第17話:「白き神の怒りと、独占の仮面」
王都の中心にそびえ立つ、光の教会・大聖堂。
その最奥に位置する『枢機卿の間』は、ステンドグラスから差し込む神聖な光に包まれながらも、ひどく冷たく、重苦しい空気に支配されていた。
「……申し上げます。王都地下の第三研究施設が、何者かによって完全に破壊されました。護衛の教兵は全員が氷漬けにされ、研究員たちは物理的に粉砕。……被検体である孤児たちも、一人残らず姿を消しております」
大理石の床に平伏した異端審問官が、震える声で報告を終える。
部屋の中央、黄金の装飾が施された豪奢な玉座。そこに深々と腰を下ろしている壮年の男――枢機卿ザカリーは、手元の聖典をゆっくりと閉じた。
「氷漬け、か」
ザカリーの声は、激怒しているわけでもなく、ただひどく静かだった。
だが、その静けさの中に孕む底知れぬ威圧感に、平伏している審問官の背中から冷や汗が噴き出す。
「……王都の魔力網(羅針盤)を掌握するための、重要な代用品だった。それを塵一つ残さず粉砕するとは、ただのコソ泥ではないな。……我々『神』の威光に正面から牙を剥く、身の程知らずの愚か者が王都の闇に潜んでいるということだ」
ザカリーは冷酷な瞳を細め、玉座の傍らに立つ純白の鎧を纏った大男へ視線を向けた。
「『聖騎士』を動かせ。異端審問官の手に負える相手ではない。……王都の裏路地から下水道まで徹底的に炙り出し、神に逆らったネズミどもを、一人残らず浄化(火あぶり)にしろ」
「御意のままに」
神聖なる教会の武力の最高峰、聖騎士。
五年前、アスター家を一夜にして滅ぼした絶対的な暴力装置が、ついに王都の闇へ向けて解き放たれた瞬間だった。
***
その頃、王都東区の修道院跡の地下広間。
「遅い。そんな足運びでは、魔法の詠唱前に焼き殺されるぞ」
「ぐっ……、はいっ!」
乾いた打撃音と共に、アッシュの体が床へ弾き飛ばされる。
ノアが息をつく間もなく、今度は死角から小柄な少女――リアが、音もなく短剣を突き出してきた。だがノアは微かな体重移動だけでそれを躱し、さらに背後から掴みかかってきた巨漢の少年――シオンの腕をいなし、二人まとめて床に転がした。
「リア、気配の消し方は良いが踏み込みが浅い。シオン、力任せに振るな。的が大きくなるだけだ」
「……くそっ、やっぱりボスにはかすりもしないわね」
「ああ……でも、次は当てる」
床に倒れたリアとシオンが、荒い息を吐きながらも、闘志を燃やして立ち上がる。アッシュもまた、痛む腹を押さえて再び短剣を構えた。
地下施設から救出され、ノアの『夜鴉』として正式に組織された孤児の総数は二十四名。
その中でも特に魔石の適合率が高く、ノアの暗殺術に必死に食らいついてくるのがこの三人だった。統率力のアッシュ、機動力のリア、そして腕力と耐久力のシオン。
ノアの容赦のない地獄の訓練に、二十四名の少年少女たちは全身を汗と泥にまみれさせながらも、その瞳に狂信的な熱を宿していた。
彼らにとってノアは、ただの指導者ではない。
地獄から自分たちを引き上げ、憎き教会を殺す力を与えてくれた、神よりも尊い絶対的な『信仰の対象』なのだ。
「……随分と、慕われているのね」
ふと、地下広間を見下ろすバルコニーから、優雅で艶やかな声が響いた。
ルナ・ローゼンバーグ。
黒い扇子を口元に当てた彼女の登場に、夜鴉の子供たちは一斉に動きを止め、緊張した面持ちで直立不動の姿勢をとった。
ルナはゆっくりとした足取りで階段を下り、ノア、そしてアッシュたち三人の元へと歩み寄る。
「ルナ。どうした、本邸の仕事は」
「私の可愛い牙たちが、どれくらい鋭くなったか視察に来たのよ」
ルナは微笑みながらアッシュの前に立つと、扇子の先で彼の顎をクイッと持ち上げた。
アッシュは息を呑み、圧倒的な貴族の威圧感に身をこわばらせる。隣に立つリアとシオンも、ルナの冷たい気迫に飲まれ、ピクリとも動けない。
ルナの瞳の奥には、氷のような冷徹さと、微かな『黒い感情』が渦巻いていた。
アッシュたちがノアに向ける、あの狂信的な瞳。
それが、ルナの心の中に『得体の知れない苛立ち』を生んでいたのだ。
継母に虐げられ、毒で心を殺されかけていた自分を救ってくれたのは、ノアだ。
ノアは自分だけの剣であり、自分だけの共犯者。
なのに、この見ず知らずの子供たちが、ノアと『救い主と被救済者』という特別な絆で結ばれていることが、無性に不愉快だった。
「アッシュ、リア、シオン……と言ったわね」
「……はい、ルナ様」
「いい目つきになったわ。立派な鴉ね。……でも、一つだけ勘違いしないでちょうだい」
ルナはアッシュの耳元に顔を寄せ、凍りつくような声で囁いた。
「あなたたちを地獄から引き上げたのは、確かに彼よ。……でも、彼の首輪を握り、その居場所を与えているのは、この私よ。あなたたちの神様は、私のものなの。……分かったかしら?」
それは、悪逆令嬢としての打算の仮面を被った、あまりにも生々しい『独占欲(愛憎)』の現れだった。
アッシュたちはその言葉に込められた絶対的な支配者の気迫に当てられ、冷や汗を流しながら深く頭を下げた。
「……肝に、銘じます」
「よろしい」
ルナは満足げに微笑むと、扇子をパチンと閉じてノアへと振り返った。
「ルナ。あいつらをあまり虐めないでやってくれ」
「ふふっ。少し焼き餅を焼いてしまっただけよ。……あなたの信者が、あまりにも熱烈な瞳であなたを見つめるから」
ルナは冗談めかして笑ったが、ノアはその深海の瞳で、ルナの奥底にある不安と執着を正確に見透かしていた。
ノアは一歩踏み出し、ルナの白い手を静かに取った。
「俺の剣は、お前のためにしか振るわない」
一切の感情を排した復讐鬼の、ただ一つの真実。
「お前は俺のスポンサーであり、たった一人の共犯者だ。……俺が神様を殺し、お前がこの国の頂点に立つ。そのロジックは、絶対に揺るがない」
「……ええ。分かっているわ、ノア」
ノアの言葉に、ルナの心を満たしていたどす黒い苛立ちが、雪解けのようにスッと消え去っていく。
打算と復讐で結ばれた、愛憎の仮面。
だが、その奥底にある互いへの執着と信頼は、どんな正義の絆よりも深く、狂おしいほどに強固だった。
「さあ、夜鴉の初陣の準備をしましょうか。……教会の『聖騎士』たちが、私たちの臭いを嗅ぎ回っているらしいわ」
王都の闇の中で、最強の共犯者たちは美しく残酷に微笑み合う。
神を名乗る巨悪と、過去を喰らう底辺の復讐鬼。
互いのすべてを賭けた、国家を揺るがす血みどろの戦争が、いよいよ本格的に火蓋を切ろうとしていた。
お読みいただきありがとうございます!
今回はタイトルにもある「愛憎の仮面」をルナの視点から描きつつ、ノア直属の部隊である【夜鴉(24名)】の幹部メンバー、リアとシオンも登場しました。
ノアという圧倒的な強者に向かっていくアッシュ・リア・シオンの三人の連携は、今後の集団戦で大きな鍵を握ってきます。
そして、彼らを前に「ノアは私のものよ」とマウントを取るルナ様。悪逆令嬢としての威圧感と、ノアへの重い執着(独占欲)が入り混じった彼女なりの愛情表現に、即座に「俺の剣はお前のためだけに振るう」と返すノア。この二人の共依存関係はやはり書いていて楽しいです。
前半ではついに教会のトップ「枢機卿ザカリー」と、最強戦力「聖騎士」も動き出しました。
次回の夜鴉の初陣、そして聖騎士とのバトルをお楽しみに!




