【第27話:「凍結する盤上と、夜鴉(クロウ)の鉄槌」】
「……ほ、ほう。よろしいのですか? これが外れれば、坊ちゃんは本当に一文無しですよ?」
バトラーの強欲な問いかけに対し、十歳の少年――ノアは、絶対零度の瞳で答えた。
彼が賭けたのは、莫大なチップと、王宮クラスの氷属性の巨大魔石。
そして要求したのは、バトラーが裏で売り捌こうとしていた『アスター家の魔導具の設計図』であった。
ノアの言葉に、VIPルームの空気が完全に凍りつく。
バトラーは額に冷たい汗を滲ませながらも、内心で舌を打った。
(……このガキ、なぜその設計図のことを知っている!? いや、どうでもいい。ここでこいつをイカサマでスッカラカンにして、すべてを奪い取ってから吐かせればいいだけだ!)
「……さあな。ここからは俺がルールを決める。せいぜいその安い手品で、俺の目を誤魔化してみろよ、三流」
生意気な十歳のガキから、突如として裏社会の暗殺者の顔を覗かせたノア。
そのプレッシャーに押されまいと、バトラーは引き攣った笑みを浮かべてダイスをカップに入れ、乱暴にテーブルへ叩きつけた。
「フンッ! 後悔しても遅いですぞ、坊ちゃん!!」
バトラーはいつものように、テーブルの下に仕組まれた微弱な磁場ギミックと、自身の【風魔法】を隠密に発動させようとした。
ノアが宣言した目を、絶対に回避するための巧妙なロジック。
魔法の痕跡を残さず、磁力と風の微調整でダイスを操る完璧なイカサマ。
――発動、しない。
「……な、に?」
バトラーの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
風魔法が起きないのではない。テーブルの底面に仕組まれたはずの、磁場を発生させるための微細な魔力回路が、ピクリとも反応しないのだ。
震える手でカップを開ける。
そこにあったのは、ノアが宣言した通りの、バトラーの完全な『敗北』を示すダイスの目であった。
「馬鹿な……!? なぜだ、仕掛けは完璧なはず……ッ!?」
「仕掛け、ね」
ノアは椅子に深く腰掛けたまま、氷のように冷たく嗤った。
「さっき、俺が『当たらない!』ってテーブルを叩いて泣き喚いた時。……お前ら、ただの子供の癇癪だと思って、完全に油断して俺の手元から目を離したよな?」
「……っ!!?」
バトラーが慌ててテーブルの底を覗き込む。
そこには、恐ろしい光景が広がっていた。
分厚いテーブルの内部構造、その魔力回路のすべてが――極寒の氷結魔力によって、内側から完全に凍りつき、物理的に粉砕されていたのだ。
「い、いつの間に……ッ!? 魔法の詠唱など、一切なかったはずだ!」
十歳の子供が起こした、ただの癇癪。
それが、テーブルに直接触れて【氷結魔力】を流し込み、イカサマのロジックを破壊するための『隠れ蓑』だったと気づき、バトラーは驚愕に目を見開いた。
「詠唱なんて必要ねえよ。俺の魔力は、息を吐くのと同じくらい自然にそこにある」
ノアの言葉に、バトラーは完全にパニックに陥った。
負ければ、アスターの遺産を奪われる。カジノオーナーとしての破滅。
「ふ、ふざけるなァァァッ!!」
バトラーは理性を吹き飛ばし、隠すこともなく直接、強力な【風魔法】の刃をノアの首元へ向けて放った。
不可視の凶刃。もはやギャンブルではない。ただの殺戮。
だが、ノアは微動だにしない。
「……馬鹿が。俺がこれだけ周囲を凍らせておいて、風が見えないとでも思ったか?」
「な……っ!?」
ノアが指を鳴らすと、完全に凍りついていたテーブルから立ち昇る極寒の冷気が、一気に空間へ拡散した。
冷気に触れたことで、不可視だったはずの風の刃の軌道が、白い霜となって空中にくっきりと『可視化』された。
その軌道を紙一重で躱すと同時。
ノアはテーブルを蹴り飛び、一瞬にしてバトラーの懐へと潜り込んだ。
そして、その小さな掌をバトラーの額にピタリと押し当てる。
「【冥界神の捕食】」
ボォンッ!! と、空気が爆ぜるようなどす黒い音が響いた。
直後、ノアの掌から放たれた目に見えない顎が、バトラーの脳髄から『風魔法の構築記憶』の断片を強引に引き剥がし、バリバリと噛み砕いて喰らい尽くした。
「あ……が、ぁ……!?」
「……ふん。風の編み方、魔力の循環回路……確かに『記憶の断片』として美味しく戴かせてもらったよ」
ノアはバトラーを突き飛ばし、氷のように冷たく見下ろした。
バトラーは慌てて反撃の魔法を唱えようとするが――何も、出てこない。
どうやって魔力を練るのか。どうやって風を生み出すのか。その『構築記憶』が、頭の中からすっぽりと抜け落ちていたのだ。
「ま、魔法が……俺の魔法が……出ない……!? 貴様、俺の頭に何をしたァ!?」
ただ攻撃を防がれるよりも恐ろしい、己の技術と知性の根幹をえぐり取られるという絶望。
底知れぬ深淵を見せつけられ、バトラーは恐怖で完全に腰を抜かした。
「そ、そんな……化け物め……!」
「化け物なのは、裏で遺産を売り捌こうとしたお前の方だ。……安心しろ、今すぐ殺したりはしない。お前の頭の中にある『大金庫室のパスワードと解除の記憶』も、必要になったらまた喰らいに来てやるよ」
ノアが冷たく告げると、バトラーはガタガタと震えながら血走った目を剥いた。
魔法を奪われ、完全に無力化された今、この十歳の少年は悪魔そのものに見えた。
ここで死ねばすべてが終わる。地下の大金庫室に逃げ込み、一族の誇る最強の防衛装置と迎撃兵器を作動させなければ――その恐怖と執念だけが、バトラーをかろうじて動かしていた。
「ひっ……! 待て、待てくれ……!」
バトラーは這いつくばるようにして背後の壁を叩き、隠し扉のギミックを作動させた。
重々しい音を立てて壁が開き、地下へと続く暗い階段が露わになる。
バトラーは蜘蛛の子を散らすように、その暗闇へと転げ落ちるように逃げ込んだ。
ノアはあえてそれを追わず、冷ややかな視線のままその背中を見送る。
(……地下の大金庫室。アスター家の設計図がどこに保管されているか、これで確信に変わった。せいぜいあがいて、俺をその最深部まで案内しろ)
主を失い、恐怖に染まったバトラーを「金庫の鍵」としてあえて泳がせる。
それこそが、冷徹な暗殺者が描いた次のロジックであった。
「――さて」
逃げ込んだバトラーの背中から視線を外し、ノアは静かに振り返る。
VIPルームの扉の向こうからは、殺気と喧騒が押し寄せようとしていた。
「く、黒服ども!! 何をしている、このガキを殺せ!! 殺してすべて奪い取れェ!!」
バトラーが逃げ際に叫んだその声を聞きつけ、カジノの精鋭護衛たちが一斉に押し寄せようとする。
だが、その侵攻は――すでに完全に終わっていた。
ズガァァァァンッッ!!!
VIPルームの重厚な防犯扉が、外側から爆発したかのように粉々に吹き飛んだ。
粉塵の中から現れたのは、巨大な鋼の盾を構えた大柄な少年――総員二十四名を誇る暗殺部隊【夜鴉】の幹部、シオンである。
彼はその圧倒的な膂力と質量で、立ち塞がる警備たちを物理的に跳ね飛ばし、退路を完全に塞いだ。
「な、なんだ貴様ら――ぎゃあっ!?」
黒服の一人が叫び声を上げた瞬間、その背後の死角から、小柄な影が音もなく滑り出た。
隠密特化の少女、リア。
彼女は暗闇に溶け込むような絶望的な速度で、黒服たちの死角を縫うように駆け抜け、次々とその急所を短剣で刈り取って無力化していく。
「防衛線を下げさせるな! 一室に押し込めろ!! 通信もすべて遮断しろ!」
そして、吹き飛んだ扉の向こうから、冷静で通る声が響き渡る。
【夜鴉】のリーダー格、アッシュ。
彼の的確な指揮のもと、通路に潜んでいた夜鴉のメンバーたちが連動し、カジノの精鋭と呼ばれた黒服たちの増援部隊を完全に分断・無力化していく。
VIPルームの内部でも、すでに別の経路から侵入していた夜鴉の精鋭たちが、暴れる隙すら与えずに残党を制圧していた。
わずか数十秒の間に、カジノ最大の迎撃網は、二十四名の暗殺部隊によって音もなく沈黙させられていたのだ。
「……ご苦労だったな」
静まり返った部屋の中で、ノアはゆっくりと立ち上がった。
足元には、恐怖と気絶によって力なく転がる黒服の山が築かれている。
「ノア様。周辺の制圧、およびカジノの外周および通信網の遮断は完了しました。地下へと続く通路の封鎖も、我々の部隊が固めています」
「ああ、完璧だ、アッシュ」
アッシュの冷徹で淀みのない報告に、ノアは短く頷いた。
単なる個人の暗殺ではない。
二十四名の精鋭を統べる裏社会のボスとしての組織力と軍事作戦が、このカジノの心臓部を完璧に掌中に収めていた。
ノアは、バトラーが逃げ込んだ隠し扉の奥――暗く冷たい地下へと続く階段を見据える。
「アッシュ、リア、シオン。お前らはこの階の残党と、パニックを起こした客どもの足止めを続けろ。外からの介入はルナが抑えているが、念のため隙を作るな」
「「「御意のままに、ノア様」」」
三幹部が深く頭を垂れる。
ノアは薄暗い階段へと、一人、冷たい足を踏み出した。
「あの逃げた豚は、俺が地下金庫の最深部まで追い詰めて、『お代』を完全に回収する」
復讐のロジックは、いよいよカジノの最深部、奪われた遺産が眠る闇の底へと続いていく。
お読みいただきありがとうございます!
第27話、いかがでしたでしょうか?
「10歳の癇癪」という子供の芝居を完璧な隠れ蓑にして、テーブルの内部回路を氷結魔力で粉砕するノア。
さらに、飛んでくる魔法を防ぐのではなく、自らの冷気で不可視の風の軌道を「霜」として可視化し、懐に潜り込んで【冥界神の捕食】で脳髄から「風魔法の構築記憶の断片」をバリバリと喰らい尽くす――という、本作の頭脳戦と理詰めのバトルをお届けしました!
魔法の構築記憶を奪われ、文字通り「自分の魔法の使いかたを忘れて絶望する」バトラーの恐怖と、それをあえて「金庫の鍵(案内役)」として地下へと泳がせる冷徹な暗殺者のロジック。
そして、総勢二十四名を誇る暗殺部隊【夜鴉】の三幹部(アッシュ、リア、シオン)および精鋭たちによる、カジノ迎撃網の完全制圧劇を楽しんでいただけたなら幸いです!
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