第7話:「嘲笑の宴と、星天の涙」
王都の地下深く、退廃的な熱気に包まれた闇オークションの会場。
豪奢な仮面をつけた貴族たちが、次々と競り落とされる非合法な品々に下劣な歓声を上げている中、司会者がひときわ声を張り上げた。
「さあ皆様! 今宵の目玉の一つ、『星天の羅針盤』のお披露目でございます! 本品は現在、厳重な金庫室にて保管されておりますが……まずはその素晴らしい来歴をご紹介いたしましょう!」
司会者の背後にある巨大な魔力スクリーンに、美しく精巧な羅針盤の幻影が映し出される。
ボックス席からそれを見上げたノアの瞳が、仮面の下でスッと細められた。
五年前、奪われたアスター家の至宝。間違いない。
「皆様もよくご存知でしょう! 五年前、王家に逆らうという身の程知らずの反逆を企て、あえなく処刑された愚か者……アスター侯爵家の遺物でございます!」
司会者が大仰に肩をすくめると、会場からドッと嘲笑の渦が巻き起こった。
「ああ、あの愚か者たちの! 処刑台で惨めに命乞いをしていたそうじゃないか!」
「名門の至宝が聞いて呆れる。ただのガラクタだろう!」
「だが、没落した反逆者の持ち物となれば、酒の肴にはちょうどいい!」
ゲラゲラと、無遠慮で醜悪な笑い声が地下サロンに反響する。
ノアは無表情だった。
瞬き一つせず、微動だにせず、ただ真っ直ぐにステージを見つめていた。
だが、彼の膝の上で組まれた両手は、革手袋が軋むほどに硬く、限界まで握りしめられていた。
(……殺す)
ノアの胸の奥底で、ドス黒いマグマのような怒りと、決して癒えることのない五年分の喪失の痛みが、激しく沸騰していた。
今すぐこの会場にいる全員の首を刎ね飛ばし、その下劣な口に氷を詰めて砕いてやりたい。
冷徹なロジックを焼き尽くすほどの、純粋な激怒。
その時だった。
スッ……と。
ノアの固く握りしめられた拳の上に、柔らかく、温かい手が重ねられた。
「ルナ……?」
ノアがわずかに視線を落とすと、隣に座るルナが、テーブルの影でノアの拳を両手でしっかりと包み込んでいた。
「……大丈夫よ。私が、ついているわ」
仮面越しのルナの瞳が、潤んでいた。
彼女はノアの過去のすべてを知っているわけではない。だが、嘲笑を浴びて静かに傷ついているノアの『痛み』を、まるで自分のことのように感じ取っていた。
家族に虐げられ、嘲笑われてきた彼女だからこそ分かる。今、この少年の心がどれほど血を流しているかを。
「一人で抱え込まないで。あなたの怒りも、悲しみも……全部、私が半分背負うから」
震える声で紡がれた、不器用で、けれど何よりも温かい共犯者の誓い。
その手の温もりが、暴走しかけていたノアの殺意を、研ぎ澄まされた『冷徹な刃』へと引き戻してくれた。
ノアはゆっくりと息を吐き出し、ルナの手に自身のもう片方の手を重ねて、小さく頷いた。
「……ありがとう。少し、行ってくる」
ノアはルナの手に微かな温もりを残し、音もなく席を立った。
怒りは静まったわけではない。ただ、彼らに最も残酷で屈辱的な『絶望』を与えるための、冷酷なロジックに変換されただけだ。
***
会場の熱狂が最高潮に達する中、ノアは誰にも気づかれることなく、すでに警備兵を沈黙させておいた金庫室の最深部へと到達していた。
分厚い魔力金庫の前に立ち、先ほど通路で喰らって定着させた警備兵の残留魔力と、闇市で得た暗号解読の知識をフル回転させる。
「――解除」
ノアが魔力を流し込むと、厳重なロックが呆気なく解除され、金庫の重い扉が開いた。
中には、膨大な金塊や裏帳簿、そしてベルベットのクッションに乗せられた『星天の羅針盤』が鎮座していた。
ノアは羅針盤をそっと手に取り、懐深くへと大切にしまう。
そして、用意していた魔法の拡張袋に、本邸の隠し資金である金塊を文字通り『根こそぎ』放り込んだ。
空っぽになった金庫。
ノアは冷たい笑みを浮かべると、掌に【氷結の魔力】を集中させた。
空気中の水分が急速に凍りつき、ノアの精密な魔力操作によって一つの形を作り上げていく。
それは、丸々と太った醜い『氷の豚』の彫像だった。
しかもその豚の顔は、先ほどノアの家族を嘲笑っていた貴族たちそっくりに歪められている。
「……せいぜい、素晴らしいお披露目を楽しんでくれ」
ノアは氷の豚を金庫の中央に鎮座させると、扉を閉め、音もなくその場から姿を消した。
***
「さあ、お待たせいたしました! いよいよ実物の登場でございます!」
表のステージでは、司会者の合図と共に、金庫室から厳重に運ばれてきた大きな宝箱が壇上に置かれた。
固唾を呑んで見守る貴族たち。
ルナもボックス席から、祈るように両手を組んでその光景を見つめている。
「ご覧ください! これが反逆者の遺物……っ!?」
司会者が勢いよく箱を開け、中身を掲げようとして、その動きが完全に硬直した。
箱の中にあったのは、星天の羅針盤ではない。
会場の熱気で少しずつ溶け始めている、醜悪な『氷の豚』だったのだ。
「な、なんだこれはぁっ!?」
「豚だと!? 我々をコケにする気か!!」
「羅針盤はどうした! 資金は! 金庫室を確認しろ!!」
一瞬の静寂の後、会場は蜂の巣をつついたような大パニックに陥った。
本邸の主催者たちが顔面を蒼白にして走り回り、貴族たちは侮辱されたと怒り狂って怒号を上げている。
先ほどまでの下劣な嘲笑は完全に消え去り、そこにあるのは無様な混乱と絶望だけだった。
「……本当に、容赦がないんだから」
その滑稽な惨状を見下ろしながら、ルナは仮面の下でクスリと笑みをこぼした。
「ルナ」
不意に背後から声がし、ルナの腰が力強い腕に抱き寄せられた。
いつの間にか戻ってきていたノアだった。その手には、膨大な裏金の入った袋が握られている。
「帰るぞ」
ノアが指先を鳴らした瞬間、会場の天井を飾っていた巨大な魔力シャンデリアがすべて凍結し、粉々に砕け散った。
「ひぃぃっ!?」
「真っ暗だ! 誰か、明かりを!!」
完全な暗闇と悲鳴に包まれる地下サロン。
その混乱の底を縫うように、ノアはルナを抱きかかえ、誰にも気づかれることなく颯爽と夜の闇へと溶けていった。
***
深夜。
静寂を取り戻したローゼンバーグ家の別邸。
暖炉の火だけが赤々と燃えるサロンのテーブルの上には、奪い返した『星天の羅針盤』が静かに輝いていた。
ノアは仮面を外し、ただじっと、その羅針盤を見つめている。
五年間、泥水をすすり、他人の命を喰らい、感情を殺して生き抜いてきた。すべては、この温かな記憶を取り戻すために。
「……綺麗ね」
隣に立ったルナが、そっと囁いた。
「ああ。……親父が、いつも磨いていたんだ」
ノアは羅針盤に触れ、ゆっくりと息を吐き出した。
そして、隣に立つルナの方へと振り返る。
「ルナ。今日、お前が手を握ってくれなかったら……俺は怒りに呑まれて、ただの獣のように暴れ回って、すべてを台無しにしていたかもしれない」
深海の底のように冷たかったノアの瞳が、今は信じられないほど穏やかな光を湛えていた。
「お前のおかげだ。……ありがとう」
そう言って、ノアはふわりと微笑んだ。
それは、冷酷な復讐鬼の仮面を剥ぎ取った、十歳の少年としての、年相応で、あまりにも優しく純粋な笑顔だった。
ドクン、と。
ルナの胸が、これまで感じたことのないほど大きく高鳴った。
ああ、この人は、こんな風に笑うんだ。
ずっと孤独に戦ってきた彼が、私にだけ、こんな美しい顔を見せてくれる。
ルナの瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
それは悲しみの涙ではない。心の底からの、圧倒的な救済と喜びの涙だった。
「……どういたしまして。私の、最強の共犯者さん」
ルナもまた、これまでの悪逆令嬢としての艶やかな笑みではなく、等身大の少女としての、花が咲くような心からの笑顔をノアに向けた。
復讐のために手を組んだ、打算にまみれた歪な共犯関係。
だが今夜、二人の心は確かに触れ合い、世界でたった一人の『真の理解者』として、決して切れることのない深い絆で結ばれたのだった。
お読みいただき、本当にありがとうございます!
今回は、ノアのご両親への想いと、二人の絆に焦点を当ててみました。
前半、貴族たちに両親を嘲笑われて静かに怒りを燃やすノアと、それに寄り添うルナ。この二人の手と手が重なるシーンは、書きながらすごく感情移入してしまいました……!
そして中盤は、容赦ない怪盗ノアの「ざまぁ」展開!(氷の豚、いい仕事をしてくれました笑)
ラスト、ついにノアがルナに向けて見せた「本当の笑顔」。
打算で始まった二人の関係が、ここからさらに強固なものになっていきます。
もし「スッキリした!」「ノアの笑顔にやられた!」「この二人が尊い……」など、少しでも感情を動かしていただけましたら、
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引き続き、ノアとルナの復讐劇をよろしくお願いいたします!




