【第54話:「深淵の導火線と、白狼の迎撃」】
深夜二時三十分。
外郭の見張り塔三箇所と魔導探査レーダーを完全沈黙させたノアたちは、鉱山本坑口の巨大な鉄扉の前へと集結していた。
坑口からは、硫黄の混じった生温かい蒸気と、深層から立ち上る微小な冷気の奔流が、不気味な軋み音を立てて漏れ出している。
「作戦の最終確認を行う」
ノアは漆黒の魔導防寒外套のフードの下から、平坦な声で十六名の夜鴉たちを見据えた。
「バルトアンデルスは主支柱三十箇所に魔導火薬を設置している。目標は親信管のある最深部・第六層の封印大扉前だ。……リア」
「はっ」
煤けた作業着姿のリアが進み出る。
「お前は第三潜入班の七名を率い、第一層から第五層までの導火線および子信管を全て凍結切断しろ。連鎖爆破のルートを寸断し、親信管が押されても山体が崩落しないよう物理回路を断ち切るんだ」
「了解いたしました。信管の破壊、四分以内に完了させます」
「シオン」
「御意」
巨漢のシオンが、重々しく頭を垂れた。
「第一層から第三層の強制労働区画に収容されている領民を、全員坑道の外へ叩き出せ。動けない者は担ぎ、南の廃坑道出口へ追いやるんだ」
「ノア様……その者たちの受け入れ先は、如何なさいますか」
シオンの問いに、ノアは感情を一切交えずに答えた。
「王都のルナへ暗号回線を通した。公爵家の印鑑を用いた『不法労働被害者の保護名目』で、南の麓に偽装輸送馬車十台がすでに待機している。……そのままローゼンバーグ公爵領の鉱山と農地へ直行させ、戸籍を上書きする」
「公爵領へ……!」
「勘違いするな。慈善事業ではない」
ノアは冷淡に言い切った。
「彼らは旧アスター本邸で教育を受けた熟練の庭師、料理人、そして黒嶺の鉱脈を知り尽くした技術者たちだ。野垂れ死にさせるより、ルナの領地に投じた方が年間生産効率が八%向上する。……王都でバルトアンデルスを法的に断罪するための『生きた証人』としても利用価値がある。だから拾い上げるだけだ」
切り捨てるような、損得勘定の論理。
だが、シオンはその冷たい瞳の奥にあるものを感じ取り、深く胸に手を当てた。
「……承知いたしました。不要な荷物を回収し、公爵領の資産として確実に送り届けます」
「行け。……最深部は、俺が単独で落とす」
ノアの号令と同時に、十六名の影が一瞬にして暗黒の坑道へと散っていった。
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地下第二層、強制労働収容区画。
冷たい岩肌に囲まれた粗末な木柵の奥で、数十人の老人や女性たちが、寒さに震えながら身を寄せ合っていた。
その最前列、泥にまみれたエプロンを握り締めていた老婆――かつて旧アスター本邸の厨房長を務めていたマルタが、通路の足音に怯えて顔を上げた。
「ひぃっ……もう、叩かないでおくれ……! 明日には、ちゃんと石炭を運ぶから……!」
だが、現れたのは鞭を持った傭兵ではなかった。
雪中迷彩のマントを纏った筋骨隆々の男たち――シオン班の面々だった。
シオンは無言のまま、木柵の錠前を手甲で強引にへし折ると、荒々しく扉を引き開けた。
「騒ぐな。全員立ち上がれ」
低く威圧的な声に、領民たちが息を呑んで後退りする。
「あ、貴方たちは……傭兵の方じゃないの……? 私たちを、どこへ連れて行く気だい……?」
震えるマルタの問いに対し、シオンはノアから命じられた通りの、無機質な言葉を吐き出した。
「我らは救助隊ではない。……作戦行動の邪魔になる荷物を、坑道から排除しているだけだ。死にたくなければ、配給する防寒具を羽織り、南の抜け穴へ走れ」
背後の隊員たちが、木箱から取り出した厚手の毛布と、干し肉の入った配給袋を次々と領民たちの手へ押し付けていく。
さらにシオンは、マルタの枯れ枝のような手を取り、一枚の真鍮の通行札を握らせた。
そこには、王都の名門・ローゼンバーグ公爵家の紋章が刻印されていた。
「麓に馬車が待機している。その札を見せれば、王都の豊かな領地へ運ばれ、新しい家業が与えられる手筈だ。……何があっても、後ろを振り返るな」
マルタは手の中の紋章を見つめ、そしてシオンたちの統率された動きを見据えた。
言葉は荒く、冷淡そのもの。
だが、差し出された毛布は新しく、干し肉は上質で、逃走経路の安全は完璧に確保されていた。
「……このやり方……」
マルタの瞳から、大粒の涙が溢れ出た。
かつて本邸で、決して『ありがとう』とは言わずに、気に入った料理だけを無言で平らげて皿を綺麗に返してきた、あの偏食で病弱だった小さな坊ちゃん。
「ああ……坊ちゃん……。あの方が、私たちを……」
「無駄口を叩くな、老婆」
シオンは背を向け、冷徹に退路の防衛へと意識を切り替えた。
「急げ。ここは間もなく、戦場になる」
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一方、ノアは単身、地下第五層の主連絡路を疾走していた。
深度が増すごとに、気温が不自然に急降下していく。
壁面の岩肌には青白い結晶がこびりつき、大気そのものが凍りついたような重圧――最深部に封印されている【星霊石】が放つ、原初の冷気毒素。
常人ならば肺腑を凍らせて数分で絶命する死の空間。
だが、ノアの首元を包むルナの魔導防寒外套が、銀色の術式光を淡く明滅させ、有毒な魔力粒子を完全に弾き返していた。
(……二重結界術式の自動展開。毒性魔力の侵入率、ゼロ。ルナの計算通りだ)
ノアが通路の角を曲がった瞬間、前方の巨大な鉄骨梁の影から、凄まじい風切り音が迫った。
――ガァンッ!
ノアはコンマ一秒の差で身を沈め、頭上を通過した巨大な戦斧を躱した。
衝撃波だけで側壁の岩盤が派手に砕け散る。
「ほう……。見張り塔の連中が音もなくくたばったと思えば、ネズミどころか、小蝿が一匹紛れ込んできたか」
土煙の向こうから現れたのは、身の丈二メートルを超える巨漢。
全身を重厚な魔導複合装甲で固め、血塗られた大型戦斧を肩に担いだ男――私設傭兵団【白狼隊】隊長、ヴォルフだった。
帝国の重装甲歩兵部隊を脱走した元凄腕の傭兵。その肉体からは、歴戦の殺戮が放つ濃厚な血臭が漂っている。
「ガキが迷い込む場所じゃねえぞ。……誰の差し金だ? 王都の犬か、帝国の使いか?」
ヴォルフが獰猛な笑みを浮かべ、戦斧を構える。
だが、ノアは足を止めることすら、その問いに答えることすらしなかった。
走り抜ける速度を一切緩めず、両手に二本の氷晶短剣を滑り込ませる。
(【超精密・魔導工学解析】、起動)
ノアの黒い瞳の奥で、幾何学模様が超高速で演算を開始した。
視界の中のヴォルフの姿が、骨格、筋肉、そして纏っている魔導鎧の設計構造式へと分解されていく。
(……帝国製・旧式第四種耐魔装甲。左鎖骨部の接続ラッチに金属疲労あり。胸部装甲と肋骨の隙間、三・二ミリ。関節駆動部の防護術式、魔力循環の同期に〇・一五秒の遅延)
欠陥の塊。
カルディスでゼノンの超高周波ブレードと死線を演じたノアにとって、この男の装甲はただの『隙だらけの鉄屑』に過ぎなかった。
「死ねや、クソガキがァッ!」
ヴォルフの戦斧が、岩盤を両断する勢いで斜め上段から振り下ろされた。
不可避の剛撃。
だが、ノアはその刃の軌道を紙一重で滑り抜けた。
踏み込みと同時に、左手の短剣をヴォルフの左肩の接続ラッチへ突き刺す。
ガキンッ!
「無駄だ! 俺の鎧に小刀なんぞ――」
「【絶対凍土】、浸透展開」
ノアが淡々と呟いた瞬間。
短剣の切っ先から、超高密度の極冷魔力が装甲の隙間へ一気に流し込まれた。
鎧の内側を巡る生体魔力ラインが瞬時に凍結。次の瞬間、金属の熱収縮によって装甲板がバキバキと音を立てて破断した。
「なっ……!? が、あぁぁぁっ!?」
肉体と装甲が内側から凍りつき、ヴォルフの動きが完全に静止した。
ノアはその無防備になった喉元へ、右手の短剣を吸い込まれるように滑り込ませた。
プスリ、と冷たい感触。
頸動脈と気管が、刃先から放たれた氷によって一瞬で凍結切断される。
血飛沫すら上がらない。
巨漢の傭兵隊長は、自らの喉を押さえながら、膝から崩れ落ちた。
「……無駄口を叩くな」
ノアは振り向きもせず、駆け抜けざまに言い捨てた。
「装甲の溶接が二ミリずれている。欠陥品を過信するな」
倒れ伏すヴォルフを足蹴にして飛び越え、ノアは最深部へと続く大空洞へと突入した。
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地下第六層。
かつて父アスター卿が築き上げた、古代の封印大扉がそびえ立つ最深の採掘区画。
扉の隙間からは、神々しくも禍々しい蒼白の魔力光が漏れ出し、空間全体の空気を凍てつかせていた。
その大扉の前。
金銀財宝や権利書を詰め込んだ巨大な革袋を足元に置き、脂汗を垂れ流しながら震えている男がいた。
バルトアンデルス伯爵。
かつてアスター家の副当主として父に仕え、最後は帝国へ情報を売って一族を惨殺せしめた裏切り者。
男の右手には、坑道全域の主支柱に仕掛けられた魔導火薬を起爆するための、親信管スイッチが握り締められていた。
「く、来るな……! 誰だ、貴様は……!? ヴォルフはどうした!?」
暗闇から現れた漆黒の少年の姿を見て、伯爵は甲高い悲鳴を上げた。
常軌を逸した恐怖と焦燥。王都からの監査官派遣の報せと、カルディス壊滅の凶報が、この男の精神を完全に崩壊させていた。
「ひ、ヒィッ……! ガキだと……!? なぜガキがここにいる……!?」
伯爵は狂ったように笑い、起爆スイッチの親指に力を込めた。
「誰の差し金か知らんが、一歩でも近づいてみろ! このスイッチを押せば、三十本の主支柱が一斉に爆発し、この鉱山も、山麓の村も、貴様も全て土砂の下だ! 誰もここから生きては出られんぞ!」
狂気の脅迫。
だが――。
ノアは足を止めるどころか、一定の歩幅を崩さずに真っ直ぐと歩み寄ってきた。
足音すら立てない、死神の歩行。
「ひっ……!? き、聞こえんのか!? 押すぞ! 押して全員道連れにしてやるッ!」
伯爵の指が、スイッチの信管を押し込もうとした。
ノアの瞳の奥、暗黒の深海が冷ややかに輝いた。
「……押せばいい」
吐き出された声は、大気の凍結毒よりも冷え切っていた。
「リア班による子信管の凍結切断は、すでに九十二%完了している。起爆するのは貴様の足元の二本だけだ」
「な……な、んだと……!?」
ノアは短剣を逆手に構え、獲物の喉笛へと照準を合わせた。
「そして――お前の親指がスイッチを押し込むコンマ二秒の間に、お前の右腕の運動神経を四箇所、切断する」
「ヒッ――!?」
「久しぶりだな、叔父上。……アスター家の決算報告を始めよう」
逃げ場なき深淵の底。
父を裏切った男の頭上に、十歳の死神の刃が静かに振り下ろされようとしていた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
深淵の鉱山突入、そして三面作戦が鮮やかに決まった第54話でした。
リア班の神速の信管切断、白狼隊隊長ヴォルフを一瞬で解体するノアの圧倒的強さ……!
そして何より、「公爵領の生産効率が上がるからだ」「生きた証人だ」と冷酷な損得勘定を並べながら、かつて自分を慈しんでくれた厨房長マルタたちを一番安全な場所へ逃がすノアの歪んだ救済。
冷たい言葉と裏腹な行動に、マルタが涙するシーンは書いていて胸が熱くなりました。
そしてラスト、ついに追い詰めた裏切り者・バルトアンデルス伯爵!
「アスター家の決算報告を始めよう」――逃げ場を失った叔父に対し、十歳の死神がどんな冷徹な断罪を下すのか!?
「ノア様の瞬殺劇が爽快すぎる!」「いよいよ復讐の決算……次回が待ちきれない!」と思っていただけましたら、
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次回、バルトアンデルス伯爵の処刑と、父の遺産【星霊石】の奪還。どうぞお楽しみに!




