウスが手首の激痛に顔を歪めながら怒号を絞り出す。


「厳重な警戒網? ああ、貴方の部屋の前に立っていた当番兵たちなら、すでにシオンたちが丁重に眠らせて差し上げたわ。……何しろ、北方の正統なる侯爵様から『今夜の当番兵のうち、帝国から裏金を受け取っている四名の氏名と口座番号』が寸分の狂いもなく届いていましたからね。身内の裏切りを突かれては、いかに近衛といえども形無しでしょう?」


 ルナの冷徹な微笑みに、ガイウスの顔色が急速に土気色へと変わっていく。

「き、貴様……私を陥れる気か!」


「人聞きの悪いことを言わないでくださる? 私はただ、王室査問会の最高顧問、ならびに近衛騎士団長殿から預かった『正統なる執行令状』を行使しに来ただけよ」

 ルナは優雅に歩み寄り、机の上へ一枚の羊皮紙と、王室の封蝋が施された公文書を滑らせた。


 そこには、ガイウス自身の筆跡による帝国への忠誠誓約書の写し、ならびにアイゼンガルド要塞から振り込まれた巨額の裏金小切手の通し番号が、克明に列挙されていた。

 ノアが要塞司令官ヴァルター中将の脳細胞から直接引き抜き、単騎特使によってルナの手元へと届けられた、反論不能の記憶証拠である。


「ば、馬鹿な……! これはヴァルター中将の極秘金庫にしか保管されていないはずの機密書類だ! なぜ貴様らがそれを持っている!」

「ノア・アスターの冷徹な計算からは、いかなる秘密も逃れられないということよ。……アイゼンガルド要塞の決戦兵器はすでに粉砕され、ヴァルター中将も廃人と化して要塞は機能停止したわ。貴方の後ろ盾は、もうこの世界のどこにも存在しないの」


 逃れようのない絶対のチェックメイト。

 ガイウスの手から軍刀が力なく滑り落ち、絨毯の上に鈍い音を立てて転がった。


「シオン。王室査問会の執行官たちを招き入れなさい。……王都の害虫駆除、これにて完了よ」

 シオンが無言で頷き、合図を送ると、廊下から武装した査問会の憲兵たちが雪崩れ込み、抵抗を諦めて項垂れるガイウスを拘束していった。


 騒乱が去り、静まり返った執務室の窓辺へルナは歩み寄った。

 その手には、ノアから届いた暗号書簡が大切そうに握られている。

『盤面の残滓を清掃せよ。春の訪れとともに、北方の防壁は完成する』


 ルナは窓の外、冷たい星々が瞬く遥かな北の空を見つめ、薄く微笑んだ。

「言われなくても、貴方の背中は私が完璧に守ってあげるわ。……あとは、貴方の春を待つだけね、ノア」


 王都中枢の腐敗は完全に一掃された。

 背後の憂いをすべて断ち切ったアスターの軍勢は、いよいよ北方での最後の決戦へと向かうこととなる。


お読みいただきありがとうございます!

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