【第29話:「悪逆なる共犯者と、次なる標的」】
王都の裏社会に君臨していた巨大カジノ。
その地下最深部で繰り広げられた略奪劇の熱は、冷たい夜風と共に急速に失われつつあった。
バトラーの魂と魔力、そして得意としていた風魔法の構築を『冥界神の捕食』によって根こそぎ喰らい尽くしたノアは、荒らされた金庫室から静かに踵を返した。
手には、逃げた獲物の唯一の手掛かりとなる「裏帳簿」と「密輸マニフェストの控え」が握られている。
隠し通路を抜け、月明かりの差す裏路地へと出たノアを待っていたのは、漆黒の装束に身を包んだ【夜鴉】の幹部たちだった。
「ノア様」
リーダー格のアッシュが片膝をつき、深く頭を下げる。
その背後では、重盾を構えたシオンと、血に濡れた短剣を布で拭うリアが、意識を失ったバトラーを挟むようにして立っていた。
精神の根幹まで喰い荒らされ、完全に廃人と化したバトラーの姿は、もはや一人の人間としての尊厳すら残されていない。
「カジノ内の残党はすべて沈めました。王都の警備隊が異変に気づくのは、早くとも明日の朝になるでしょう」
アッシュの淀みない報告に、ノアは冷徹な瞳を向けて頷いた。
「ご苦労だった。……アッシュ、その豚はアジトの地下牢に放り込んでおけ。まだ帝国の末端に関する記憶の残滓がこびりついているかもしれない。一滴の血も、一欠片の記憶も残さず絞り尽くせ」
「御意に。……ノア様は、これからどちらへ?」
アッシュの問いに、ノアは裏路地の暗闇の先――王都の中心部にそびえ立つ、ひと際巨大で豪奢な建造物へと視線を向けた。
「報告に行く。……俺たちの、最も悍ましく、最も美しい『共犯者』の元へな」
その言葉の意味を理解したアッシュたちは、深く首肯し、闇に溶けるようにして姿を消した。
***
王都の一等地に構えられた、ローゼンバーグ公爵邸。
国の権力の中枢を担う大貴族の邸宅であり、常人であれば近づくことすら許されない厳重な警備が敷かれている。
だが、ノアにとってその警備は、あって無いようなものだった。
影から影へと渡り歩き、ノアは音もなく公爵邸の最上階、当主のみが立ち入りを許される豪奢な私室のバルコニーへと舞い降りた。
重厚なガラス扉が、ノアの来訪を待ちわびていたかのように内側から開かれる。
「――おかえりなさいませ、私の可愛い死神」
甘く、それでいて背筋が凍るほどの深い執着を孕んだ声。
月明かりに照らし出されたのは、銀色の髪を美しく結い上げた、ドレス姿の美少女だった。
ルナ・ローゼンバーグ。
わずか十五歳にしてローゼンバーグ公爵家の実権を握り、表社会では「悪逆令嬢」として恐れられる当主代行。
そして、ノア・アスターという十歳の少年の復讐を全面的に支援する、絶対のスポンサーである。
「カジノの掃除は終わりましたの?」
ルナは優雅な足取りでノアに近づくと、彼の幼い頬にわずかに付着していた返り血を、自身の白い指先でそっと拭い取った。
その指が、愛おしいものを確かめるようにノアの輪郭をなぞる。
「ああ。バトラーのすべては俺が喰らった。だが、肝心のアスター家の設計図は、すでに別のルートで持ち出された後だった」
ノアは無表情のまま、懐から奪い取った裏帳簿と密輸マニフェストの控えを、豪奢な大理石のテーブルの上に放り出した。
「帝国の末端が、どこへ荷を運んだか。この紙切れに痕跡が残っているはずだ。……調べられるか、ルナ」
「愚問ですわね、ノア。私が誰だと思っているのです?」
ルナは妖艶に微笑み、テーブルに放られた帳簿を優雅に手に取った。
彼女が使うのは、地下にこもってモニターを叩くような小手先の技術ではない。
ローゼンバーグ公爵家という絶大な権力と、表から裏まで国中に張り巡らされた絶対的な情報網。それこそが、彼女の持つ最も凶悪な武器だった。
ルナは帳簿の暗号を一瞥すると、手元のベルを静かに鳴らした。
即座に、部屋の隅の影から黒服の従者が姿を現す。
「このマニフェストの記述……王都の第三商業ギルドを通した偽装ルートですわね。私の息がかかっていない、数少ない密輸の抜け道。腹立たしいこと」
ルナの声は氷のように冷たく、絶対者の威圧を放っていた。
「第三ギルドの頭取を、今すぐ『物理的に』問い詰めなさい。公爵家に隠れて帝国のネズミを手引きした代償……その肉体に刻み込んで、五分以内に吐かせなさい」
「はっ!」
影の従者は一瞬で姿を消した。
公爵家の力を以てすれば、王都のギルド一つを潰すことなど赤子の手を捻るよりも容易い。それが、表社会の権力を握るルナのやり方だった。
待つ間、ルナはノアを豪奢なソファーへと誘い、自ら極上の紅茶を淹れて差し出した。
「お疲れでしょう、ノア。貴方の『冥界神の捕食』は、すべてを喰らい尽くす強大な力。それゆえに、魂の消耗も激しいはず……ここでだけは、ゆっくりと羽を休めてくださいな」
十歳の冷徹な暗殺者と、十五歳の悪逆令嬢。
相反する立場でありながら、二人は互いの抱える暗い欲望と、世界に対する深い復讐心で結ばれている。
ルナにとって、血塗られた道を歩むノアの姿はたまらなく美しく、ノアにとってもまた、己のすべてを肯定し、強大な権力で道を拓いてくれるルナは、手放すことのできない絶対的な存在だった。
「……お前の淹れる茶は、血の匂いが消える」
ノアがティーカップに口をつけ、微かに目を伏せる。
その無防備な仕草に、ルナは恍惚とした溜息を漏らし、ノアの小さな手を両手でそっと包み込んだ。
単なる主従関係ではない、歪で、狂気的で、それでいてひどく純粋な共依存関係が、そこにはあった。
それからわずか数分後。
再び影の従者が現れ、血に濡れた羊皮紙のメモをルナへと差し出した。
「お見事。やはり、公爵家の権力には逆らえませんでしたわね」
ルナは血塗れの報告書を満足げに読み上げ、ノアへと視線を向けた。
「ノア。設計図の行方が判明しましたわ。目的地は、国境の歓楽港町『カルディス』」
「カルディス……帝国の密輸船が出入りする、無法の港町か」
ノアの瞳に、再び冷たい殺意の炎が宿る。
「ええ。奴らはそこから海路で、帝国の本国へ設計図を持ち去るつもりのようです。第三ギルドの頭取が吐いた情報によれば、出港は明後日の夜、新月の時刻。……それを逃せば、手出しは難しくなりますわ」
明後日の夜。
王都からカルディスまでは、馬を飛ばしても丸一日はかかる距離だ。猶予は全くない。
だが、ノアは少しも慌てることなく、手元のティーカップを静かに置いた。
「十分だ。海を渡る前に……カルディスの裏社会ごと、帝国の影をすべて喰らい尽くす」
ノアの『冥界神の捕食』が、次なる獲物を求めて静かに疼く。
その決意に満ちた横顔を見つめながら、ルナは狂おしいほどの愛おしさを込めて微笑んだ。
「ええ、すべてを喰らい尽くして、貴方の糧となさいな、ノア。カルディスへの移動手段と、港での表の揉め事は……すべてこの私(ローゼンバーグ公爵家)が握り潰してあげますわ」
深夜の公爵邸。
冷酷なる十歳の暗殺者と、彼を溺愛する十五歳の悪逆令嬢は、互いの手に絡みつく運命の糸を確かめ合うように、静かに笑みを交わした。
次なる死の行軍の標的は、国境の歓楽港町カルディス。
絶対の共犯者を得た復讐の刃は、休むことなく研ぎ澄まされていく。
第29話「悪逆なる共犯者と、次なる標的」までお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回はカジノ編の事後処理とともに、ノアの最強のスポンサーにして共犯者である公爵令嬢・ルナが登場しました。
地下の暗殺組織を率いる10歳のノアと、表社会の権力を握る15歳のルナ。相反するようでいて、互いの暗い欲望で結ばれた二人の歪な共依存関係を楽しんでいただけたなら嬉しいです。
ギルドの頭取すら物理的に口を割らせるルナの圧倒的なサポートを受け、ノアたちの次なる標的は帝国の影が蠢く国境の歓楽港町『カルディス』へと定まりました。
海を渡られる前にすべての因果を喰らい尽くすため、新たな死の行軍が始まります。
次回より新章【港町カルディス編】へと突入します!
裏社会のさらに深い闇と、ノアの容赦なき復讐劇にご期待ください。
もし「ノアとルナの共犯関係が最高!」「次の港町での暗躍が楽しみ!」と思っていただけましたら、ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】をタップして星での応援や、ブックマーク登録をよろしくお願いいたします! 皆様の応援が、ノアたちの復讐の道を切り拓く最大のモチベーションになります!
【登場人物紹介】(第29話時点・設定完全統合版)
■ 暗殺組織【夜鴉】
ノアが自ら暗殺術やゲリラ戦術を授け、育成した24名の孤児からなる暗殺部隊。メンバーはノアを絶対的な指導者として神のように崇拝しており、彼の復讐を成し遂げるためなら命を捨てることも厭わない。
ノア・アスター
本作の主人公。10歳。帝国に通じる何者かによって滅ぼされた名門アスター家の生き残り。
単なる記憶の断片の抽出に留まらず、対象の魂、魔力、構築記憶、技術といった存在のすべてを丸ごと喰らい尽くし、自身の糧とする絶対的な異能『冥界神の捕食』の持ち主。敵の魔法や技術の構築ロジックを読み解き、その根幹を喰らうことで無力化する冷酷かつ合理的な戦術を行使する。敵対者には絶対零度の冷酷さを見せるが、ルナや夜鴉のメンバーには深い執着と絆を抱いている。
アッシュ
【夜鴉】の実働部隊のリーダー格。ノアの直属として現場の指揮を執る。ノアの一撃を成功させるための緻密な連携戦術の要であり、冷静沈着に任務を遂行する優秀な幹部。
シオン
【夜鴉】の幹部の一人。重厚な盾を構え、防衛や拠点の制圧を担う。寡黙だが、確実な敵の制圧を得意とするノアの直属の盾。
リア
【夜鴉】の幹部の一人。機動力と隠密に特化し、短剣を用いた近接暗殺術を得意とする。敵対者には一切の容赦がなく、冷徹に血を流す。
■ 最高のスポンサーにして共犯者
ルナ・ローゼンバーグ
ローゼンバーグ公爵家の当主代行を務める15歳の令嬢。
「悪逆令嬢」として振る舞いながら、主人公ノアの復讐をスポンサーとして全面的に支援している。表社会では公爵家の絶大な権力を用いてノアの敵を政治的に追い詰め、裏社会ではノアと共に巨大勢力と戦う最強の共犯者。
ノアに対しては単なる主従関係を超えた深い独占欲と執着を抱いており、二人は互いの暗い欲望で結ばれた強固な共依存関係にある。
■ 敵対者・その他
バトラー
裏カジノの元オーナー。得意の風魔法の構築記憶のみならず、魔力や精神の根幹までノアの『冥界神の捕食』によって喰われ、すべてを失った。自分が巨大な組織(帝国)の使い捨ての駒に過ぎなかったことを知り、精神が完全に崩壊。現在は【夜鴉】の地下牢に繋がれ、残滓を絞り尽くされるのを待つだけの存在となっている。




