第4話:「沈黙の金庫と、反逆の令嬢」
筆頭執事であったクラウスの最期は、彼自身の狡猾さに相応しく、あっけないほど静かなものだった。
自ら用意した猛毒の紅茶を飲み干し、絶命したクラウス。
ノアは感情の動かない瞳でその骸を見下ろすと、奪い取っていた『氷の魔法』を発動し、遺体を芯から凍結させた。そして強化された握力で無造作に叩き割り、氷の塵へと変えて別邸の暖炉へと放り込んだ。
遺体も、凶器も、すべては炎と水蒸気の中に消えた。
これで、別邸からクラウスという人間を構成する物理的な痕跡は完全に消滅したことになる。
「……さて。これで目障りな監視役は消えたわけだけど」
ルナが、特等席のソファから優雅に足を組み替えながら口を開いた。
先ほどまで青ざめていた彼女の顔色には、微かに血の気が戻っている。自分を苦しめていた元凶が目の前で惨めに砕け散ったことで、彼女の中で死にかけていた『生への執着』が息を吹き返したのだ。
「本邸の人間が、クラウスの失踪を黙って見過ごすとは思えないわ。あの男は、私を緩やかに殺すために『継母(お義母様)』が送り込んだ大切な手駒だもの」
「分かっている。だから、奴には『夜逃げ』をしてもらう」
ノアは暖炉の火を冷たい目で見つめながら、淡々と答えた。
「夜逃げ?」
「ああ。クラウスの魔力と思考の残滓は、死ぬ直前にすべて俺が『喰った』。奴は継母に忠誠を誓っているふりをしながら、裏ではかなり好き勝手に別邸の資金をくすねていたようだからな」
ノアはルナを伴い、クラウスが私室として使っていた部屋へと向かった。
部屋の奥、分厚い絨毯の裏に隠されていたのは、重厚な鋼鉄製の隠し金庫だった。
物理的な鍵穴はない。特定の魔力波長と、あらかじめ設定された『合言葉』にのみ反応して開く、複雑な魔力封印が施されている。
無理にこじ開けようとすれば、内部の焼夷魔法が発動し、中身ごと灰になるという厄介な代物だ。
「……随分と立派な金庫ね。本邸の魔導技師にでも作らせたのかしら。でも、物理的に開けられないなら――」
「問題ない。鍵なら、俺の頭の中にある」
ノアは金庫の表面にそっと手を触れた。
目を閉じ、自身の奥底に沈んだ【冥界神の捕食】の淀みへと意識を潜らせる。
ノアの脳内に、喰らったクラウスの記憶がノイズ混じりの映像となって再生される。
傲慢な優越感、金貨の擦れ合う音、そして、本邸の女主人(ルナの継母)に対する歪んだ劣情。
「……本当に、救いようのないクズだな」
ノアは不快感に眉をひそめながらも、自身の魔力波長を、喰らったクラウスのそれと完全に『同調』させた。
そして、金庫の封印に向けて、忌々しい合言葉を口にする。
「――『すべては、美しきイザベラ様のために』」
カチリ、と。
重厚な金属音が響き、絶対に開かないはずの魔力金庫の扉が、ゆっくりと開いた。
中から出てきたのは、まばゆい光を放つ大量の金貨と宝石、そして、別邸の予算を何年にもわたって誤魔化し続けていたことを示す『裏帳簿』だった。
ルナは裏帳簿を手に取り、パラパラとページをめくって冷笑した。
「……呆れた。私の食事の質を落とし、ドレスの修繕費まで削って、これだけの額を溜め込んでいたのね。本当に、泥棒猫も真っ青の横領だわ」
「これで筋書きは完成だ。クラウスは『横領の事実がルナ様に露見しそうになり、慌てて別邸の金を持ち出して逃亡した』。本邸にはそう報告する」
これで本邸の継母も、不用意に騒ぎ立てることはできない。クラウスの横領が公になれば、彼を推薦した継母自身の顔に泥を塗ることになるからだ。
「完璧なロジックね。……ん? ノア、どうかしたの?」
ルナが顔を上げると、ノアは金庫の一番奥底から、一枚の『焼け焦げた羊皮紙』を取り出し、釘付けになっていた。
「ノア……? それは……」
ノアの瞳が、限界まで見開かれている。
その羊皮紙の切れ端には、暗号化された取引記録と共に、ある『暗殺任務』の断片が記されていた。
そして、その実行犯のリストの先頭には、見覚えのある紋章――ローゼンバーグ家の裏仕事を取り仕切る部隊の印が押されていたのだ。
標的の欄に書かれていた文字。
それは、『アスター侯爵家・当主夫妻』。
(……間違いない。俺の両親を殺したのは、やはりこの家の連中だ)
偶然か、それともクラウスが継母の弱みとして密かに保管していたのか。
いずれにせよ、ノアの中でくすぶっていた復讐の炎に、決定的な油が注がれた瞬間だった。
「……いや、何でもない。ただの紙くずだ」
ノアは燃え盛る感情を分厚い氷の奥底に封じ込め、羊皮紙を密かに懐へとしまった。
***
それから、三日が経過した。
ノアの筋書き通り、クラウスの『横領と逃亡』の報告を受けた本邸は沈黙した。
しかし、継母がそのまま引き下がるはずもない。
予想通り、本邸から新たな『使者』を乗せた豪奢な馬車が、別邸の門を叩いた。
サロンに案内されてきたのは、継母の腰巾着として有名な初老のメイド長・マーサと、その背後に控える筋骨隆々の護衛の騎士だった。
「ごきげんよう、ルナ様。お顔の色が優れないようですわね」
マーサは丁寧なお辞儀の形をとりながらも、その声色にはルナを見下す明確な棘が含まれていた。
「クラウスが別邸の金をくすねて逃げたなどと……本当に、嘆かわしいことです。やはり、病弱なルナ様には、使用人の管理など荷が重すぎたのですよ。イザベラ奥様もひどく心配しておられました」
「……」
「奥様からの伝言です。これ以上、ローゼンバーグ家の恥を晒すことがないよう、これからの別邸の管理はすべて、このマーサにお任せください、と。ルナ様はどうか、お部屋で『静かに』伏せっていてくださいませ」
それは事実上の、別邸の完全な乗っ取り宣言だった。
マーサが鼻先でせせら笑い、背後の騎士が威圧するように一歩前に出る。
病弱で無力な令嬢など、大柄な騎士が少し睨みつけるだけで震え上がる。彼らはそう確信していた。
だが。
「……少し、距離が近いな」
ルナの背後に控えていた十歳の少年が、無感情な声で呟いた。
「あぁん? なんだお前は。どこから入り込んだ野良犬か知らないが、名誉ある本邸の騎士に向かって――」
騎士がノアを黙らせようと、剣の柄に手をかけた、その瞬間だった。
ドクンッ、と。
サロンの空気が、異常な重さを持って歪んだ。
騎士の動きが、完全に停止する。
柄にかけた手が、ガタガタと痙攣するように震えている。
「え……?」
マーサが怪訝な顔で騎士を見上げる。
大柄な騎士の顔からは、一瞬にして全ての血の気が失せ、滝のような冷や汗が吹き出していた。
ノアは、一歩も動いていない。武器すら抜いていない。
ただ、その深海の底のような瞳で、騎士を『見た』だけだ。
だが、ノアの内に封じられた【冥界神の捕食】が、これまでに喰らい尽くしてきた『暗殺者たちの命と凄惨な殺意』を、不可視の圧力として騎士一人に向けて解放していたのだ。
騎士の生存本能が、警鐘を通り越して絶望の悲鳴を上げている。
(剣を抜けば、死ぬ。動けば、死ぬ。瞬きをしても、死ぬ……っ!!)
圧倒的すぎる『格の違い』。
底辺の少年に向けられた眼光だけで、エリートであるはずの本邸の騎士は、呼吸すら忘れて石像のように凍りついてしまったのだ。
「……き、騎士殿? どうしたのです、こんな野良犬――」
「マーサ」
不意に、鈴を転がすような、しかし絶対零度の冷たさを帯びた声がサロンに響いた。
マーサがビクッと肩を震わせて視線を戻すと、そこには、これまで常に怯え、俯いていたはずのルナが、背筋を真っ直ぐに伸ばして優雅に微笑んでいた。
「誰の許可を得て、私のサロンで吠えているのかしら」
「ル、ルナ……様……?」
その姿は、病弱な操り人形などではない。
美しく、誇り高く、そして他者をひれ伏させる絶対的な威厳を持った『ローゼンバーグ公爵家の真の令嬢』そのものだった。
クラウスの毒から解放され、ノアという最強のロジックを手に入れたことで、彼女に本来備わっていた『王者の気品と狂気』が完全に覚醒したのだ。
「クラウスの管理ができていなかったのは、彼を推薦したお義母様の方でしょう? 勘違いしないでちょうだい。私はもう、誰の指図も受けないわ」
ルナは扇子をパチンと閉じ、恐怖で顔を引きつらせるマーサを見下ろした。
「その震えている使えない番犬を連れて、さっさと帰りなさい。そしてお義母様に伝えなさい。……『私の別邸に、これ以上汚い靴で踏み入るな』と」
「ひっ……!」
マーサはルナの圧倒的な威厳と、背後に立つ少年の底知れぬ気配に完全に呑み込まれ、悲鳴のような声を上げてサロンから逃げ出した。
凍りついていた騎士も、弾かれたように後を追って転がり出ていく。
バタン、と扉が閉まり、サロンに再び静寂が戻った。
「……ふふっ、あはははっ!」
ルナは堪えきれないというように、美しい声で軽やかに笑い出した。
「見た、ノア!? あのマーサの滑稽な顔! ああ、なんて胸がすくのかしら。生きていて、こんなに素晴らしい気分になったのは初めてよ!」
頬を上気させ、心からの歓喜に打ち震えるルナ。
その姿を静かに見つめながら、ノアもまた、薄く口角を上げた。
「まだ序の口だ。お前を縛る奴らは、俺のロジックで全員残らず引きずり下ろしてやる」
別邸という小さな籠を掌握し、本邸に対して明確な反逆の牙を剥いた二人。
彼らの血塗られた共犯関係は、もはや誰にも止めることのできない破滅への狂騒曲へと変わろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます!
クラウスの事後処理から始まり、隠し金庫の謎解き、そして本邸からの使者撃退まで!
今回は物理的なバトルというより、ノアの「圧倒的な強者の気配(殺気)」と、覚醒したルナの「悪役令嬢ムーブ」でスカッとしてもらう回にしてみました。
(ルナが自信を取り戻して生き生きと反撃するシーンは、書いていてすごくテンションが上がりました!)
そして金庫の奥で見つけた、ノアの過去に繋がる手がかり……。
ここから二人は、ついに別邸を飛び出し、貴族社会のドス黒い闇(本邸)へと本格的に斬り込んでいきます。
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引き続き、ノアとルナの復讐劇にお付き合いよろしくお願いいたします!




