#10 Absence――別離
《リヴァール号》はガニメデの岩と氷の大地に着床した。
このとき船が降りた宇宙港は、戦争の影響を被らないようにと、ナトルーン火口発着場が選定された。
火口といっても、かつての活火山や死火山ではない。
地球でいわれる枯れ谷に似た盆地のことであり、その底に建築された簡易密閉型ドームがある、小さな宇宙港だった。
《リヴァール号》はガニメデの大地に脚を着けると、薄い大気に守られた簡易ドームへと誘導滑走して、そこに到着すると発動機を停止させた。
パンタミーマは乗降扉の脇に立って、地球から約六十日間に知り合った乗客や、このフライトで船を離れる乗務員を見送っていた。
ディジアもまた、去りゆき、新たに乗り込んでくる機関科員の出迎えのために、乗降扉のすぐ傍にいた。
「ねえディージ、あいつが遅いのって珍しくないか? いつもなら誰よりも早く船を降りるのにな。下手したら、あたしらがここに来る前に降りてたのが、いままでなんだけどさ」
「そうね、チクローポらしくないわね。でも、彼には彼の考えがあるんじゃないかしら? 今回なら、入念な準備をしているとかじゃないかしら?」
「そうかな? なにも考えてなさそうだけど」
「あ、来たみたいよ。噂をすればなんとやらね」
そのチクローポの表情には翳があった。
機材が詰まった荷物や服装こそなにも変わりはなかったが、足取りも重いようだった。
「おーい冬眠野郎、ようやくお出ましかー!」
「冬眠野郎って……」
だが彼は、パンタミーマの軽口に動じる様子は皆無だった。
ディジアの前まできて足を止めたチクローポは、
「イタリア語、頑張れよ」
と呟き、パンタミーマに視線を向けて、
「部品、世話になったな」
と呟いた。
それだけいうとチクローポは背中を見せて歩き出した。
「なんだよ、なんだよ。それが今生の別れになるかもしれない戦場カメラマンのいう台詞なのかよ。もうちょっと、なんかないのかよ!」
パンタミーマは悲しそうな顔をしながら喚いた。
「わかった、わかったよ。確かにあたしのあんたへの当たり方は、ぞんざいだったけどさ、悪気がないのはわかってんだろが? こんなときくらい愛嬌見せろって!」
と今度はよく通る大声で怒鳴った。
「あんたが一番気に入った愛称で呼べばいいのか !? おーい、ティーポ!」
その呼び方を耳に止めたのか、チクローポは足を止めて振り返った。
そうして、右腕をゆっくり持ち上げると、右手の親指を立てて見せた。
「おうおうおう、それだけかよ。あんた物食うときは口動かすくせに、こういうときは動かさないのかよ! なんとかいえよ、バーカ!」
チクローポはそれきり振り返ることなく、歩き去ってしまった。
「タミー……」
ディジアは軽口の裏にあるパンタミーマの心を読み取って、優しく肩を抱きながら吐息のような声をかけた。
「放っといて……」
彼女はいまにも泣き出しそうなくしゃくしゃの顔をして、ディジアの手を振り払うと、船内に駆け込んでいった。
三日後、《リヴァール号》は、ナトルーン火口発着場を離れて、進路を地球に向けた。
舷窓から見える小さくなっていく、茶褐色と灰色の斑模様のガニメデを見ながら、パンタミーマは胸のなかで叫んでいた。
(ティーポ、死ぬなよ。ちゃんと飯食って寝ろよ。風邪引くなよ。あと、馬鹿な探し物なんかやめちまえ……)
彼女の乗る《リヴァール号》が、ふたたびガニメデに戻って来るまで、約百二十日間かかる予定だった。
ともかく、こうしてチクローポは戦場カメラマンとしての一歩を踏み出した。
彼の探索は表面積だけでも、約八千七百万平方キロメートル――日本の約二百三十倍で、地球の約六分の一――あるガニメデだけでも手に余ったが、彼は宇宙撮影家と戦場カメラマンとして、木星に百十五個以上ある衛星を、文字通り飛び回った。南北両軍の根拠地はなるべく避けて、両軍の管轄下にある民間軍事組織などが取り仕切る、比較的安全な地域を選んだのだった。
もっとも、このころ行われていた南北両軍の激突は、宇宙空間における艦隊同士の砲火力による制圧戦であったから、その手の取材は大手通信社によるのがほとんどだった。
ともあれ、そうした状況下でチクローポは幾多の人々の命を救った。
軍関係者はもちろん、軍属や民間人、あるいは同業者や探検家、発掘のために訪れていた宇宙考古学調査隊といった遭難者の救難救助に手を貸したこともあった。
こうして、チクローポは様々な情報網と生き残る術に磨きをかけていった。
もちろん、彼は外なる無を探すための撮影も欠かさずつづけていた。
彼が一番注目したのは、南軍のラハム地溝帯基地がある渓谷だったが、その周辺から遭難者を度々運んだことから、基地のシュド軍医と顔見知りになったりもした。
また、パンタミーマから紹介された、密輸業者やその転売者とも関係を築いていった。
とはいえ、そうした海賊まがいの連中からは、「口無し耳男」といった悪評を賜ったりもした。
一方、チクローポがいなくなった《リヴァール号》船内で、もっとも寂しがり愚痴っていたのは、パンタミーマだった。
特に、心を許したディジアと一緒にいるときは、そうした話題になることが多かった。
「なんかさ、無口な奴ほどいなくなると存在感が増すって変じゃない?」
「でも、そういう面てあるんじゃないかな?」
「やっぱそう? ディージもそう感じるの?」
「うーん、わたしはそれほどでもないかな。きっと、頭で考えすぎるからじゃないかな? それにどっちかというと、わたしはタミーのほうが存在感が強いのよ」
「どういうこと?」
「まず、よく喋る。もちろんそれだけじゃないけど、それを説明しようとすると、とたんに難しくなるのよ。これほんとに深い悩みなの。――それにね、わたしどういうわけか、あなたといると言葉が雑っていうんじゃないけど、そうね、柔らかくなるみたいなの」
「意味がわかんないんだけど……。だってディージの話し方はいつも変わらないよ」
「そうでもないんだってば。わたしあなたと話してると、あんまり『ですます調』にならないのよね」
「ああ、そういうことか」
「それにさ、あいつの口癖、『さあな』。これがまた便利でね。『知らない』っていっても全部知らないわけじゃないし、『知ってる』っていっても嘘になる。そういうとき、『さあな』って、まじで便利なんだ。投げやりっていえば投げやりなんだけど。――でもさ、人っていなくなると、そいつのこと思い出しては勝手に妄想して膨らませたり、いいように造形しなおしたりもしてんだろうね」
「でも、そうしないと人間関係はやってられないんじゃない?」
「そうかもね。――ディージ、あたしさ、悪運が強い女なんだ」
「え、そうなの? 全然そう見えないけど?」
「違うの。悪運、強いらしい。――つまりね、悪いこと想像してそれを口にすると、本当になっちゃうんだな、これが……。だからかな、変に前向きになろうとして軽口叩くのは。でも、意識してやってるってわけでもないんだけどね」
「いいんじゃない? ふつうに生きてたら、人間て防衛的だからね。危機管理のために嫌なことを案外記憶してるものだから……」
「ふーん、そうなんだ」
そうした会話がどれくらい交わされたかは定かではないが、チクローポのいなくなった《リヴァール号》は約百二十日後に、ふたたびガニメデの大地に降り立った。ナトルーン火口発着場に脚を着けた。
パンタミーマとディジアは以前と同じように、乗降扉の脇に立って行く人来る人に視線を走らせ、挨拶を交わしていた。




