第8話:「血の招待状と、悪逆令嬢の帰還」
別邸のサロン。
静まり返った深夜の部屋で、ノアは奪い返した『星天の羅針盤』をテーブルの上に置き、その複雑な機構を冷たい瞳で見下ろしていた。
ただの美しい骨董品ではない。
ノアは、闇市で老人の死体から喰らい尽くした『暗号解読の知識』と、自らの血肉に定着させている魔力を総動員し、羅針盤に刻まれた見えない術式を読み解いていく。
「……なるほどな。親父たちが無実の罪を着せられ、殺された理由が分かった」
「どういうこと?」
向かいの席で紅茶を飲んでいたルナが、小首を傾げる。
「この羅針盤は、単なる遺物じゃない。王都の地下深くに張り巡らされた『巨大な魔力水脈』にアクセスし、その莫大なエネルギーを制御するための『鍵』だ。アスター家は代々、王都の魔力網を管理し、守る役割を担っていた」
ノアの指先が羅針盤の表面をなぞると、空中に王都の地下水脈を示す青白い光の地図が浮かび上がった。
「本邸の女主人は、この莫大な魔力を独占し、裏社会のビジネスや自身の権力闘争に利用したかった。だから、邪魔なアスター家を反逆者に仕立て上げて皆殺しにし、鍵を奪った。……そういうロジックだ」
底知れぬ強欲と、吐き気を催すほどの自己中心的な悪意。
それが、ノアの家族を奪ったものの正体だった。
ノアの瞳に、静かで、底なしの殺意が満ちる。
「……お義母様なら、やりかねないわね」
ルナは冷めた紅茶のカップを置き、ふう、と息を吐いた。
その時だった。
サロンの扉がノックされ、怯えた様子のメイドが、一枚の封筒を震える手で差し出してきた。
差出人は、本邸のイザベラ。
封蝋には、ローゼンバーグ家の豪奢な紋章が押されている。
ルナが封を開け、中の手紙に目を通す。
「……『愛しのルナへ。あなたの体調が回復に向かっていると聞き、大変嬉しく思います。今夜、本邸にてささやかな家族の晩餐会を開きましょう。ぜひいらっしゃい』……ですって」
手紙を読み終えたルナは、まるでひどい冗談を聞いたかのように、クスリと笑い声をこぼした。
闇オークションの会場をめちゃくちゃにされ、裏金も羅針盤も奪われた。その犯人が別邸のルナと、得体の知れない従者であることに、本邸はすでに気づいているはずだ。
「分かりやすい罠だな。晩餐会という名の、尋問と処刑の場だ」
「ええ。私を捕らえて拷問し、羅針盤と資金の隠し場所を吐かせるつもりよ。……本当に、焦っているのが丸わかりで滑稽だわ」
昔のルナであれば、この本邸からの召喚状を見ただけで恐怖に震え、泣き崩れていただろう。
だが今の彼女の瞳には、一切の怯えはなかった。
「どうする。逃げるか?」
試すように問うノアに、ルナは艶やかな悪逆令嬢の笑みを浮かべて立ち上がった。
「まさか。招待されたのだから、堂々と正面から踏み込んでやるわ。……私の、最強の共犯者が一緒に来てくれるならね」
「……上等だ」
ノアは星天の羅針盤を懐にしまい、静かに立ち上がった。
***
その夜。
ローゼンバーグ公爵家の本邸は、異様な空気に包まれていた。
巨大な鉄格子が開かれ、ルナを乗せた馬車が敷地内へと入っていく。
見上げるほどに巨大で、威圧的な本邸の入り口。
馬車を降りたルナは、その重厚な扉を前にして、ピタリと足を止めた。
(……ここが、私の鳥籠だった場所)
継母の嘲笑。異母兄からの暴力。
使用人たちの冷たい視線。
呼吸をするだけで肺が凍りつくような、絶望の記憶。
頭では分かっていても、身体に染み付いたトラウマが、ルナの足を鉛のように重くしていた。
仮面舞踏会の時と同じだ。暗い記憶が這い上がってくる。
だが、彼女の背中を押す者はいない。
その代わり、黒いスーツを着た十歳の少年が、音もなく彼女の『隣』に並び立った。
ノアは何も言わなかった。
ただ、その深海の底のような瞳で、真っ直ぐに本邸の扉を見据えている。
『俺がいる。お前を縛る世界を、これから壊すぞ』。
言葉を持たないその圧倒的な存在感が、ルナの心にまとわりつく暗い泥を、一瞬にして振り払ってくれた。
「……行きましょう」
ルナは背筋を真っ直ぐに伸ばし、自らの手で本邸の重い扉を押し開けた。
***
案内された大広間には、異様な光景が広がっていた。
晩餐会と銘打たれているにも関わらず、長大なダイニングテーブルには、料理の皿一つ乗っていない。
上座に座っていたのは、豪奢なドレスを着飾った扇子の似合う女――継母のイザベラと、その隣で下劣な笑みを浮かべる異母兄のガリウスだった。
そして部屋の壁際には、本邸が誇る精鋭の私兵たちと、高位の魔導師たちが、いつでも魔法を放てる態勢でズラリと立ち並んでいる。
「よく来たわね、ルナ。……這いつくばって命乞いに来たにしては、ずいぶんと生意気な顔をしているじゃないの」
イザベラが扇子を閉じ、氷のように冷たい声でルナを見下ろした。
異母兄のガリウスも、あざけるように言葉を継ぐ。
「おいおい、まさか本当にノコノコやってくるとはな。お前たちのような底辺のクズが、本邸の資金と遺物を盗んでタダで済むと思ったのか?」
ガリウスが指を鳴らすと同時に、壁際の私兵たちが一斉に武器を構え、ルナとノアを取り囲んだ。
「さあ、吐きなさいルナ。盗んだ金と羅針盤はどこ? 素直に話せば、手足の切断だけで許してあげるわ」
イザベラの残酷な宣告。
絶対的な絶望の盤面。
しかし、ルナは微塵も動じなかった。
彼女は包囲網の中心で、ふふっ、と余裕に満ちた笑い声をこぼした。
「……手足の切断? お義母様、あなたこそ自分の置かれている状況が分かっていないようね」
「何……?」
ルナが視線で合図を送る。
その瞬間、彼女の隣に控えていたノアが、床に向かって右足のヒールを小さく鳴らした。
カツン、と。
静かな音が広間に響いた直後。
「なっ……!?」
「ぐはっ!!」
ルナたちを包囲していた精鋭の魔導師たちが、突然白目を剥いて次々と床に崩れ落ちた。
さらに、私兵たちが構えていた魔力剣が、まるでガラスのようにパキパキと音を立てて砕け散っていく。
「な、何が起きた!? 貴様ら、何をしている!!」
ガリウスがパニックになり、叫び声を上げる。
「無駄だ。この本邸を覆っている防衛結界も、お前たちの私兵の武器に込められた術式も、すべて『俺の羅針盤』で書き換えて、魔力を逆流させた」
ノアが懐から、青白く発光する『星天の羅針盤』を取り出す。
事前に王都の地下水脈にアクセスし、本邸の魔力網を完全に掌握していたのだ。
魔力を封じられた私兵など、ステータスを極限まで高めているノアにとっては、ただの動く案山子に等しい。
「き、貴様……たかが十歳のガキが、無詠唱で広域の結界を支配したというの!? あり得ないわ!」
優位に立っていたはずの盤面を、たった一瞬で完全にひっくり返されたイザベラ。
その顔面から、醜いほどに血の気が引いていく。
護衛を無力化され、無防備に玉座に取り残された権力者たち。
その滑稽な姿を見下ろしながら、ルナはゆっくりとイザベラの席へと歩み寄った。
そして、空っぽのテーブルの上に両手をつき、極上の悪逆令嬢の笑みを浮かべて言い放つ。
「さて、お義母様。……晩餐会のメインディッシュは、これからよ」
お読みいただきありがとうございます!
罠だと分かっていて堂々と本邸に乗り込むルナと、圧倒的なロジック(事前の仕込み)で敵の戦力を一瞬で無力化するノア。
この二人が並んで敵の本陣を蹂躙するシーンは、書いていて最高に痛快でした!
次回、武器を失った継母たちへの、容赦ない「お礼参り(メインディッシュ)」が始まります。お楽しみに!
もし「ルナ様かっこいい!」「ノアの無双最高!」「続きが早く読みたい!」と少しでも思っていただけましたら、
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(面白かったら星5つなど、素直な評価で大丈夫です!)
【閑話:現在の主な登場人物紹介】
◆ノア(ノア・アスター/10歳)
没落したアスター侯爵家の生き残りにして、最底辺のスラムで育った少年。
死者の力や記憶を己の血肉にする【冥界神の捕食】の能力を持つ。
感情を殺した冷酷な復讐鬼であり、敵には一切の容赦がないが、唯一の共犯者であるルナに対しては、年相応の優しい笑顔を(ごく稀に)見せる。
◆ルナ(ルナ・ローゼンバーグ/15歳)
ローゼンバーグ公爵家の令嬢。
継母のイザベラに長年虐げられ、緩やかな毒殺で心を殺されていたが、ノアという最強の刃を手に入れたことで「悪逆令嬢」として見事に覚醒。
ノアのことを世界で唯一の理解者として、深く信頼し、依存している。
◆イザベラ・ローゼンバーグ
本邸の女主人であり、ルナの継母。強欲で底知れぬ悪意を持つ。
5年前にアスター家を滅ぼした黒幕の一人でもある。今回の晩餐会でルナたちを始末しようとしたが、逆に牙を剥かれることに。
◆ガリウス・ローゼンバーグ
ルナの異母兄。母親の権力を笠に着て威張っているだけの小物。
皆様の応援が二人の復讐のエネルギーになります。
引き続き、よろしくお願いいたします!




