第23話:「絶対防壁と、狂信の執行者」
地上で燃え上がる炎の照り返しと、絶叫が響き渡る王都東区の市街地。
その喧騒から完全に切り離されたかのように、大聖堂の地下へと続く隠し階段は、どこまでも深く、冷たい静寂に包まれていた。
『――情報戦の布石はすべて打ち終えたわ。東区の魔獣処理も、あなたの可愛い鴉たちが完璧に回している。……少し、掃除に時間がかかりそう?』
ノアの懐に潜ませた魔道具から、ルナの艶やかな声が響く。
ノアは暗闇の中を音もなく滑り降りながら、微かに目を細めた。
「ああ。どうやら教会のネズミどもは、随分と厳重な巣穴に引きこもっているらしい」
『構わないわ。地上は私が、表の権力で何としてでも制圧し続ける。だからあなたは心置きなく……その奥底で、狂ってきなさいな。私の共犯者』
「……了解した」
通信が切れ、再び完全な無音がノアを包み込む。
ノアの目の前には、大聖堂の最下層、王都の魔力網の心臓部である【星天の羅針盤】へと続くただ一本の通路を完全に塞ぐように、巨大な『光の壁』が立ち塞がっていた。
教会の最高機密を守る『絶対神聖結界』。
それは単なる物理的な壁でも、合言葉で開くような安い扉でもない。通過しようとする者の『魂の波長』を読み取り、少しでも異端の魔力――すなわち闇の気配を感じ取れば、一瞬にして対象を数万度の光炎で消し炭にする、生体認証型の即死トラップである。
アスター家を焼き払った極寒の闇属性を宿すノアが触れれば、間違いなく塵一つ残らず消滅するだろう。
だが、ノアの足に躊躇いは一切なかった。
「【冥界神の捕食】――波長上書き(オーバーライド)」
ノアは低く呟き、自身の内側に蠢く底なしの闇の魔力の上に、数日前に裏路地で喰らい尽くした『聖騎士の魂の残滓』を強制的に引きずり出した。
純白の光の魔力が、ノアの黒いスーツを覆うように薄く展開される。
それは、水と油を無理やり混ぜ合わせるような行為だった。ノアの肉体の上で、極寒の闇と神聖な光が激しく反発し合い、細胞の一つ一つを焼き切るような絶烈な激痛が全身を駆け巡る。
「…………ッ」
ジジジジジッ、とノアの皮膚の表面が焼け焦げる音が地下通路に響く。
常人ならば発狂してショック死するほどの激痛。しかし、ノアの深海の瞳は微塵も揺らがず、表情の筋肉ひとつ動かすことなく、その痛みを完全に『無視』した。
光の魔力で全身を偽装したまま、ノアは堂々と神聖結界の中へと足を踏み入れる。
結界のシステムが侵入者の魂をスキャンし、一瞬の緊張が走る。だが、表面を覆う聖騎士の絶対的な信仰の波長に騙された結界は、彼を『帰還した敬虔なる神の僕』と誤認し、音もなくその透過を許した。
「……セキュリティがザルだな」
結界を抜け切った直後、ノアは偽装を解き、焼け爛れた両腕の皮膚を氷結魔力で強引に冷却して止血した。
痛覚すらも復讐のためのプロセスとして処理する、異常なまでの冷徹さ。
しかし、その絶対零度の冷静さは、結界の先――羅針盤の制御室へと続く『手前の空間』に足を踏み入れた瞬間、さらに深く、重く、どす黒いものへと変貌することになる。
「……なるほど。これが、神の愛というわけか」
結界の先に広がっていたのは、神聖な聖域などではなかった。
むせ返るような血の匂いと、腐敗臭。冷たい石畳の上に無造作に転がっているのは、大小様々な無数の『白骨』と、原型を留めていない小さな肉の塊だった。
教会の『廃棄区画』。
羅針盤の人工的な魔力源を造り出すため、あるいは聖騎士たちの魔力耐性を高めるための実験体として、街の孤児院から攫われ、使い潰された子供たちの成れの果て。
背骨に無理やり魔石を埋め込まれたまま絶命した小さな骸。魔力を限界まで抽出され、ミイラのように干からびた遺体。
それらはすべて、かつてノアが救い出し、今は【夜鴉】として地上で戦っているアッシュやリアたちが『辿るはずだった未来』の姿そのものだった。
静寂の中、ノアの靴底が小さな骨の破片を踏み砕く。
ノアは怒りで叫ぶことはしなかった。
ただ、その深海の瞳から一切の光が消え失せ、周囲の空間の温度が物理的に急低下していく。吐き出す息は白く染まり、殺意という言葉では生ぬるい、絶対的な『断罪の意志』が彼の輪郭を黒く滲ませていた。
「――おや。結界が作動しなかったので、てっきり聖騎士殿が帰還されたのかと思いましたが。……これは驚きましたね。迷える子羊が、神の御前へ土足で入り込むとは」
夥しい数の死体の山を抜けた先。
巨大な羅針盤の制御室へと続く、分厚い鋼鉄の大扉。
その前に、一人の男が立っていた。
純白の法衣を身に纏い、手には装飾のないシンプルな白木の杖を持った、細身の男。
年齢は三十代半ばほど。色素の薄い金髪に、糸のように細められた目。その顔には、足元の地獄絵図などまったく見えていないかのような、底知れぬほど穏やかで『慈愛に満ちた笑み』が張り付いていた。
「私は教会の筆頭執行官。……ああ、名乗る必要はありませんね。あなたは間もなく、神の奇跡の一部として彼らと同じように尊い礎となるのですから」
化け物ではない。異形の肉塊でもない。
ただ純粋に、一切の疑問を抱かずに狂信を極め抜いた、完璧な人間。
彼の佇まいには、剣を握る力みも、魔法を放つための魔力の揺らぎも一切なかった。ただ自然体でそこに立っているだけで、ノアの暗殺者としての本能が『死の危険』を激しく警鐘を鳴らしている。
「……随分と、趣味の悪い絨毯を敷いているな」
ノアは冷たい声で、足元の小さな遺骸たちを見下ろした。
「ああ、この尊き犠牲のことですか。彼らの命は星天の羅針盤を通じて、この王都に神の恩恵をもたらすための素晴らしい触媒となりました。魂はすでに救済されています。喜ばしいことですよ」
狂っている。
それが、人間という種族が到達し得る『最もタチの悪い狂気』だった。
「……そうか。なら、お前も今すぐ救済されてこい」
言葉の終わりを待つ必要はない。
ノアの身体がブレた。
暗殺者の極致たる歩法。一切の予備動作なしに音速に迫る踏み込みで、ノアは瞬時に執行官の懐へと潜り込み、右手に生成した極寒の氷の短剣を男の喉笛へと薙ぎ払った。
必殺の一撃。
しかし。
「――せっかちな子羊ですね」
キンッ!!!!
甲高い硬質な音が地下空間に弾け飛ぶ。
ノアの氷の短剣は、執行官の喉を捉える数ミリ手前で、完全に静止していた。
見れば、執行官が手にしていた白木の杖が、ノアの短剣を正確無比な角度で『受け流して』いたのだ。
(速い……ッ!)
魔力による身体強化だけではない。長年、教会の裏の仕事をたった一人で片付けてきた純粋な『武術の達人』としての、洗練され尽くした動き。
ノアが驚愕を覚えるより早く、執行官は慈愛の笑みを浮かべたまま、杖を持たない左手の人差し指を、ノアの眉間へとピタリと突きつけた。
一切の詠唱なし。魔力を練り上げるタメすら存在しない。
ただ息をするのと同じように自然に、致死量の光の魔力がその指先に収束する。
「神の光に、抱かれなさい」
放たれたのは、直径わずか数センチにまで極限圧縮された、極太の光のレーザー。
ノアは咄嗟に首を横に捻る。
光の線がノアの頬を掠め、数本の黒髪を焼き焦がし、そのまま背後の分厚い石壁を豆腐のように軽々と貫通し、深々と溶解させた。
もし回避がコンマ一秒遅れていれば、ノアの脳髄は完全に蒸発していただろう。
「ほう。今の『閃光』を避けますか。素晴らしい反射神経だ。……ですが、これはどうでしょう?」
執行官は依然として笑みを崩さず、流れるような体術で杖を振るいながら、空いた左手から機関銃のような速度で『無詠唱の光の弾丸』を連射し始めた。
ドバババババババッ!!!!
通路の石畳が爆ぜ、死体の山が光に焼かれて吹き飛ぶ。
ノアは超高速のステップで弾幕の嵐を回避しながら、両手に氷結魔力を集中させる。
敵は巨大な化け物ではない。
力任せの破壊しかできない魔獣などよりも遥かに恐ろしい、武と魔法の技術を極限まで高め、針の穴を通すような精密な殺意を向けてくる『最強の人間』。
「……ハッ。最高だな。ただの肉塊を解体するより、ずっとやり甲斐がある」
ノアは嵐のような光の弾幕の中を潜り抜けながら、残酷な笑みを浮かべた。
彼の掌には、氷結魔力だけでなく、聖騎士から奪い取った『純白の光の魔力』が同時に練り上げられていく。
人間の技術の極致と、過去を喰らうチートの深淵。
五百話続く伝説の序章を飾るにふさわしい、最高次元のハイスピード・タクティカルバトルが、いま血塗られた教会の最深部で幕を開けた。
お読みいただきありがとうございます!
今回は、大聖堂の地下に隠された教会の深い闇「廃棄区画」へ足を踏み入れました。
アッシュたち夜鴉の子供たちが辿るはずだったかもしれない残酷な未来。それを目の当たりにしたノアの、叫ぶことすらない『静かで、重く、底知れぬ殺意』の描写に気合を入れました。
そして立ち塞がるのは、異形の化け物ではなく、武術と無詠唱魔法を極め抜いた「筆頭執行官」!
やはりダークファンタジーの醍醐味は、狂信を煮詰めたような『最強の人間』とのヒリヒリする死合いですよね。
ノアの暗殺術と、敵の洗練された光の弾幕。ハイスピードな対人戦の幕開けです!
もし「ノアの静かなブチギレ最高!」「化け物じゃなくて人間同士のバトル熱い!」「ここからの頭脳戦が楽しみ!」と少しでもワクワクしていただけましたら、
ぜひページ下部の【☆☆☆☆☆】から星を入れて応援していただけると、限界突破で執筆するめちゃくちゃ大きな力になります!




