【第30話:「海霧の街と、哀しき死神」】
王都から馬を飛ばし続け、丸一日。
ノアと【夜鴉】の精鋭たちは、濃い海霧に包まれた国境の歓楽港町『カルディス』へと足を踏み入れた。
鼻を突くのは、強い潮の匂いと、路地裏に染み付いた腐臭、そして安酒の饐えた匂い。
表向きは自由貿易港として栄えるこの街だが、一歩裏通りへ入れば、そこは帝国と王国のならず者たちが蠢く暴力と欲望の掃き溜めである。
「……酷い霧ですね。王都の整備された夜とは大違いだ」
アッシュが漆黒のコートの襟を立てながら、油断なく周囲へ視線を走らせる。
その傍らでは、シオンが重盾を背に無言で周囲の気配を探り、リアが指先で短剣の柄を弄りながら舌打ちをした。
「それに、歓迎の仕方も下品極まりないわ。……ねえ?」
リアの冷たい声に呼応するように、濃い海霧の中から、ジャラジャラと無骨な金属音を響かせて数十人の男たちが姿を現した。
彼らは皆、薄汚れた革鎧や粗悪な魔導武器を手にしている。
この港町カルディスの裏社会を牛耳り、帝国の密輸を手引きしている地元マフィアの構成員たちだった。
「ひひっ……王都からお偉い貴族様の使いが来るって聞いてりゃあ、なんだ? ガキの遠足かよ」
群れを掻き分けて前に出てきたのは、顔に巨大な傷跡を持つ巨漢の男だった。
カルディスの裏ギルドを束ねるボスの一人。その全身からは、二流とはいえ濃密な土属性の魔力が立ち昇っている。
「ローゼンバーグ公爵家からの『お触れ』は届いてるぜ。この港で何か探し物をしてる奴らがいるから、手を出さずに見過ごせってな。……だがなぁ、ここは王都じゃねえ。海を越えりゃすぐそこは帝国だ。公爵様だろうがなんだろうが、俺たちには関係ねえんだよ」
男は下卑た笑いを浮かべ、大剣を肩に担ぐ。
「王都の坊ちゃん方に教えてやるよ。このカルディスのルールは『暴力』だ。金目のもん全部置いて、這いつくばって命乞いしてみろや!」
男の合図と共に、周囲を取り囲んでいた数十人の構成員が一斉に殺気を放つ。
だが。
【夜鴉】のメンバーは誰一人として動揺していなかった。
彼らの視線の先にあるのは、ただ一人。
自分たちの絶対的な指導者であり、冷酷なる死神――十歳の少年、ノア・アスターの小さな背中だけだった。
「……ルールが『暴力』なら、ちょうどいい」
ノアは無表情のまま、一歩だけ前に出た。
「俺がこれから行使するのは、そんな生温いものではないがな」
次の瞬間。
ノアの足元から、文字通り『絶対的な死の気配』が爆発的に膨れ上がった。
「なっ……!?」
巨漢の男が息を呑む暇もなかった。
ノアの右腕から放たれた漆黒の靄が、瞬く間に男の巨体を包み込む。
『冥界神の捕食』。
それは、単なる魔法や命を奪うだけの力ではない。
対象の魔力、構築された技術の記憶、そして『魂』そのものを根こそぎ喰らい尽くし、世界からその存在の痕跡を削り取る絶対的な異能。
「あ、あああ……!? ぐ、あああああああッ!!」
男の口から、この世のものとは思えない絶叫がほとばしる。
彼の誇っていた土属性の魔力構築が、長年培ってきた殺しの技術が、そして命の源たる魂そのものが、ノアの小さな手のひらへと凄まじい勢いで吸い込まれていく。
「ひ、ひぃぃっ!?」
「ば、化け物だッ!!」
周囲を取り囲んでいたマフィアたちが、あまりの光景に腰を抜かし、武器を取り落とす。
彼らの目の前で、屈強だったボスの肉体は急速に干からび、最後には砂のように崩れ落ちて消滅してしまったのだ。
「……不味いな。帝国の末端の、さらに下っ端か。記憶の底が浅すぎる」
ノアは手のひらに残った黒い残滓を冷徹に振り払い、静かに呟いた。
「残りは始末しろ、アッシュ」
「御意に」
アッシュの静かな返答と共に、シオンとリアが残党の中へ飛び込む。
そこに戦闘と呼べるものはなく、ただの一方的な『清掃』だった。
悲鳴すら上げる間もなく、数十人のマフィアたちは夜霧の中へ血の海を作って沈んでいく。
その凄惨な地獄絵図の中心で、ノアはただ一人、静かに佇んでいた。
(……ああ。なんて、小さく、尊い背中だろう)
敵の喉元を掻き切りながら、アッシュはノアの背中を見つめていた。
普通の人間ならば、ノアが先ほど見せた『冥界神の捕食』という悍ましい力に震え上がり、恐怖で逃げ出すだろう。
現に、敵対したマフィアたちは絶望に顔を歪めて死んでいった。
だが、アッシュたち【夜鴉】の二十四人の孤児たちにとって、ノアのその姿は、痛いほどに切なく、そして美しいものだった。
自分たちは、親を奪われ、路地裏で泥水を啜って生きてきたゴミ屑のような存在だった。
誰からも愛されず、誰の記憶にも残らず死んでいくはずだった命。
それを拾い上げ、生きる術を与え、絶対的な居場所を創ってくれたのが、他でもないノア・アスターという十歳の少年なのだ。
(俺たちを生かすために。……あの小さな体で、こんなにも恐ろしく、血に塗れた業を一人で背負ってくださっている)
ノアが敵を容赦なく喰らえば喰らうほど、孤児たちは彼に対する狂信的なまでの忠誠と、胸を締め付けられるような悲哀を感じずにはいられない。
だからこそ、彼らはノアのために剣を振るう。
自分たちが手を汚すことで、少しでもノアの背負う重荷を分かち合えるのならば、地獄の底までついていく覚悟だった。
「ノア様。ネズミの掃除、完了いたしました」
静寂を取り戻した路地裏。
血と泥に塗れた石畳の上に、アッシュ、シオン、リアが片膝をつき、深く頭を垂れる。
「ご苦労だった」
ノアは振り返り、微かに、本当に微かにだけ声の温度を和らげた。
その声色が、孤児たちにとっては何よりの救いだった。
「……喰らった記憶の欠片から、奴らが設計図を隠している場所は割れた」
ノアは海霧の向こう、港の最も奥に位置する巨大な密輸倉庫へと視線を向ける。
「出港の準備が進められている。……海を渡られる前に、帝国の影をすべて喰らい尽くす。行くぞ」
「「「はっ!」」」
夜霧に溶け込む漆黒の装束。
十歳の冷徹な死神と、彼に命を捧げる哀しき孤児たちは、次なる血の海へと静かに歩みを進めた。
国境の歓楽港町カルディス。
この夜、街の裏社会は真の恐怖を知ることになる。
第30話「海霧の街と、哀しき死神」をお読みいただき、ありがとうございます!
今回から新章【歓楽港町カルディス編】がスタートいたしました!
王都から舞台を移し、帝国の影が蠢く濃霧の港町へと足を踏み入れたノアたち。
圧倒的で悍ましい『冥界神の捕食』の力。そして、その恐るべき業を自ら背負う10歳のノアに対し、深い悲哀と狂信的な忠誠を誓うアッシュたち孤児(夜鴉)の絆を描かせていただきました。
敵には絶対零度の死神でありながら、身内にだけ見せる微かな声の温度。彼らの血に塗れた切ない関係性が、少しでも皆様の胸に響いていれば嬉しいです。
次話、いよいよ設計図が隠された巨大な密輸倉庫へと突入します!
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