【第68話:「反逆の断罪台と、国境の彼方」】
王都中央広場。
かつて、旧アスター領の領主一族が「国家反逆」の濡れ衣を着せられ、無知な群衆から罵詈雑言と泥炭を投げつけられたその場所に、今日、巨大な公開断罪台が設営されていた。
空を覆う冬の鉛雲の下、広場を埋め尽くしたのは数万人におよぶ王都の市民たち。 彼らの視線が注がれていたのは、壇上に膝をつかされ、鉄の鎖で幾重にも戒められた二人の大罪人だった。
一人は、豪奢な軍服を剥ぎ取られ、泥にまみれた元軍務卿アルブレヒト。 もう一人は、右腕全体を青白い氷の塊に変えられ、苦悶の表情で脂汗を流す特務枢機卿ザカリー。
「静粛に!」
壇上の中央、凛然たる声が響き渡った。
紫紺の豪奢なドレスを纏い、王都近衛騎士団を背に従えて歩み出たのは、ローゼンバーグ公爵家の令嬢ルナ。 その細い指先には、貴族院監査部が正式に受理した極秘文書の原本、そして教会密談室から押収された帝国との通信録が握られていた。
「貴族院大評議会ならびに王室監査部による徹底的な調査の結果、明白となった事実を宣告いたします」
ルナの澄んだ美声が、魔導拡声器を通じて広場の隅々にまで行き渡る。
「元軍務卿アルブレヒト、ならびに光の教会特務枢機卿ザカリー。両名は五年前、自らの私利私欲と権力独占のため、旧アスター領の古代鉱山および王都地下魔導中枢炉を不法に掌握しようと企てました。その過程において、国家への忠誠を尽くしていたアスター卿を陥れるべく、告発状を偽造し、領主一族を虐殺せしめたのです」
どよめきが、波のように群衆の間を駆け抜けた。
「さらに――両名は隣国たる覇権帝国と密約を交わし、王都の魔導心臓部を敵国へ売り渡す対価として、巨額の裏金と次期教皇の座を要求しておりました。ここに、帝国宰相府との暗号交信記録、ならびに軍事顧問派遣契約の原本を提示いたします!」
ルナが高々と掲げた羊皮紙に、王室の鑑定印と帝国の血判が鮮やかに浮かび上がる。
その瞬間、広場を埋め尽くしていた静寂は、すさまじい怒号と罵声の嵐へと反転した。
「国を売り渡していただと……!?」 「アスター卿は無実だったのか!?」 「教会に騙されていたんだ! 俺たちは義士を石で打ってしまったのか!」 「売国奴を引き裂け! 死刑だ! 今すぐ首を刎ねろ!」
かつてアスター家を嘲笑し、石を投げていた同じ口で、民衆は手のひらを返して壇上の二人へ憎悪の叫びをぶつけていた。
その狂騒を、断罪台の真後ろに立つ高楼の影から、見下ろしている影があった。
漆黒の外套に身を包んだ、十歳の少年ノア。 その胸の奥では、王都中枢炉と同期した【アスター・コア】が、静かに、澄み切った冷気のリズムを刻んでいる。
(……醜悪だな)
ノアの瞳には、怒りも、復讐を遂げたことによる昂揚も存在しなかった。 あるのは、ただ絶対零度のロジックによる観察だけ。
権力者の嘘に踊らされ、真実を知れば即座に正義面をして悪を糾弾する群衆。 彼らは五年前に父を殺した刃そのものであり、いま目の前の悪党を処刑しようとしている刃でもある。
大衆の称賛など、吹き抜ける隙間風以下の価値しかない。
「ひ、光の神よ……! 我が敬虔なる祈りを……なぜ見捨てられる……!」
断罪台の上で、ザカリーが見苦しく喚き散らしていた。 右腕を失い、法衣を泥で汚した老人は、天へ向けて血走った目を剥いている。
「黙りなさい、生臭坊主」
ルナが冷たく見下ろし、合図の右手を振り下ろした。
「神はお前のような害虫に、言葉など授けませんわ」
断罪台の執行人が、巨大な処刑刃の留め金を外した。
ガシャァァァンッ!!
重厚な鋼鉄の刃が落下し、二つの鈍い音が広場に響いた。 軍務卿アルブレヒト、そして特務枢機卿ザカリー。 王都を影から牛耳り、アスター家を滅亡へと追いやった二大巨悪の首が、石畳の上を無様に転がり落ちた。
ワァァァァァァッ……!
割れんばかりの歓声が、広場全体から沸き起こった。 正義の執行に酔いしれる民衆の熱狂。
だが、ノアはその瞬間すら、瞬き一つせずに冷徹に見届けていた。
(……父上。まず二つ、片付けたよ)
少年の心臓の奥底で、五年間にわたって澱のように溜まっていた冷たい棘が、わずかに一つ溶け落ちた。
処刑が終わり、群衆が散会した夕暮れ時。
ローゼンバーグ公爵邸の最上階、王都を一望できる静謐な貴賓室。 ルナが淹れた温かい紅茶の香りが漂う部屋で、ノアは机の上に置かれた【古代通信結晶盤】を見つめていた。 ザカリーの密談室から押収された、帝国宰相府との専用通信回線。
「王家から正式な親書が届きましたわ、ノア」
ルナがソファーに腰掛け、一通の金箔押しの書状を差し出した。
「アスター家の全領地の返還、ならびに爵位の回復。そして、五年前の冤罪に対する王室からの公式謝罪ですわ。……貴方は今日から、正真正銘の『アスター侯爵家当主』ですのよ」
「……形式的な肩書きに意味はない」
ノアは書状を一瞥もせず、紅茶に口をつけた。
「領地の運営はローゼンバーグ公爵家に一任する。僕に必要なのは、アスターの名ではなく――父上を嵌めた本丸の首だけだ」
「相変わらず、可愛げのないお答えですこと」
ルナは呆れたように肩を竦めたが、その紫紺の瞳には深い信頼と悦びの色が宿っていた。
「ですが、ええ……それでこそ私の共犯者ですわ。王都の腐敗を切り捨てたところで、この国を裏から操ろうとしていた巨悪は、まだ国境の向こうで健在なのですから」
その時だった。
――キィィィィン……。
机の上に放置されていた通信結晶盤が、触れてもいないのに突如として不気味な紫色の光を放ち始めた。 内蔵された古代術式が、遠隔地からの強制接続によって起動したのだ。
「……何ですの!?」
ルナが即座に身構え、魔導障壁を展開しようとした。 だが、ノアは片手を上げてそれを制した。
「動くな。……魔力侵食はない。ただの音声通信だ」
ノアが結晶盤の中央へ指先を触れさせると、結晶から冷酷にして底知れぬ威厳を湛えた男の声が響き渡った。
『――聞こえているか、アスターの遺児よ』
低く、地割れのように響く声。 その声の主は、王都の貴族たちのような浅ましい私利私欲など微塵も感じさせない、純粋な『国家の覇道』を体現する怪物の響きを持っていた。
「……お前が、帝国の宰相か」
ノアは眉一つ動かさず、結晶へ向けて淡々と返した。
『如何にも。我が名はクロムウェル。大帝国宰相にして、五年前のアスター領討伐計画を策定した者だ』
通信の向こうで、男は楽しむようにわずかに息を吐いた。
『アルブレヒトとザカリーという二匹の猟犬を、まさか十歳の子供が一人で処分するとは思わなかったぞ。……卿の父、アスター卿が命を賭して隠蔽した古代中枢炉の力、見事に受け継いだようだな』
「猟犬の首は落とした。……次は、飼い主のお前だ」
『くく……冷酷だな。実によい。情に流されず、数式のように敵を解体するその眼光……我が帝国にこそ相応しい逸材だ』
クロムウェル宰相の声が、一段と低く研ぎ澄まされた。
『だが、王都という狭い鳥籠の中の掃除はここまでだ。……我が帝国が真に求めているのは、古代炉の魔力だけではない。大陸の全土を揺るがす【原初巨神の心臓】。卿の父が世界の調和のために封じ込めたその鍵を、いずれ我が帝国が手に入れる』
「触れさせはしない。父上の遺産も、この国の命運も」
『ならば、奪いに来るがよい。……国境の防壁を越え、帝都ヴェルダンへ至る道はお前の血で凍りつくか、あるいは我が帝国の鉄騎に踏み砕かれるか。楽しみに待っているぞ、アスターの死神』
プツン……。
通信が一方的に切断され、結晶盤は静かに光を失った。 部屋の中に、沈黙が降りる。
ノアは静かに立ち上がり、貴賓室のバルコニーへと歩み出た。
見渡す限りの王都の夜景。 街灯の灯りが宝石のように煌めき、地下暗渠から解き放たれた古代中枢炉の冷涼な魔力が、澄み切った夜風となって街全体を包み込んでいる。
五年前、全てを奪われ、喀血しながら泥水を啜っていた病弱な少年は、いまや王都全域の地脈を掌握し、絶対の力を手に入れた。
だが、ノアの視線は王都の光など見ていなかった。 少年の黒い双眸が見据えているのは、遥かなる北の空――重厚な雲の向こう、国境を隔てた覇権帝国の暗雲。
コツリ、とハイヒールの音が響き、ルナがノアの隣に並んだ。 吹き抜ける夜風に、二人の外套とドレスが重なり合う。
「……宣戦布告、いただきましたわね」
ルナが夜空を見上げ、艶やかに微笑んだ。
「ローゼンバーグ公爵家の全財力と情報網を動員いたしますわ。帝国との国境地帯における軍事的圧力、そして貴族院の対外派閥の掌握……地上の戦いは、すべて私にお任せなさい」
「ああ」
ノアは左胸の【アスター・コア】にそっと触れた。 静かに、力強く、脈打つ命の鼓動。
「影の道は、僕が切り開く。……帝国の首魁を、一人残らず零度で終わらせる」
王都を蝕んでいた偽りの平和は終わりを告げた。 少年と少女の冷徹なる復讐劇は、いま一国の国境を越え、大陸全土を巻き込む巨大な決戦の幕開けを迎えようとしていた。
(第3章:王都断罪と、零度の心臓 編 完)
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
第3章「王都断罪と、零度の心臓 編」、これにて堂々の完結となります!
五年前の元凶であるアルブレヒトとザカリーを白日の下に晒して公開処刑し、アスター家の冤罪を完全に晴らすことができました。
民衆の勝手な手のひら返しを冷徹に見下ろすノアの復讐者としてのブレない姿勢や、帝国宰相クロムウェルからの宣戦布告、そしてルナ様との盤石な共犯関係など、第3章の集大成として熱量を込めて執筆いたしました。
次回からはいよいよ新章、国境を越えた巨大帝国との全面対決(第4章)が開幕いたします!
第3章をここまで楽しんでいただけましたら、ぜひブクマ登録や下部の【☆☆☆☆☆】から応援の評価をいただけますと執筆の大きな励みになります! 次章もどうぞよろしくお願いいたします!




