【第26話:「十歳の放蕩息子と、盤上のロジック」】
「……おいルナ。なんだこのフリフリの服は。動きにくくて仕方がないんだが」
暗闇の中で、ノアは深いため息をついた。
現在、ノアの年齢は『十歳』である。
いつもならば、その小柄な体躯を活かして闇に溶け込むための、機能性重視の黒服を纏っているはずだった。だが今、彼が着せられているのは、最高級の絹で仕立てられ、無駄なフリルや宝石が散りばめられた、どう見ても『金と権力を持て余した大貴族のドラ息子』が着るような、悪趣味なまでに派手な礼装である。
ノアの耳元に付けた極小の魔導通信機から、ルナのクスクスと艶やかに笑う声が響く。
『仕方ないでしょう? 今のあなたの年齢と背丈で、大人が集まるカジノのVIPルームに堂々と入り込むには、「親の金で夜遊びをしている、他国の生意気で頭の悪いお坊ちゃん」を演じるのが一番自然なんだから』
「……チッ。悪趣味な女だ」
『ふふっ、褒め言葉として受け取っておくわ。莫大な軍資金チップは、私のポケットマネーから十分に用意してあげたわよ』
通信機越しのルナの声が、ふと、氷のように冷たく、そして鋭いものに変わる。
『その地下カジノのオーナーが、五年前にあなたの家アスターから奪われた遺産――【門外不出の魔導具の設計図】を裏オークションに流そうとしている。……私の金でせいぜい派手に負けて、あの欲深い豚を誘い出してちょうだいな。負けた分は、きっちり倍にして返してもらうわよ?』
「……馬鹿を言え。俺が泥棒の三流手品に負けるわけないだろ」
ノアは忌々しげに首元のタイを緩めると、暗殺者としての冷たく鋭い気配を、自身の魂の奥底、極寒の深淵へと完全に沈み込ませた。
そして代わりに顔に浮かべたのは、金を湯水のように使うことしか知らない、傲慢で、癇癪持ちで、頭の悪い『十歳の生意気なガキ』の完璧な作り笑い。
ノアは護衛を従えることもなく、ただ一人でカジノの重厚な扉を蹴り開けるようにして、眩い光と欲望、そしてむせ返るような香水と酒の匂いが渦巻く鉄火場へと足を踏み入れた。
「いやはや、見事な賭けっぷりですな、若きお客様。しかし、少々ツキがないようだ」
カジノの最奥、限られた者しか入ることを許されないVIPルーム。
分厚い絨毯が敷き詰められた静謐な空間で、ノアの目の前には、うず高く積まれたチップの山があった。
そして対面には、優雅に葉巻を燻らせる『黄金の蜂』のオーナー、バトラーが、慇懃無礼な笑みを浮かべて座っていた。
テーブルの上で行われているのは、魔力を帯びた特殊なダイスを使ったギャンブル。
ノアはすでに、ルナから渡された莫大な軍資金の半分以上を『負けて』いた。
「クソッ! なんで当たらないんだよ! おかしいだろ! イカサマでもしてんのか、おっさん!」
ノアは十歳の子供らしく、顔を真っ赤にして激昂する演技を見せる。
ドンッ! ドンッ! と、悔しさに任せて両手で何度もテーブルを叩きつける。
その周囲を取り囲む客や、壁際に立つ黒服の護衛たちは、「親の金で粋がるからだ」「ただの世間知らずのカモだな」と、あからさまな嘲笑の視線をノアに向けていた。
「滅相もない。当カジノは完全な実力と運のみ。すべては運命の女神の気まぐれでございますよ。……次はいかがなさいますかな、坊ちゃん? もうお帰りになられても、誰もあなたを笑いはしませんが?」
バトラーはそう言って、同情するような、しかし底の底で舐め腐った笑みを浮かべる。
その実、彼はテーブルの底面に仕込んだ微弱な磁場ギミックと、自身の得意とする【風魔法】の隠密展開というロジックを巧妙に組み合わせ、ダイスの目を完全にコントロールしていたのだ。
魔法の痕跡を一切残さず、決して暴かれることのない完璧なイカサマ。
(……ただの生意気なガキだ。骨の髄までむしり取って借金漬けにし、他国にいる実家の親から、莫大な身代金を毟り取ってやる)
バトラーの腹の中は、薄汚い欲望で黒く煮え滾っていた。
だが。
怒り狂って、泣き出しそうに取り乱しているように見えるノアの、前髪に隠れた深海の瞳だけは。
絶対零度の冷たさで、バトラーの指先の僅かな動き、空間を漂う微細な魔力の流れ、そしてテーブルの構造のすべてを、完全に『観察』し尽くしていた。
(……なるほど。無詠唱の風魔力と、テーブルの下の磁場仕掛けか。随分と安っぽくて、反吐が出るロジックだ)
ノアは心の中で、冷酷に嗤った。
数ゲーム、あえて無様に負け、子供特有の癇癪を起こしてテーブルに触れることで、敵のイカサマの仕組みは完全に把握した。
「おい! 次だ、次! 俺はまだ負けてないぞ!」
ノアは懐から、残りの全チップを鷲掴みにし、乱暴にテーブルの中央へ押し出した。
さらにその上に――バトラーが喉から手が出るほど欲しがるであろう、強烈な魔力を放つ『王宮クラスの巨大な氷属性の魔石』を叩きつけた。
その莫大な、狂気とも言える賭け金と魔石の輝きに、VIPルームがどよめく。
バトラーの目も、隠しきれない強欲に大きく見開かれた。
「……ほ、ほう。よろしいのですか? これが外れれば、坊ちゃんは本当に一文無しですよ?」
「構わねえよ。俺の親は腐るほど金を持ってる。……だが、俺が勝ったら」
ノアはゆっくりと顔を上げた。
そこに、先ほどまでの「悔しがる子供」の面影は微塵もなかった。
十歳という年齢には到底そぐわない、数え切れないほどの命を刈り取ってきた者だけが持つ、底知れぬ深淵の眼差し。
「あんたが隠し持ってる『アスター家の遺産の設計図』。……全部、俺に寄越せ」
その言葉が出た瞬間。
VIPルームの空気が、物理的に凍りついたかのようにピタリと止まった。
バトラーの葉巻を持っていた手が震え、周囲の黒服たちが一斉に殺気を放ってノアを睨みつける。
ただのカモだと思っていた子供が、突如として、裏社会の最高機密であり、バトラーが極秘裏に売り捌こうとしていた品の名を口にしたのだ。
ノアは「生意気なガキ」の演技を完全に捨て去り、アスターの亡霊たる暗殺者の、冷たく残酷な笑みを浮かべた。
「さあな。ここからは俺がルールを決める。……せいぜいその安い手品で、俺の目を誤魔化してみろよ、三流」
暴力ではなく、純粋なロジックとイカサマの潰し合い。
復讐鬼と悪逆令嬢の次なる標的を定めた、盤上の逆転劇が、静かに幕を開けた。
お読みいただきありがとうございます!
今回から新章、【第3章:裏カジノ潜入と『奪われた遺産』編】のスタートです!
教会の黒幕ザカリーとの激闘を終え、次なる舞台は欲望渦巻く王都最大の地下カジノ。
「10歳の子供」という自身の年齢を最大限に悪用(?)して、癇癪を起こしたガキを演じながら、大人たちの狡猾なイカサマのロジックを暴くノア。
力任せの暗殺ではなく、まずは相手の土俵で罠を看破してから狩るという、本作の「探偵要素」を活かした頭脳戦を楽しんでいただければ幸いです!
もし「生意気な坊ちゃん演技イイね!」「ここからの逆転劇が楽しみ!」「ルナ様のパトロンムーブ最高!」と少しでもワクワクしていただけましたら、
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