【第57話:「極寒の激突と、白銀の解体」】
突風が雪煙を巻き上げ、視界を白銀に閉ざす。 だが、ノアの視界には障害など存在しなかった。 【超精密解析】の幾何学方陣が網膜の奥で明滅し、突進してくる巨大な影の全身骨格、筋肉の収縮率、装甲の継ぎ目、果ては放散される熱量の推移までを瞬時に数値化していく。
(対象、戦闘獣【装甲白狼】。体長二・六メートル、推定重量四百八十キロ。突進速度、時速六十五キロ。……騎乗者、ヴェルナー。右腕の魔導大剣から放射される熱量は約千二百カルドル)
赤黒い魔導大剣を振り上げたヴェルナーが、猛吹雪を引き裂いて咆哮した。
「死ねェッ! アスターのネズミがァッ!」
白狼の巨躯が雪を蹴り、頭上からノアを圧殺せんと影を落とす。 灼熱の魔導大剣が、周囲の雪を一瞬で蒸発させながら振り下ろされた。
だが、ノアの足取りに乱れはない。 少年は右足の爪先で、雪下の岩盤をトン、と軽く叩いた。 直前にバルトアンデルスから奪ったスキル【鉱山統制・地脈共鳴】。
(地殻振動周波数を同期。……雪層下、第三亀裂を展開)
ズズンッ。 白狼の前足が着地するまさにその瞬間、踏みしめた雪の底の氷盤が、ノアの魔力によって音もなく破砕された。 右前脚の足場を突如として失った白狼の巨体が、慣性のまま大きく右前方に傾ぐ。
「なっ……前脚を取られただと!? 立て、白狼ッ!」
「体勢崩落角、二十三度。迎撃ベクトル確定」
ノアは振り下ろされた灼熱の大剣の軌道を、半歩の身のこなしだけで紙一重にかわした。 轟音と共に大剣が岩盤を叩き割り、蒸発した雪が白い霧となって噴き上がる。
その白煙のただ中。 ノアの両手には、二振りの氷晶短剣が握られていた。
胸元に収めた【星霊石】が、冷たく共鳴している。 かつて他者から奪い取った魔力回路を心臓に継ぎ接ぎして動かしていたノアの体内。その不純な回路を通る魔力が、胸元の原初結晶とリンクした瞬間、一切の抵抗を失って光速に近い速度で指先へと駆け巡った。
(魔力伝達効率、四百パーセントへ一時上昇。……熱衝撃による脆化演算、完了)
ノアの短剣が、白狼の首元を覆う重装甲のリベット、そしてヴェルナーが握る灼熱の魔導大剣の刀身へと、寸分の狂いもなく突き刺さった。
千二百カルドルの灼熱を帯びた魔導鋼。 そこへ、絶対零度の氷結魔力がピンポイントで注入される。
極限の熱と、極限の冷気の衝突。 金属組織が分子レベルで悲鳴を上げ、急激な熱収縮による歪みが走る。
――ピキィィィィンッ!
「な……ッ!?」
ヴェルナーの目が驚愕に見開かれた。 帝国軍が誇る頑強無比な魔導大剣が、まるで安物のガラス細工のように、根元から粉々に砕け散ったのだ。 それだけではない。装甲白狼の首と四肢を拘束していた装甲板が、同じく熱衝撃脆化によって一斉に粉砕され、剥離した鉄片が雪原に散らばる。
「ヒィンッ!?」
無防備となった白狼の頸動脈へ、ノアの左の短剣が一閃した。 切断と同時に傷口は凍結され、一滴の血すら散らすことなく、巨大な戦闘獣は沈黙して雪原へと崩れ落ちた。
「ば、化け物め……! 我が白狼と大剣を一撃で……ッ!?」
鞍から投げ出されたヴェルナーが、腰の予備短剣を引き抜こうと手を伸ばす。 だが、その指先が柄に触れることはなかった。
背後に回り込んでいたノアの右足が、ヴェルナーの両膝の裏を正確に踏み砕いていた。
ゴキッ、と鈍い音が響き、屈強な重装歩兵が雪の上へ跪く。
「ぐ、あぁぁぁッ!?」
「無駄に動くな。筋肉の収縮で凍傷が広がる」
ノアの氷の短剣が、ヴェルナーの喉仏を冷たく押し留めていた。 見下ろすノアの瞳は、まるで実験台の標本を観察するかのように感情が欠落している。
「貴様……何者だ……! こんな辺境の鉱山に、これほどの怪物が潜んでいるなど……帝国は……聞いてなど……」
「質問の主導権は貴様にはない。……帝国の追撃本隊『白銀の猟犬』の正確な陣容を照合する」
「ふ、ふざけるな……! 帝国の特務兵が、ガキの尋問などに屈すると思うか……! 貴様が誰であれ、本隊が来れば山ごと消し炭に――」
「口頭での回答は要求していない」
ノアの冷たい左手が、ヴェルナーの頭頂部を鷲掴みにした。
「【記憶捕食】」
ドチュッ、と神経を直截に穿つ音が響く。 ヴェルナーの身体が弓なりに反り、眼球が小刻みに震動した。
ノアの脳内へ、先遣隊長の脳髄から軍事機密が直接ダウンロードされていく。
(本隊総員、百二十名。重装魔導兵六十、対要塞魔導砲四門。……進軍ルートは北東の主街道)
そして、その本隊を率いる男の顔と名が、記憶の深淵から浮かび上がった。
(総指揮官、特務執行官ガレリアス……)
五年前、ノアが五歳のあの日。 バルトアンデルスの手引きでアスター家の防衛結界を破り、屋敷に火を放った帝国部隊の現場責任者。 ノアの眼前で、父の胸を貫いた張本人の記憶。
(……五年前の主犯が、自ら首を差し出しに来たか)
ノアの冷え切った意識の底で、計算式が淡々と組み上がっていく。 復讐の対象が、自らの足でこの雪山へと歩いてきているのだ。
「……情報価値、回収完了」
ノアが手を離すと同時に、生体魔力を吸い尽くされたヴェルナーの肉体は青白く凍りつき、音もなく風化して雪原の染みとなった。
同時刻、黒嶺山脈の南麓。 猛吹雪が幾分か和らいだ針葉樹林の切れ目に、漆黒の馬車群が整然と並んでいた。 車輪には雪上用の滑り止めが施され、車体にはローゼンバーグ公爵家の誇り高き銀の紋章が刻まれている。
「つ、着いた……! 下界だ……!」
シオンとリアに支えられ、深雪を抜け出た避難民七十名が、次々と雪原に膝をついた。 出迎えたのは、公爵家の分厚い防寒外套を纏った正規警備隊と、温かいスープ樽を抱えた使用人たちだった。
「避難民の皆様ですね。こちらへどうぞ! 温かい馬車を用意してあります!」
湯気を立てる肉と野菜のスープ、厚手の毛布が手渡されていく。 極寒の地獄から生還した老人や子供たちが、震える手でスープをすすり、次々と涙を溢れさせた。
「あ、温かい……神様……本当に、助かったんだねぇ……」
元厨房長のマルタは、毛布にくるまりながら、山頂の白銀の峰を振り返った。 そこには猛吹雪が吹き荒れ、何一つ見えない。
「シオンさん……あの子は……ノア坊ちゃんは、本当に大丈夫なのかい……?」
マルタの問いに、シオンは馬車の屋根に積もった雪を払いながら、静かに首を横に振った。
「案ずるな。あのお方が立てた計画に、誤差など生じない」
シオンは懐から、ルナから預かっていた公爵家の移動許可証を取り出し、輸送隊の責任者へ手渡した。
「全七十名の収容を確認した。これより王都迂回ルートにて領民を公爵領へ移送する。……坊ちゃんが戻るための“家”を、我々が守るぞ」
「了解!」
大型馬車群の車輪が軋み、雪煙を上げてゆっくりと動き出した。 七十名の命は、完全に帝国の魔の手から逃れたのだ。
黒嶺山脈、切り立つ断崖の頂。 猛烈なブリザードが吹き荒れる中、ノアは単身、南の麓を見下ろしていた。
【超精密解析】の視界が、山麓を離れていく馬車群の熱源を捉える。 最後尾の馬車が国境警備線を越え、公爵家の勢力圏へと滑り込んでいくのが確認できた。
(……避難民七十名の脱出、完了)
ノアの瞳から、護衛という名の一切の制約が消え失せる。
胸元に手を当てると、冷たく、だが確かな鼓動を刻む【星霊石】の脈動が掌に伝わってきた。 懐には、カルディスで回収した三枚の設計図。 そして目の前には、五年前の仇敵ガレリアス率いる、百二十名の帝国正規殲滅部隊。
「これで、計算の邪魔になるノイズはすべて排除された」
十歳の暗殺者は、白銀の吹雪の中、静かに反転した。 その歩みは、逃走ではなく――古代の防衛兵器が眠る、黒嶺鉱山最深部へと向かっていた。
「迎え撃つ。……アスター家の領域で、すべての決算を終わらせる」
冷徹な瞳が、迫り来る帝国の軍勢を狩るための罠を描き始めていた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
帝国先遣隊の粉砕、そして領民70名の脱出完了が描かれた第57話でした。
熱衝撃脆化による大剣と装甲の完全破壊、【星霊石】との共鳴による出力上昇、そして記憶捕食で暴かれた「五年前の仇敵・ガレリアス」の存在と、ノアのロジカルな強さが際立つバトルとなりました。
無事に南麓へ逃れた領民たちを見届け、守るべき制約がなくなったノア。ここからはいよいよ、迫り来る帝国本隊120名を鉱山ごと迎え撃つ、孤高の迎撃戦へと突入します!
「大剣を粉砕する解体戦が最高だった!」「五年前の仇敵との対決が待ちきれない!」と思っていただけましたら、ブックマーク登録や下部の【☆☆☆☆☆】から応援のポイント評価をいただけますと執筆の大きな励みになります!
次回、黒嶺鉱山の古代防衛機構起動。どうぞお楽しみに!




