第10話:「新体制の朝と、大いなる反逆の誓い」
ローゼンバーグ公爵家の本邸。
豪奢な大広間に、爽やかな朝日が差し込んでいる。
長大なダイニングテーブルの上座。かつては継母であるイザベラが座っていたその『主の席』で、ルナは優雅に朝の紅茶を楽しんでいた。
「……ル、ルナ様。お代わりは、いかがでしょうか……」
傍らに立ち、震える両手でティーポットを差し出してきたのは、他でもないイザベラだった。
豪華なドレスではなく、地味な使用人の服を着せられ、目の下には濃い隈ができている。
昨夜、ルナに飲まされた『遅効性の劇薬』。
一ヶ月に一度、ルナから解毒薬を貰えなければ内臓が溶け落ちるという絶対的な恐怖と痛みが、この傲慢だった女の精神をたった一晩で完全にへし折っていた。
「ええ。お願いするわ、お義母様」
ルナがカップを差し出すと、イザベラはカチャカチャと音を立てながら、怯えた様子で紅茶を注ぐ。
完全なる主従の逆転。
ルナは湯気の立つ紅茶を一口飲み、満足げに微笑んだ。
だが、その優雅な勝利の朝餐は、乱暴な足音によって破られた。
「イザベラ! 一体どういうことだ!!」
大広間の重厚な扉が蹴り開けられ、ずんぐりとした体型の男が、数人の武装した私兵を引き連れて上がり込んできた。
王都の裏社会と太いパイプを持つ腐敗貴族、バルガス男爵だ。
昨夜の闇オークションに多額の出資をしていた彼は、会場が何者かに襲撃され、裏金がすべて奪われたと聞いて血相を変えて乗り込んできたのだ。
「……何よ、イザベラ。病気で伏せっていると聞いたが、なぜ使用人のような格好をしている? それに、そこに座っているのは……別邸で死に掛けていたはずの娘じゃないか」
バルガスは怪訝そうに眉をひそめ、上座のルナを鼻で笑った。
「まあいい。イザベラ、オークションの損失はどうしてくれる! 出資した金はきっちり耳を揃えて返してもらうぞ。払えないなら、その小娘を裏の娼館にでも売り飛ばして――」
「随分と騒がしい犬ね」
ルナが冷たい声で遮ると、バルガスはピクリと顔を引きつらせた。
「あぁ? 小娘、自分が誰に向かって口を利いているか――おい、その生意気な口を縫い付けてやれ」
バルガスが顎でしゃくると、背後に控えていた二人の凄腕の傭兵が、下劣な笑みを浮かべてルナへと歩み寄った。
しかし、傭兵たちがルナに触れることは、永遠にない。
ルナの背後に控えていた十歳の少年――ノアが、半歩前に出た。
ただそれだけの動作。
だが次の瞬間、大広間の空気が、文字通り『絶対零度』へと凍りついた。
ピキィィィンッ!!
「なっ……!?」
「あ、足がっ!?」
二人の傭兵が悲鳴を上げた。
かつて路地裏の暗殺者から簒奪し、ノアの血肉として完全に定着している『氷結の魔力』。
それが床を這う冷気となって傭兵たちの両足を包み込み、大理石の床へと完全に縫い付けていた。
「無詠唱の氷結魔法だと!? ええい、構わん! そのガキごと斬り捨てろ!」
バルガスが喚くが、傭兵たちは剣を振り下ろすことすらできなかった。
ノアは音もなく傭兵の懐に潜り込むと、彼らが構えていた分厚い鋼の大剣を、素手で無造作に掴んだ。
そして、奪い取っていた強靭な筋力に任せ、メキッ、と嫌な音を立てて『鋼の剣を素手でへし折った』のだ。
「ひっ……!?」
物理法則を無視した悪夢のような光景に、傭兵たちの顔から血の気が引く。
ノアは折れた剣の刃先を、一切の感情を持たない深海の瞳で、バルガスの喉元にピタリと突きつけた。
「静かにしろ。ルナの食事の邪魔だ」
「ひぃぃっ!! あ、ああっ……」
一歩でも動けば喉を貫かれる。
絶対的な死の気配を突きつけられ、バルガスは無様に腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
その滑稽な姿を見下ろし、ルナは優雅に立ち上がった。
「バルガス男爵。お義母様の負債は、私が引き継ぎましょう。……ただし、これからのローゼンバーグ公爵家のルールは、私よ」
ルナは扇子を開き、氷のように冷たく、圧倒的な威厳を持って見下ろした。
「命が惜しければ、さっさと自分の領地に帰りなさい。そして震えて待っていることね。あなたがこれまで公爵家の裏金で吸ってきた甘い蜜、きっちりと吐き出させに行くから」
「あ、悪魔……っ。お、憶えていろよ!!」
バルガスは震える足で立ち上がると、氷漬けになった傭兵たちを見捨てて、逃げるように大広間から転がり出ていった。
残された静寂の中で、ルナは小さく息を吐いた。
「……見た、ノア? お義母様を屈服させても、次から次へとウジ虫が湧いてくるわ。公爵家を掌握するっていうのは、こういう連中を一人残らず粛清しなきゃいけないってことなのね」
「面倒か?」
「まさか。最高に面白くなってきたわ」
ルナは悪逆令嬢としての艶やかな笑みを浮かべ、ノアへと振り返った。
***
その日の夜。
本邸の最上階にあるバルコニーで、ノアとルナは夜風に吹かれながら王都の夜景を見下ろしていた。
街の灯りの中心。そこに一際高く、白亜の塔がそびえ立っている。
国家の裏側を支配し、五年前のアスター家暗殺を命じた真の黒幕――『光の教会』の大聖堂だ。
「あれが、俺たちの最終目標だ」
ノアが冷たい瞳で大聖堂を睨み据える。
「今の俺たちじゃ、正面から挑んでも国家権力と異端審問官の数に押し潰される。奴らの喉元に刃を届かせるには、俺がもっと成長し……そして、お前がこの国の貴族社会の頂点に立つ必要がある」
「ええ。今日のような腐敗貴族たちをすべて喰らい尽くし、公爵家の権力と財産を完璧な私たちの手足にする。……五年、いや、もっとかかるかもしれないわね」
果てしなく遠く、険しい反逆の道。
だが、二人の心に迷いはなかった。
「お前を虐げてきた貴族社会を、すべてお前の足元に跪かせる。……そして俺からすべてを奪った神様を、俺が殺す。そういう契約だ」
ノアが右手を差し出す。
ルナはふわりと優しく微笑むと、その小さな、けれど世界で一番頼もしい少年の手を、しっかりと握り返した。
「よろしく頼むわ。私の最強の共犯者さん」
王都の冷たい月明かりの下。
底辺から這い上がった復讐鬼と、覚醒した悪逆令嬢による、国家を揺るがす壮大な覇権闘争が、今、静かに幕を開けたのだった。
お読みいただき、本当にありがとうございます!
ついに本邸を掌握し、第一章(別邸〜本邸編)が完結となりました!
応援してくださった皆様、ここまでノアとルナの復讐劇にお付き合いいただき、本当にありがとうございます!
そして今回提示された、真の敵である「光の教会」と、本邸に巣食う「腐敗貴族たち」。
この物語はここから、ノアの成長とルナの領地経営(派閥争い)を交えながら、何年にもわたって国家の闇を喰らい尽くしていく壮大な大河ファンタジーへと突入します。
(これからどんどんスケールが大きくなっていきますよ!)
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次話よりスタートする第二章「公爵家の影と、新しき主」編も、引き続きよろしくお願いいたします!




