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『記憶を喰らう暗殺者の冷徹な復讐劇』  作者: beck2026
第4章:【アスター領復興と、国境の防諜戦 編】

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第74話 旧第四坑道の急襲と、白鴉の尋問

山を裂くような猛吹雪が、荒涼とした岩肌を白銀に染め上げていた。


 時刻は夜の二十一時。

 月光すら届かぬ漆黒の視界の中、吹き荒れる暴風はあらゆる環境音をかき消す天然の防音壁となっていた。


 かつて三十年前に栄え、落盤事故によって放棄された旧第四氷晶坑道。

 その坑口は雪に半ば埋もれ、巨大な獣の開いた口腔のように暗がりを晒している。


 坑口の左右、岩陰の窪みに潜んでいたのは、帝国軍の工作服を身に纏った二名の兵士だった。

 手にしたクロスボウを構え、寒風に震えながら外の雪原を警戒している。

 国境のアイゼンガルド要塞から派遣された、白鴉の回収班の先遣隊だ。


「……クソッ、なんて吹雪だ。こんな夜に迎えのソリが山を越えてこられるのかよ」

「弱音を吐くな。白鴉殿が持ち帰った特殊氷晶石は、要塞の次期大型魔導兵器の中核素材だ。回収に失敗すれば俺たちの首が飛ぶ」


 吐き出された白い息が、大気に溶ける間もなく凍りついていく。

 二人の兵士が身震いした、まさにその瞬間だった。


 ザッ、という足音すらなかった。


 雪煙の帳を割り、吹雪そのものが実体化したかのように、二つの影が左右から滑り出た。

 アッシュとリア。


「――なっ!?」


 右の兵が叫び声を上げようと顎を開いた刹那、アッシュの影から伸びた黒塗りの短剣が、その頸動脈を音もなく貫通した。

 声帯を震わせる隙すら与えない、解剖学的に完璧な切断。


 左の兵が慌ててクロスボウの引き金に指を掛けたが、それより早くリアの投擲刃が男の手甲ごとトリガーを縫い止める。

 激痛に目を見開いた兵士の背後へ、リアはすでに音もなく回り込んでいた。

 細い指先が兵士の後頭部を掴み、頸椎の継ぎ目を無駄な力感なく一気に捻転させる。


 ゴキリ。


 鈍く短い骨鳴りとともに、二人の兵士は声一つ上げることなく雪の上へ崩れ落ちた。

 その死体が雪面を打つ寸前、背後から続いた【夜鴉】の少年たちが素早く抱き止め、血痕が広がる前に坑道の外壁へと引きずり込んで隠蔽した。


 突入開始から、わずか三秒。

 風の音だけが、何事もなかったかのように坑道前で唸り続けていた。


「外周警戒網の排除、完了しました」


 アッシュが小声で告げると、闇の奥から漆黒と青銀の外套を翻したノアが静かに歩み出た。

 ルナから贈られた耐寒魔導外套は、猛吹雪の極低温を完全に遮断し、ノアの体温と魔力を極上の平穏に保ち続けている。


「坑道内部の熱源反応は二。……白鴉本人と、駄載用の軍馬が一頭だ」


 ノアの心臓部、アスター・コアが微細なパルスを坑道内へと照射し、生命体の呼気と心拍を透視していた。


「突入する。四肢を無力化し、自決を物理的に阻止しろ」

「「御意」」


 無音の影たちが、坑道の闇へと滑り込んでいった。



        ◇



 旧第四坑道の最奥、かつて採掘技師たちの詰め所として使われていた頑丈な石造りの管理小屋。


 室内では、古びた鉄ストーブが赤黒い熱を放ち、乾燥した薪が爆ぜる音を立てていた。

 部屋の隅には、重厚な革袋に詰められた金貨一万枚と、鉛の防護板で厳重に封印された二つの木箱が鎮座している。


 机の前に座り、安物の蒸留酒を喉に流し込んでいた男――【白鴉】アルブレヒトは、舌打ち混じりに窓の外を睨みつけた。


「遅いな、回収班の野郎どもめ……。吹雪で足止めを食らっているのか」


 男の顔立ちは三十代半ば。

 北方特有の防寒獣脂の臭いを誤魔化すため、今も卓上には強い香の煙が立ち上っていた。

 だが、その鋭い眼光は歴戦の工作員特有の油断のなさを保っている。


「まあいい。ボルドーの馬鹿がアスター家の若造に潰されたのは計算外だったが、金貨と特殊氷晶石の現物は完全に確保した。……これをアイゼンガルド要塞の軍務局長へ持ち帰りさえすれば、俺の昇進と報酬は約束されたようなものだ」


 男は冷酷に口角を歪めた。

 王国の名門貴族など、帝国の諜報網の前では操り人形に過ぎない。

 あの能無し代官も、王都で金に釣られていたオズワルド伯爵も、所詮は使い捨ての駒だったのだ。


「あの若造……ノア・アスターとか言ったか。公館を取り返したところで、この記録的な冬の飢饉を越えられるはずがない。春を待たずして野垂れ死ぬのが関の山よ」


 男が嘲笑とともにグラスを傾けた、その瞬間だった。


 プツン、と。


 ストーブの炎が、まるで真空に呑み込まれたかのように一瞬で立ち消えた。

 パチパチと鳴っていた熱が消滅し、部屋全体の温度がマイナス数十度へと急落する。

 卓上の酒が、グラスの中で瞬時に凍結してピシリとひび割れた。


「なっ……!?」


 異常な冷気。

 アルブレヒトが跳ね起き、腰の曲刀を抜こうとした瞬間――石造りの扉が木端微塵に破砕された。


 ドォォンッ!


 吹き込んだ極光のような冷気の嵐とともに、四つの黒い影が室内の死角を完全に封鎖した。

 アッシュとリア、そして夜鴉の精鋭たちだ。


「貴様ら――っ!」


 アルブレヒトは超一流の密偵だった。

 咄嗟に風系統の加速魔導を起動し、懐から煙幕弾と手裏剣を引き抜こうとする。

 同時に、最悪の捕縛を免れるため、奥歯に仕込まれた致死毒のマイクロカプセルを噛み砕こうと顎に力を込めた。


 だが、そのすべては『計算の範囲内』だった。


「自決の選択肢は存在しない」


 冷たい声が、鼓膜を凍てつかせるように響いた。

 破壊された扉の正面から現れたノアが、右の掌をアルブレヒトの顔面へと向ける。


 キィィィィン……!


 絶対零度の不可視の熱収縮が、アルブレヒトの口腔内を直撃した。


 パキィンッ!


「が……!? あ……っ!?」


 奥歯のカプセルが粉砕されるより早く、顎関節の筋肉と神経、そして歯列全体が超低温によって瞬時に凍結された。

 感覚が麻痺し、下顎を動かすことすら物理的に不可能となる。


 自決を封じられたアルブレヒトが狂乱し、左手で手裏剣を投擲しようとしたが、その腕が振り抜かれることはなかった。

 疾風のように踏み込んだアッシュの足払いが男の重心を崩し、宙に浮いた両手首をリアのワイヤーが正確無比に拘束する。


 ドガァッ!


 床へ叩きつけられたアルブレヒトの四肢の関節へ、夜鴉の少年たちが冷酷に体重をかけ、ミリ単位の遊びもなく完全な抑え込みを完了させた。


 突入から制圧まで、わずか一・五秒。


 床に縫い付けられたアルブレヒトは、凍りついた顎から血の混じった唾液を垂らしながら、血走った目でノアを見上げた。

 恐怖と驚愕に歪んだその瞳が、青銀の外套を纏った少年の姿を捉えている。


「お、前……が……アスターの……」

「アルブレヒト。貴様の逃走計画、積載重量、移動速度、そして天候条件。すべての変数は私の計算式と一ミリの狂いもなく一致した」


 ノアはアルブレヒトの前に屈み込み、感情を排した瞳で見下ろした。


「貴様の忠誠心や矜持を問う気はない。尋問による時間の浪費も不要だ。人間は嘘をつくが、神経細胞に刻まれた記憶の物理配置は改ざんできない」


 ノアの右手が、アルブレヒトの額へと伸ばされた。

 その瞬間、ノアの胸元――心臓のアスター・コアが、深海の氷のような青白い輝きを脈動させ始める。


「あ……が……やめ……ろ……っ!」


 直感的な魂の恐怖に、アルブレヒトが激しく身悶えした。

 だが、アッシュたちの鋼のような拘束から逃れる術はない。


 ノアの指先が、男の額に触れた。


「【記憶捕食】(メモリ・イーター)――演算起動」


 ゴォォォォ……!


 ノアの瞳が完全な無機質の青へと染まり、アルブレヒトの脳組織から膨大な情報電流がノアの意識の中へと雪崩れ込んできた。


 男の視覚記憶が、高速のコマ送りとなって再生される。


 ――吹雪の中、帝国商館の密貿易船で受け取った密書。

 ――代官ボルドーの脂ぎった笑顔と、地下牢で違法に採掘させていた奴隷たちの呻き声。

 ――そして、北の国境にそびえ立つ、巨大な黒鉄の要塞【アイゼンガルド】。


 要塞の地下深く、厳重な結界に守られた軍事研究室の光景が、ノアの脳裏に焼き付けられる。

 白衣を着た帝国の魔導技師たちが、青く輝く特殊氷晶石を巨大な魔導炉へと充填していた。


『――素晴らしい純度だ。アスター領から上がってくるこの特殊氷晶石は、古代文明の「極低温維持技術」をそのまま内包している』

『これを用いれば、王国の国境防壁を一撃で脆性破壊する超大型魔導攻城砲【霧氷の巨神】が完成する』

『春の侵攻作戦までに、最低でもあと五つの木箱を集めろ。代官ボルドーにはいくらでも金を握らせておけ』


 さらに、記憶の断層を深く掘り下げる。


 帝国軍の暗号通信コード。

 アイゼンガルド要塞の哨戒ルート、監視兵の交代時間、地下水路の配置。

 そして、王国北部において代官ボルドー以外に帝国と内通している、隣領の二人の貴族の名――。


「……解析完了」


 ノアが指を離した。


「ひ……っ、あ……あぁ……」


 記憶の中核をごっそりと喰い千切られたアルブレヒトは、白目を剥き、廃人のように全身の力を失って床へと崩れ落ちた。

 瞳からは知性の光が完全に消失し、ただ空虚に涎を垂らす肉塊と化していた。


「ノア様……いかがでしたか」


 アッシュが静かに問う。

 ノアは立ち上がり、机の上に残されていた帳簿に素早く数式とメモを走らせた。


「期待以上の収穫だ。……第一に、アイゼンガルド要塞の防衛配置および地下侵入経路の完全な掌握。第二に、帝国が開発を進めている超大型攻城兵器のスペックと弱点。そして第三に――」


 ノアは部屋の隅に置かれた二つの木箱を見下ろした。


「この【特殊氷晶石】の真の価値だ」

「真の価値……ですか?」


 リアが小首をかしげる。


「単なる高密度の魔導鉱石ではない。これは太古の超低温魔導が凝縮された『触媒』だ。……私のアスター・コアに直接取り込むことで、私の絶対零度魔導の演算処理能力を三倍以上に引き上げることが可能となる」

「……! ノア様の新たな力になるのですね」


 リアの瞳に、静かな歓喜の光が宿った。


「回収作業を開始しろ。金貨一万枚、特殊氷晶石二箱。一握りの砂利も残すな」

「了解しました!」


 アッシュの指示で、夜鴉の少年たちが手際よく物資を梱包し、運搬用のソリへと積み込んでいく。


 アッシュが、床で涎を垂らすアルブレヒトを一瞥した。


「ノア様。この男の処分は」

「生かしておく実利はない。帝国の回収班が山を越えてきた際、自決したと見せかけるように偽装して処分しろ。……痕跡をすべて雪の下へ埋め戻せ」

「御意」


 アッシュの冷徹な一撃が、音もなく下された。



        ◇



 未明の雪原を、ソリを引いた部隊が音もなく南へと進んでいく。


 夜明け前の鉛色の空の下、ノアはルナの防寒外套の襟元を引き寄せ、遠く白銀の山並みを見据えていた。


 奪われた金貨一万枚の奪還。

 特殊氷晶石による自身の能力拡張。

 そして、帝国の軍事機密の完全掌握。


 手駒は揃い、盤面の支配率は決定的な領域へと突入しつつあった。


「アッシュ」

「はい」

「公館へ帰還後、直ちに暗号通信を王都へ繋げ。……ルナへ、回収した金貨一万枚のうち三千枚を、商会の投資に対する『最初の配当』として送金する手筈を整えろ」

「よろしいのですか? 領地の復旧にも金は必要ですが」

「投資家への約束を守ることは、最も強固な信用資本を築く。それに、ルナの手元に資金を還流させれば、彼女はそれを元手に王都の軍閥をさらに締め上げる。……私の計算に、損をする取引は存在しない」


 ノアの淡々とした言葉に、アッシュは頼もしげに口元を綻ばせた。


「承知いたしました。ルナ様も、これ以上ない笑みを浮かべて喜ばれるはずです」


 東の地平線から、冷たい暁の光が射し込んでくる。

 アスター侯爵公館の輪郭が、白い雪の中に力強く浮かび上がっていた。


 北の凍土を完全に掌握した暗殺者の復讐劇は、いよいよ帝国という巨大な国家そのものを射程に捉え始めていた。


お読みいただきありがとうございます。

猛吹雪の廃鉱山を急襲したノアたち。

逃亡していた帝国の密偵【白鴉】アルブレヒトに対し、奥歯の自決毒薬を口腔ごと凍結して無力化する冷徹な制圧劇となりました。

そして本作の真骨頂である【記憶捕食】(メモリ・イーター)が発動!

アイゼンガルド要塞の防衛網や、帝国が開発を進める決戦兵器【霧氷の巨神】の機密、さらに奪われた特殊氷晶石がノア自身の演算能力を跳ね上げる触媒であることまで完全に暴かれました。

奪還した金貨一万枚から、さっそく王都のルナへ最初の「配当」を返すノアのビジネスライクで強固な信頼関係も描かれ、アスター領の基盤は盤石になりつつあります。

面白いと思っていただけたら、ブクマや★評価、いいねなどいただけますと更新の大きな励みになります!

次回、第75話「アスター・コアの臨界突破と、冬越しの基盤」もよろしくお願いいたします。

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