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『記憶を喰らう暗殺者の冷徹な復讐劇』  作者: beck2026
第4章:【アスター領復興と、国境の防諜戦 編】

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第82話 霜降り峡谷の罠と、帝国の重装猟兵

 白銀の峡谷を、冷徹な死の静寂が支配していた。


 アスター領と帝国の境界線に位置する、険しい岩壁に挟まれた天然の要害――通称『霜降り峡谷』。

 幅わずか三十メートルの隘路を挟む両岸の断崖の上に、濃灰色の外套を纏った十六の影が音もなく息を潜めていた。

 アッシュ率いる第一班と、リア率いる第二班――【夜鴉】の精鋭たちである。


 崖上の窪みには、旧カルステン領から接収した帝国製最新式魔導弓五十張が、正規兵と夜鴉の手によって等間隔で固定配備されていた。

 さらに岩壁の基底部には、高純度火薬樽百個が雪の中に完全に偽装・埋設されている。


 その中央、突き出た岩棚の上に静かに立つのは、青銀の耐寒魔導外套を羽織ったノア・アスター。

 その傍らには、心臓のアスター・コアと直結する試作魔導兵器――【局所冷凍弩】が据え置かれていた。


「敵部隊、峡谷の北側入り口を通過。……距離、千二百メートル」


 双眼鏡を覗くリアが、低く透き通るような声で報告する。

 猛吹雪を衝いて姿を現したのは、黒鉄と白銀の重装甲に身を包んだ帝国正規軍の重装猟兵たちだった。

 その数、正確に五十名。

 前面には魔導障壁を展開する大型タワーシールドを構え、後方には連発式クロスボウを携えた兵が四列縦隊で整然と進軍してくる。

 吹雪の視界不良を警戒し、歩調を一糸乱さぬ防陣のまま前進する様は、百戦錬磨の精鋭に相応しい威圧感を放っていた。


「白鴉の記憶にあった通りだな」


 ノアは感情を交えず、淡々と眼下の隊列を走査した。


「アイゼンガルド要塞のヴァルター中将が好む、典型的な教条主義的前進隊形だ。全方位への障壁防御を最優先とするがゆえに、移動速度は時速二・五キロメートルに固定されている。……峡谷中央の第零交差点への到達予定時刻は、三分四十秒後」

「ノア様、迎撃手順の確認を」


 アッシュが背後から抜き身の短剣を確かめながら尋ねる。


「手順通りだ。……第一工程、熱膨張による退路の閉塞。第二工程、極低温散布による障壁展開シールドの脆性破壊。第三工程、夜鴉による各個撃破と指揮官の確保。一兵も国境の向こうへ生かして帰すな」

「御意」


 風の音に紛れて合図が送られ、崖上の全兵員がトリガーに指を掛けた。



        ◇



 峡谷の底を進む帝国重装猟兵隊の隊長、エルンスト少佐は、兜のバイザー越しに周囲の断崖を睨みつけていた。


「……異様な静けさだな。カルステン領からの定期連絡が途絶えてから丸二日、王国の哨戒兵の気配すら皆無とは」

「少佐、やはり要塞司令部の推測通り、王国の近衛軍による秘密裏の侵攻ではないでしょうか?」


 副官の問いに、エルンストは首を横に振った。


「あり得ん。この厳冬期に王都から大軍を動かせるはずがない。……だが、白鴉殿からの連絡途絶は異常だ。カルステンの腑抜けが寝返ったか、あるいは代官ボルドーの違法採掘が領民の暴動を招いたかだ。いずれにせよ、我ら重装猟兵の盾を破れる者など、辺境の寒村に存在するはずがない」


 エルンストが手にした指揮刀を掲げ、さらに隊列を進めようとした、まさにその時だった。


 カチ、と。


 頭上の岩壁から、何かが結晶化するような微小な共鳴音が響いた。


「止まれ! 上だ――!」


 エルンストが叫ぶより早く、ノアの冷徹な声が峡谷の虚空に響き渡った。


「第一工程――点火」


 ドガァァァァァンッ!!


 峡谷の入り口と出口、岩壁の基底に埋設されていた火薬樽百個が一斉に炸裂した。

 凄まじい衝撃波と爆炎が雪煙を吹き飛ばし、数百トンの岩塊と氷雪が雪崩となって前後へ崩落する。

 退路と進路が完全に寸断され、五十名の猟兵たちは前後を切り立った瓦礫の山に閉じ込められた。


「狼狽えるな! 全兵、円陣防衛! 魔導障壁を最大展開しろッ!」


 エルンストの怒号に応じ、前衛の兵士たちが一斉にタワーシールドを地面に突き立てた。

 シールドの魔導核が連動し、青白い半球状の魔導障壁が隊列の頭上を完全に覆い尽くす。

 通常の投石や矢撃であれば、蚊の刺すほどの影響も与えられない鉄壁の防御陣形。


 だが、ノアの狙いは物理的な打撃ではなかった。


「第二工程――絶対零度パルス、照射」


 崖上のノアが、【局所冷凍弩】の引き金を絞った。

 心臓のアスター・コアから抽出された超低温魔力が、矢の軌道を青白い光の奔流へと変えて撃ち出される。


 キィィィィィン……!


 放たれた太矢は、障壁の頂点――魔力波が交差する結節点へと直撃した。

 爆音は起きない。

 起きたのは、熱力学を無視した急激な『熱の強奪』だった。


 パリ、パリパリパリィィィッ!


 マイナス二百度を超える超低温パルスが、シールドの魔導回路を逆流して一瞬で全兵士のタワーシールドへと伝播した。

 特殊合金で作られたはずの重装シールドが、急激な熱収縮に耐えきれず、分子の結合を失って白濁していく。


「なっ……馬鹿な、シールドの強度が急激に低下しているだと!? 魔導障壁が――」


 エルンストの悲鳴と同時に、ノアが冷酷に腕を振り下ろした。


「破砕」


 パリンッ!!


 ガラス細工が粉砕されるような澄んだ音とともに、鉄壁の魔導障壁と五十枚の重装シールドが一斉に粉微塵に破砕された。

 無防備となった五十名の帝国猟兵の頭上に、接収された帝国製魔導弓五十張から放たれた斉射の矢雨が降り注ぐ。


 ドスドスドスッ!


 悲鳴を上げる間もなく、二十名以上の前衛兵が雪の上へ縫い止められた。


「ぎ、ぎゃあぁぁっ!」

「第三工程――各個制圧」


 吹雪の煙を突き抜け、崖上から滑空するように舞い降りたのは、アッシュとリアを先頭とする十六名の夜鴉たち。


 混乱する帝国兵の死角を突いてアッシュの二刀が閃き、首級を断ち落とす。

 リアのワイヤーが雪煙を裂き、クロスボウを構え直そうとした後衛兵の指を弓ごと締め上げて切断していく。

 訓練され尽くした正規兵の重装備は、近接乱戦においてただの重い枷でしかなかった。


 戦闘開始から、わずか二分。


 峡谷の底には四十九名の帝国兵が息絶えて倒れ伏し、唯一生き残った隊長エルンストが、四肢をリアのワイヤーで縛り上げられて雪の上へ転がされていた。


「ひ、化物め……貴様ら、王国の正規軍ではないな……!? 一体何者だ……!」


 血を吐きながら激昂するエルンストの前に、青銀の外套を静かに揺らしながらノアが歩み寄った。


「アスター侯爵家正統後継者、ノア・アスター」


 ノアは冷え切った瞳でエルンストを見下ろした。


「貴様の忠誠心や抵抗に価値はない。……尋問の工程は省略する」


 ノアの右手が、エルンストの額へと伸ばされた。

 アスター・コアが激しく蒼く脈動する。


「やめろ……来るな! 帝国の栄光に泥を塗る貴様などに、我が軍の機密を――」


 エルンストの絶叫を遮り、ノアの指先が額に触れた。


「【記憶捕食】(メモリ・イーター)――解凍起動」


 ゴォォォォ……!


 エルンストの脳組織から、アイゼンガルド要塞の最新データがノアの意識の中へと高速で流れ込んできた。


 ――春の雪解けとともに開始される、帝国北部軍三万による王国侵攻作戦の正確な開始日。

 ――要塞の地下ドックで建造が進む、決戦攻城兵器【霧氷の巨神】の完成度が現在七十パーセントであるという事実。

 ――そして、アスター領から上がってくる特殊氷晶石が途絶えたため、要塞内の魔導技師たちが代替触媒の調達に苦慮し、兵器の出力調整に致命的な遅れが生じているという内部機密。


「……完全に読み切った」


 ノアが手を離すと、エルンストは虚ろに目を剥き、その場にぐったりと崩れ落ちた。


「ノア様」


 アッシュが進み出て、血刀を鞘に収めながら問う。


「敵の増援の可能性は」

「ない。ヴァルター中将はこの猟兵隊の壊滅を確認するまで、最低でも一週間の状況分析を要する。……そして、春の侵攻まであと四十日」


 ノアは立ち上がり、奪い取った五十名分の重装甲と魔導火薬の残骸を一瞥した。


「接収した武具をすべて公館へ搬出させろ。……我々には、奴らの決戦兵器を完膚なきまでに叩き潰すための十分な時間と、正確な座標が手に入った」


 国境の防衛戦は、完全なる勝利をもって幕を閉じた。

 冷徹なる暗殺者の復讐劇は、帝国軍の喉元――アイゼンガルド要塞の完全解体へと照準を定めた。


お読みいただきありがとうございます!

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