【第58話:「絶対零度の要塞と、五年前の因縁」】
『記憶を喰らう暗殺者の冷徹な復讐劇』第3章:白銀の帰還と、零度の心臓 編
【第58話:「絶対零度の要塞と、五年前の因縁」】
王都ローゼンバーグ公爵邸、深夜零時。 豪奢な執務室の扉がノックされ、影の連絡員が静かに一礼して歩み出た。
「ルナお嬢様。南麓の国境警備部隊より電報です。……避難民七十名、全員の収容を完了。公爵領の保護区へ向けて無傷で移動を開始いたしました」
書類仕事の手を止め、ルナ・ローゼンバーグは万年筆を机上に置いた。 部屋の隅では、全ての告発状に公爵家の印を押し終えて力尽きた継母イザベラが、床に崩れ落ちたまま意識を失っている。
「……よくやりましたわ」
ルナの冷たい唇に、微かな笑みが浮かぶ。
「これで、帝国が旧アスター領で行っていた非人道的な違法労働と、鉱山の私物化を裏付ける『七十名の生証人』が私の手中に収まりました。……明朝一番、貴族院監査部と帝国大使館へこの告発状を一斉に突きつけます。帝国の蜥蜴どもが言い逃れのできないよう、外堀は全て埋め尽くして差し上げますわ」
立ち上がり、ルナは窓の外に広がる王都の夜景を見つめた。 視線の先にあるのは、雪に閉ざされた遥か北の黒嶺山脈。
「……避難民という足枷は外れましたわよ、ノア。思う存分、貴方の冷徹な計算で帝国を切り刻みなさい」
同時刻、黒嶺山脈の北東街道。 猛烈な地響きと共に、白銀の雪原を切り裂いて行軍する黒鉄の軍列があった。 帝国正規殲滅部隊『白銀の猟犬』本隊、総員百二十名。 雪上を重厚なキャタピラで進む四門の【対要塞魔導攻城砲】が、威圧的な黒い砲身を夜空へと突き出している。
ヴェルナー率いる先遣班からの定時連絡が途絶したことで、鉱山内の異変を察知した指揮官ガレリアスは、魔導雪上車に過負荷をかけて全速行軍を命じていた。当初の予定より丸一日以上早く、山麓へと到達した部隊の先頭で、男は苛立たしげに吐き捨てる。
「ヴェルナーの無能め、たかがネズミ狩りに手間取って全滅したか。……バルトアンデルスの豚め、余計な証拠を消し損ねて野垂れ死に腐ったか。避難民どもが公爵領へ逃げ込んだ、だと? 笑わせるな」
ガレリアスは冷酷な笑みを浮かべ、腰の指揮剣を抜いた。
「所詮は王国の腑抜けた貴族どもだ。山ごと灰にして証拠を吹き飛ばせば、文句など言えるはずもない。……五年前のアスターの屋敷と同じようにな」
男の脳裏に、五年前の光景が蘇る。 炎上するアスター邸。結界を破られ、最後まで息子を庇って立ち塞がったアスター卿の胸を、自らの魔導槍で貫いたあの日。
「アスターの魔導遺産……【星霊石】さえ手に入れば、本国の皇帝陛下も我が失態を不問にするどころか、将軍の椅子を用意してくださる。……全砲門、山腹の主坑道入口へ照準! 障害物ごと吹き飛ばせ!」
ガレリアスの号令一下、四門の対要塞魔導砲が一斉に火を噴いた。
ドォォォォォォンッ!!
夜空を切り裂く極光。 着弾の轟音と共に、黒嶺鉱山の第壱層正面ゲートが、岩盤ごと粉々に破砕された。 濛々と立ち上る黒煙と雪煙。
「全重装魔導兵、突入! 中に潜むネズミどもを一匹残さず焼き尽くせ!」
六十名の重装兵が、赤熱する魔導ライフルを構え、吹き飛んだ坑道入口へと雪崩れ込んでいった。
その頃、地下第六層――古代中央管制室。 ノアは、巨大な環状魔導炉の前に立っていた。
懐から取り出した【星霊石】を、炉の中央の台座へと静かに収める。 カチリ、と精緻な歯車が噛み合う音が響いた。
「カルディスで回収した『第三設計図』の展開。……アスター家中央管制プロトコル、再起動」
ノアの指先が、空間に浮かび上がった青白い幾何学コンソールの上を滑る。 次の瞬間。
ヴゥゥゥゥゥン……ッ!
数年間眠りについていた黒嶺鉱山全体が、まるで巨大な生体のように覚醒した。 壁面の溝を走る古代の冷気魔導配管が一斉に蒼い光を放ち、坑道全域の換気シャフト、落石機構、防壁シャッターの管制権が、ノアの脳内へと完全に直結していく。
(帝国本隊百二十名、第壱層主坑道への侵入を確認)
ノアの瞳の奥で、無数の計算式が冷徹に弾き出されていく。 力押しでの正面衝突など、最初から選択肢にない。 この山全体が、父アスター卿が遺した、敵を確実に縊り殺すための巨大な処刑機械なのだ。
「……第壱層、および第弐層の換気孔、全閉鎖。古代排熱ライン、第参層へバイパス」
ノアが淡々とキーを叩く。
「外壁隔壁、第一から第四までを完全投下。……退路を遮断する」
第壱層の主坑道。 突入したガレリアス率いる帝国兵たちは、異様な静けさに眉をひそめていた。
「報告! 敵の姿はありません! 残党の死体すら見当たりません!」
「チッ、奥の層へ逃げ込んだか。鼠算式に追い詰めて――」
ガレリアスの言葉が途切れた瞬間。
ガギィィィィンッ!!
突入してきた坑道入口の頭上から、厚さ一メートルを超える巨大な黒鉄の古代防壁が、凄まじい地響きと共に垂直落下した。 完全に塞がれる外への出口。
「なっ……何事だ!? 退路が塞がれただと!?」
「た、隊長! 気温が……急速に低下しています!」
兵士の悲鳴が上がった。 密閉された坑道内。壁面の通気孔から、白銀の絶対零度冷気が猛烈な勢いで噴出し始めていた。 外気温を遥かに下回る、氷点下四十度の超極低温。 兵士たちの重装甲の表面が、一瞬にして白い霜で覆われ、潤滑油が凍りついて関節の駆動系が軋み始める。
「くそっ、トラップか! 魔導砲で隔壁を撃ち破れ!」
「だ、駄目です! 砲身内部の魔力伝達液が凍結して作動しません!」
パニックに陥る帝国兵たち。 その混乱の最中――壁面に設置された古代の魔導伝声管から、澄み渡るほどに平坦な、十歳の少年の声が響き渡った。
『――アスター家の実験室へようこそ』
その声を聞いた瞬間、ガレリアスの全身の毛穴が逆立った。
「この声……貴様、誰だ!? どこから見ている!」
『五年前の決算を行おう、ガレリアス執行官。……アスター領への不法侵入、屋敷の放火、そして父アスター卿への謀殺。利息を含めた未払金の総額を、貴様らの命で回収する』
冷徹にして、一片の慈悲も存在しない宣告。 暗闇に閉ざされた極寒の坑道で、帝国正規部隊を狩るための絶対零度のチェスゲームが、静かに幕を開けた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
王都での完璧な社会的包囲網の完成、そして黒嶺鉱山を舞台にした絶対零度の迎撃要塞戦が幕を開けた第58話でした。
避難民70名を保護して帝国を国際法違反で追い詰めるルナと、鉱山の古代管制炉を掌握して帝国正規軍120名を丸ごと密室へ閉じ込めたノア。5年前に父を手にかけた宿敵ガレリアスを前に、冷徹に「五年前の決算を行おう」と宣告するシーンにゾクッとしていただけたら幸いです。
「要塞化した鉱山のトラップが楽しみ!」「ガレリアスへのざまぁに期待!」と思っていただけましたら、ブックマーク登録や下部の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけますと執筆の大きな励みになります!
次回、閉鎖空間での各個撃破と、冷徹なチェスゲーム。どうぞお楽しみに!




