第11話:「狂宴の茶会と、沈黙の狩人」
ローゼンバーグ公爵邸、最も豪奢な調度品が並ぶ『太陽のサロン』。
そこに集められた数名の貴族たちは、美しいティーカップを片手に、下劣で傲慢な笑い声を響かせていた。
「いやはや、まさかイザベラ様が急病で伏せられるとは。公爵家も不運なものですな」
「全くだ。だが安心していただきたい、ルナお嬢様。我々が後見人として、この公爵家の財産と領地を『適切に』管理して差し上げよう」
「ええ、ええ。あなたはただ、大人しく我々の言う通りに書類へサインをしてくだされば良いのです」
彼らは公爵家の傘下にありながら、イザベラの威光が消えたと知るや否や、公爵家を乗っ取ろうと群がってきたハイエナ(腐敗貴族)たちだった。
昨日の朝、ルナに追い返されたバルガス男爵も、今日は他の貴族たちという『数』を頼りに、再びふんぞり返っている。
ルナは上座のソファーに深く腰掛けたまま、彼らの醜悪な企みを、ただ静かに、冷たい微笑みを浮かべて聞いていた。
「おい、小娘。喉が渇いたぞ。メイド、紅茶のおかわりだ」
バルガスが尊大に顎でしゃくると、部屋の隅に控えていた地味な服のメイドが、トボトボと歩み寄ってきた。
メイドは震える手でティーポットを傾け、バルガスのカップに紅茶を注ぐ。カチャカチャと、カップとポットがぶつかる情けない音が響いた。
「チッ、どんくさいメイドだ。これだから小娘の管理する屋敷は――ん?」
バルガスは、顔を伏せているそのメイドの横顔を見て、不審に眉をひそめた。
どこかで見たことがある。いや、知っているどころではない。
「……い、イザベラ、様……?」
その言葉に、他の貴族たちも一斉にメイドへ視線を向けた。
間違いない。濃い隈を作り、怯えた犬のように震えながら紅茶を注いでいるそのメイドは、つい数日前までこの公爵家に絶対的な権力で君臨していた女主人、イザベラその人だったのだ。
「ひっ、も、申し訳ありません、ルナ様……っ。手が、震えてしまって……」
イザベラはバルガスたちには目もくれず、ただひたすらに上座のルナに向かって、涙目で許しを乞うていた。
一ヶ月に一度の解毒薬がなければ、内臓が溶け落ちる劇薬。その絶対的な死の恐怖が、かつての狡猾な大貴族を、自我を持たない哀れな小間使いへと作り変えていた。
「……いいわ、下がっていなさい」
「は、はい……っ! ありがとうございます、ルナ様……っ!」
イザベラは何度も頭を下げながら、逃げるように壁際へと下がっていく。
その異常すぎる光景に、バルガスたち腐敗貴族の顔から、さーっと血の気が引いた。
(ば、馬鹿な! あのイザベラ様が、あんな小娘に怯えきっているだと!?)
(何があった!? この屋敷で、一体何が起きている!?)
優位に立っていたはずの空気が、完全に逆転している。
本能的な恐怖を感じ取ったバルガスは、額に脂汗を浮かべながら、背後に立つ自身の護衛へ『合図』を送った。
(……ええい、構わん! 手筈通り、庭に潜ませている暗殺者どもを突入させろ!)
***
太陽のサロンから少し離れた、本邸の美しい中庭。
そこには、バルガスたちが裏社会から雇い入れた十数人の武装した暗殺者たちが、突入の合図を待ち構えていた。
「……まだか。早くあの生意気な小娘の首を刎ねて、この屋敷の宝を奪い尽くしてえぜ」
暗殺者の一人が下卑た笑いを漏らし、茂みから立ち上がろうとした、その時だった。
「――随分と安い命だな」
頭上から降ってきた、氷のように冷たく、一切の感情を持たない声。
「なっ!?」
暗殺者が上を見上げた瞬間、大樹の枝から音もなく飛び降りてきた『黒いスーツの少年』が、その首筋に手刀を打ち下ろした。
ボキッ、という乾いた音が響き、暗殺者の頸椎が完全に粉砕される。
「だ、誰だ貴様っ――」
残りの暗殺者たちが慌てて武器を構えようとするが、少年――ノアの動きは、彼らの認識速度を遥かに超えていた。
かつて路地裏で命を奪った暗殺者から簒奪し、己の血肉として完全に定着させた『強靭な脚力と、無音の歩法』。
ノアは瞬きの間に二人の暗殺者の懐に潜り込み、その両胸に掌を当てた。
掌から放たれるのは、体内のみをピンポイントで凍らせる【氷結の魔力】。
「がっ……、ぁ……」
心臓を直接凍結された二人は、悲鳴を上げることもできず、血を吐きながら崩れ落ちる。
「ば、化け物……っ!」
「魔法を使え! 焼き殺せ!!」
恐怖に駆られた残りの者たちが一斉に魔力を練り上げようとした、次の瞬間。
ノアの指先に、昨日の朝にへし折った『傭兵の大剣の破片(鋼の欠片)』が数枚、挟み込まれた。
ノアは一切の躊躇なく、それらの破片を氷の魔力で弾丸のように撃ち出した。
シュッ! ドスッ!!
鋼の破片は、暗殺者たちの眉間や喉笛といった急所を寸分の狂いもなく貫き、その命と詠唱を強制的に刈り取っていく。
凄惨な殺戮。
だが、その中庭には『魔法の爆発音』はおろか、断末魔の叫び声すら一切響かなかった。
静寂な闇の中で行われる、冷酷で完璧な蹂躙劇。
戦闘開始からわずか数十秒。
美しい中庭の芝生には、事切れた十数人の暗殺者たちの死体が、ただ静かに転がっていた。
「……これで全部か」
ノアは返り血の一滴すら浴びていない黒いスーツの襟を正し、無表情のままサロンへと歩き出した。
***
「……どうしたの、バルガス男爵。随分と汗をかいているようだけれど」
サロンの沈黙を破ったのは、ルナの妖艶で冷酷な声だった。
バルガスの顔はすでに蒼白だった。
合図を出してから数分が経過している。だが、突入してくるはずの暗殺者たちは、一向に現れる気配がない。
「き、貴様……一体、何を……っ」
その時、サロンの扉が静かに開いた。
「お待たせしました、ルナ様」
入ってきたのは、黒いスーツを着た十歳の少年、ノアだった。
その姿を見た瞬間、バルガスの膝がガクガクと震え始めた。昨日の朝、己の傭兵たちを一瞬で氷漬けにした、あの得体の知れない化け物。
その彼が、たった一人で無傷で戻ってきたということは。
(全滅……したというのか!? 金貨千枚で雇った、あの一流の暗殺者たちが……無音で!?)
バルガスたちの絶望をよそに、ノアはルナのテーブルの上に、分厚い数冊の書類をドンッと投げ出した。
「これは……?」
他の貴族が震える声で問う。
ルナは優雅に書類をめくり、悪逆令嬢としての最高に美しい笑みを浮かべた。
「お義母様の隠し金庫にあった、裏帳簿よ。……あなたたちが長年、公爵家の領地からどれだけの税を横領し、私腹を肥やしてきたか。そのすべての証拠が、ここに書かれているわ」
「ば、馬鹿な! それは極秘の暗号で書かれていたはずだ! たかが小娘に解読できるわけが――」
「『王都東区の娼館の利益、二割をバルガス男爵へ還流。西の鉱山の採掘権、偽造書類にて横領』……」
ノアが、感情の読めない冷たい声で、裏帳簿の暗号文をスラスラと読み上げた。
かつて闇市で得た、王都最高峰の『暗号解読の知識』。そのロジックの前に、貴族たちの浅知恵など丸裸も同然だった。
「ひっ……!?」
完全な証拠。そして、外の暗殺者すら一瞬で消し去る絶対的な暴力。
逃げ道など、最初からどこにも用意されていなかったのだ。
「さて、皆様」
ルナはパタン、と裏帳簿を閉じ、立ち上がって彼らを見下ろした。
「選ばせてあげるわ。このまま国家の騎士団に帳簿を突き出されて、一族もろとも処刑台に登るか。……それとも、今すぐその薄汚い命と財産のすべてを、私の足元に捧げるか」
死か、完全なる絶対服従か。
広間を包み込む圧倒的な恐怖と威圧感の前に、もはや貴族たちのプライドなど紙切れほどの価値もなかった。
「あ、あああ……っ」
ドスン、と。
バルガスが床に膝をつき、それに続くように、すべての腐敗貴族たちが、ルナの足元に惨めに平伏した。
「……お、お許しください、ルナ様……っ! 我々の、我々のすべては、あなたのものです……っ!!」
広間に響き渡る、泣き声と命乞い。
かつて、別邸で孤独に震えていた無力な令嬢は、もういない。
「……ふふっ。いい子ね、あなたたち」
ルナは自分に這いつくばる貴族たちを見下ろし、隣に立つ最強の共犯者と視線を交わした。
公爵家内部の腐敗を一掃し、すべての権力と莫大な財産をその手中に収めた瞬間。
それは、ルナ・ローゼンバーグが王都の貴族社会における真の『覇者』として、国家の闇(光の教会)に反逆するための、巨大な第一歩だった。
お読みいただきありがとうございます!
第二章「覇権闘争編」のスタートです!
今回はルナ様とノアの連携による、公爵家内部の腐敗貴族たちへの「恐怖のお茶会」でした。
元女主人のイザベラがただの怯える小間使いになっている描写は、少しエグかったかもしれませんが、ルナの支配力を示す最高の舞台装置になってくれました。
裏帳簿の暗号を解読し、政治的弱みを握ったルナ。
そして物理的な脅威を無音で全滅させるノア。
この二人がついに公爵家の全権力を握り、いよいよここから王都の貴族社会全体へとその毒牙を伸ばしていきます!
もし「イザベラのメイド化ざまぁ!」「ノアのステルスキルかっこいい!」「二人の無双が痛快!」と少しでも楽しんでいただけましたら、
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