#6 Sounds――音韻
機関科整備士のディジアは多面的だった。
医療看護師と心理療法師の資格をもっていたからだ。
だが、その面で彼女がもっとも秀でていたのは心理療法師であり、それを知っていた《リヴァール号》の専従医師パンチャの意向もあってか、ディジアは一人の気難しい患者の担当を任されていた。
戦場恐怖症の男、ヴォロンターリオだった。
彼が最悪の時期を乗り越えて大分回復したのは、ディジアの一日も欠かさない心理療法の効果といってよかった。
しかし、船内で南北両軍が戦争に突入するという噂が流れはじめると、ヴォロンターリオは落ち着きをなくしはじめた。
「あんたはなにもわかってない! あんたになにがわかるんだ!」
「ヴォータ、そんなことないですよ。わかるわからないじゃないんです。でも、だからって、わたしが毎晩ここにくるのは同情ではありません。それは知っているはずですよね?」
ディジアはヴォロンターリオの剣幕に飲まれることなく、ゆっくりと穏やかに話していた。
「じゃあなんだっていうんだ? 俺のことをわかった奴なんか一人もいない。あんたもそうだ。それに、一体、何回、何人に話してきたと思ってるんだ。またはじまるんだ。俺を苦しめた戦争がな。その意味があんたにわかるのか !? 見ろ、この手を。またあの感覚を思い出して震えていやがる……」
「正直にいってわかりません。でもヴォータ、少なくともわたしはあなたの話を嘘だと思ったことはありません。それに、きちんと聞いて受け止めてもいますよ」
この夜を境に、ディジアとヴォロンターリオの関係はすこしずつ悪化していった。
(このままじゃまずい。わたしと彼は言葉がすれ違ってる。でも、そこには埋めがたい溝がある。語彙の問題……。親や兄弟というほとんど似た環境にいてさえ、語彙感覚はズレるもの。もっとも、概念や体系への共通理解があれば大分違うはずだけど、それは専門領域とか専門用語を習得した者同士の間にしか通用しない。しかも、それだって多少のズレはどうしようもない。だとしたら、どうしたらいいのかしら?……。感覚で繋がれる方法……)
ヴォロンターリオは義勇兵だった。
兵といってもそれは建前上であり、彼は木星宙域などの辺境域でつづく、終わることのない南北両軍の小競り合いに、なんらかの貢献をしたくて後方支援要員として志願した、作業員ともいえる立場だった。
だが、南北両軍はきたる決戦を睨んでか、正規兵の投入を控えて、民間軍事組織やヴォロンターリオのような義勇兵を引っ張り出しては、前線に送った。それも最前線に。
こうして幾多の兵が命を落とし、彼のような戦場恐怖症になって、軍から放り出された者が多数いた。
特に攻撃重視主義の北軍は、彼らを消耗品のように扱った。
以前から北軍の傲慢なやり口に腹を立てていたディジアからすれば、ヴォロンターリオのような男を回復させることは、北軍のやり方への抗議という側面もあった。
毎晩、四十五分から一時間、長くて一時間半の間、彼女は語りかけ、耳を澄まし、考えた。
以前であれば、その夜の心理療法が終わるころには、ヴォロンターリオは穏やかといえないまでも、眠りに落ちることがほとんどだった。だが、しだいにそうしたこともなくなっていった。
安定剤や睡眠薬を処方せざるを得なくなっていた。
(これでは精神の前に身体がまいってしまう。でも、なにか必ず方法があるはずよ。なにかあるはず……)
ディジアは深い悩みを抱えながらも、夜勤の機関整備作業中はそうしたことを噯にも見せずにいた。周囲から見れば普段となにも変わらずに見えたのだった。
このころには、既にディジアは《リヴァール号》の機関に関してはほとんど習得を済ませていた。
そうして、その機関についての概念と体系の間から導き出される解こそが、ヴォロンターリオの回復に役立つのではないかという直感が閃いたのだった。
しかし、そのことを別の健康な人の感覚で確かめられない限り、心理療法として実践する危険性も理解していた。
(そうなると、チクローポから話を訊く機会をつくるしかないけど……でも、これも難しい……)
そんなある日、ディジアは座席客室で撮影機材を分解整備しているチクローポを目にした。
(あ、いた!)
好機を逃すまいと静かに近寄っていった彼女のなかで、また閃きが起こった。
(そういえば、タミーがいってたけど、チクローポってイタリア語が好みだったわね)
「こんばんは、ご機嫌いかが?」
チクローポはすぐに手を止めてディジアを見つめたあといった。
「下手だな」
「え?」
思っていた以上にすぐ反応があったことに驚いたからか、ディジアの口から使い慣れた母国語のフランス語が飛び出した。
「ブォナセーラ、コメ スタ? だ」
珍しくも彼のほうから口火を切った。
「ブォナセーラ、コメ スタ? かな?」
「そうだ」
「じゃあチクローポ、『撮影機材』の発音は?」
ここぞとばかりにディジアはすかさず切り込んでいった。
だが、チクローポはそれには答えず、右手の人差し指を立てると左右に振った。
「キクローポだ」
「ああそうね、そうだったわね」
ディジアは下唇を突き出したり引っ込めたりしながら、「チ」とも「キ」ともいい難いそれを声にして発音をマスターしようとしはじめた。
しばらくすると、チクローポが親指を立てて見せた。
「やっとできました」
チクローポは微かに頬を緩めた。
こうして話のきっかけを得たディジアは、予想外に長い時間、片言しか喋らないチクローポと、会話のようなものを交わすことができた。
彼女にとってそれは測りがたい収穫だった。
特異な《リヴァール号》の機関の特徴と、チクローポの変わった撮影方法と、ヴォロンターリオの治療法がひとつに結びついた瞬間だった。
ディジアが気密室ではじめてチクローポに声をかけてから、一年半以上の月日が流れ去っていた。
こうしてディジアは限られた時間のなかで、必死にイタリア語を習得しようとしはじめた。
彼女が上達を感じるとチクローポに発音の点検を頼むようになり、自然と二人の距離は縮まっていった。
それはもちろん、担当患者であるイタリア系出身のヴォロンターリオのためだった。
だが、彼女のイタリア語が流暢になる前に、かねてから噂されていたとおり、木星宙域で南北両軍が互いに宣戦を布告しあい、戦争がはじまってしまったのだった。




