第77話 偽りの報告書と、迫る隣領の影
羽ペンの走る音が、静まり返った客室に乾いて響いていた。
卓上には羊皮紙が広げられ、丸々と太った指が小刻みに震えながらインクの文字を刻んでいる。
王都貴族院査察官、バルトロメウス男爵。
その背後には、抜き身の短剣を弄びながら冷たい視線を落とすアッシュが、音もなく直立していた。
「……ひ、これで……これでよろしいでしょうか、アッシュ殿」
男爵が油汗を拭いながら羊皮紙を差し出した。
アッシュは手袋を嵌めた手でそれを受け取り、無感情な瞳で文字の羅列を走査した。
『――査察の結果、代官ボルドーの不法占拠および専横の事実を確認。正統後継者ノア・アスター卿による公館の奪還は王国法に完全に準拠したものである。なお、同領地は長年の苛政と厳冬により疲弊の極みにあり、領民は飢餓状態、兵力も老兵数十名が辛うじて公館を守る程度に過ぎず、王都にとって軍事的脅威となる可能性は皆無と判定する』
完璧な偽装報告書。
ノアの領地奪還を合法として追認させつつ、アスター領の戦力と食糧備蓄を極限まで低く見積もらせる内容だった。
「上出来です、男爵。……クロムウェル公爵も、貴方のような『忠実な部下』からの報告であれば疑う余地はないでしょう」
「も、もちろん約束は守っていただけるのでしょうな……!? あの裏帳簿と、帝国商館からの小切手は……!」
「ノア様は嘘をつかれません。利益と不利益の計算が成立している限り、貴方の秘密は守られますよ」
アッシュは淡々と笑みを浮かべ、封蝋で公印を押した書状を懐へ収めた。
「ただし、王都へ戻る道中、余計な私信を飛ばそうなどとは考えないことです。貴方の護衛騎士十名の中には、すでに我々の『影』が一人紛れ込んでいますから」
「ひっ……!」
男爵が喉を鳴らして青ざめるのを見届け、アッシュは部屋を辞去した。
◇
公館の地下、旧代官が私腹を肥やすために使っていた秘密工房。
冷え切った石壁に囲まれた作業台の上で、ノアは特殊氷晶石の残片と、武器庫から集められた重装クロスボウの部品を並べていた。
横には、工具を抱えて控えるヴェルナーがいる。
「ノア様、これは一体……?」
「【局所冷凍弩】(フロスト・バリスタ)の試作だ」
ノアの胸元――臨界突破を果たしたアスター・コアが、穏やかな蒼い微光を放っていた。
ノアの指先がクロスボウの弦と発射レールを撫でると、特殊氷晶石から抽出された超低温魔力が金属の表面へ不可視の回路として焼き付けられていく。
「白鴉の記憶から、帝国のアイゼンガルド要塞が保有する【霧氷の巨神】の基本構造は把握した」
ノアは冷徹な眼差しを作業台に向けたまま告げた。
「奴らの兵器は、超広域の絶対零度散布による防壁の脆性破壊を主目的としている。だが、熱力学の法則に従えば、大規模な冷却には相応の魔力集積と放熱器官を要する。……すなわち、熱排気弁が奴らの構造上の致命的弱点だ」
「なるほど……! 敵の冷却兵器に対し、その急所をピンポイントで狙い撃つわけですね」
「そうだ。この防壁上に配備するバリスタは、標的に着弾した瞬間、内部の熱伝導を遮断してマイナス百八十度の急速凍結を引き起こす。春の防衛戦において、敵の大型兵器を遠距離から機能不全に追い込むための迎撃火線となる」
手作業で鉄を削り、魔導で結晶を編み込んでいくノアの手元には、一切の躊躇も迷いもない。
自らの演算能力が数倍に跳ね上がったことで、設計から組み立て、魔導式の定着に至るまでの効率は以前の比ではなかった。
作業が一段落したその時、執務室から階段を駆け下りてくるリアの鋭い足音が響いた。
「ノア様。東の国境哨戒網に引っかかりました」
リアの報告に、ノアは手を止めて視線を向けた。
「侵入者の規模と所属は」
「雪上馬車二台、騎兵八名。アスター領の北東に隣接する『カルステン子爵領』の紋章を掲げています。吹雪の切れ間を縫い、旧第四鉱山方面へ向けて秘密裏に進軍中とのことです」
「カルステン子爵か」
ノアの瞳の奥で、白鴉から喰らった記憶の断片が高速で検索された。
「……やはり動いたか。代官ボルドーとともに帝国へ特殊氷晶石を横流しし、私腹を肥やしていた二人の隣接領主のうちの一人だ」
「白鴉殿からの定期連絡が途絶えたため、異変を察知して鉱山の様子を探りに来たようです」
リアの言葉に、ヴェルナーが拳を握りしめて怒りを露わにした。
「同じ王国の貴族でありながら、帝国の走狗に身を落として同胞を裏切っていた不届き者め……! ノア様、直ちに我が正規兵に出撃命令を!」
「待て、ヴェルナー。感情で戦力配分を乱すな」
ノアの声は、氷のように冷徹だった。
「敵は八名の斥候に過ぎん。迎撃に正規兵を動かせば、カルステン側にこちらの防衛体制を露呈させることになる。奴らが求めているのは『白鴉の消息』と『アスター領の現況』だ」
「では、いかがなさいますか」
リアが静かに尋ねる。
「侵入ポイントは旧鉱山街道の第十二工区。昨夜成形を終えた複合防壁の死角だな」
ノアは試作を終えた冷凍弩を手に取り、立ち上がった。
「アッシュ班の四名とリア。私と共に迎撃へ向かう。……ヴェルナーは公館の防壁工事と、バルトロメウス男爵の監視を継続しろ」
「はっ! 御意に!」
「カルステン子爵の斥候部隊は、生かして帰す必要はない。……だが、指揮官の記憶だけは手に入れる。隣領の防衛線と、奴らが帝国から受け取っていた賄賂の隠し場所をすべて暴き出す」
青銀の外套を翻し、ノアは闇の中へと足を踏み出した。
要塞化を進めるアスター領の外郭で、新たな侵略者を狩るための無音の迎撃戦が始まろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます!
査察官バルトロメウスに完璧な偽装報告書を書かせ、王都のクロムウェル公爵に対する情報封鎖を完了させたノア。
さらに、白鴉の記憶から帝国の決戦兵器【霧氷の巨神】の構造的弱点(排熱器官)を見抜き、対抗兵器【局所冷凍弩】(フロスト・バリスタ)の開発にも着手しました。
しかし、白鴉の途絶に危機感を覚えた隣領の内通貴族「カルステン子爵」が、早くもアスター領の鉱山へ斥候部隊を侵入させてきます。
侵略者を迎撃し、さらなる記憶と裏金データを手に入れるための夜間狩猟が始まります。
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