第9話 理科室のプラネタリウム、僕の幸せな失恋
第9話をお届けします。次話で本編最終回となります。
八月二十五日。
夏休みの終わりが、すぐそこまで足音を立てて近づいていた。
ジリジリと照りつける太陽の光は相変わらず強かったけれど、夕方になると吹き抜ける風に、どこか寂しげな秋の気配が混ざるようになっていた。僕たち四人は、毎日をあの旧校舎の理科室――僕たちの秘密基地で過ごしていた。
「ほら、ソウタ、そこ踏むと床が抜けるから気をつけてよ」
ユキが机の上にスケッチブックを広げながら、冷ややかな、だけどどこか楽しげな声をあげる。
「おっと、危ねぇ。ここ、本当に今月で壊されちゃうんだな……」
甚平姿のソウタが、頭を掻きながら苦笑いした。あいつの顔からは、お祭りの夜のような張り詰めた空気はすっかり消えていた。目の下の隈も薄くなり、時折見せる笑顔は、以前の「完璧なフリ」をしていた頃よりもずっと人間らしくて、どこか少し不器用だった。
「ねぇ、みんな! これ見て!」
部屋の隅の戸棚を漁っていたアオイが、埃まみれの箱を抱えて戻ってきた。中に入っていたのは、小学校の時に理科の授業で使った、古いプラネタリウムの機械だった。
「懐かしい! これ、まだ動くのかな?」
アオイが目を輝かせる。
「どれ、俺がちょっと見てやるよ」
ソウタが箱を受け取り、器用にコードを繋ぎ直して、古いコンセントに差し込んだ。カチリ、とスイッチを入れると、小さなモーターが静かに回り始める。
「ハル、カーテン閉めて!」
「おう」
僕は言われるままに、理科室の分厚い遮光カーテンを全て閉め切った。一瞬にして、部屋の中が真夜中のような暗闇に包まれる。直後、プラネタリウムの小さなレンズから、無数の白い光の粒が放たれた。
埃の舞う理科室の天井や壁、そして僕たちの浴衣やTシャツの上に、満天の星空が映し出される。
「わあ……綺麗……」
アオイが歓声をあげ、天井を見上げた。
その横顔が、小さな星の光に照らされて淡く輝いている。僕も、ソウタも、ユキも、言葉を忘れてその疑似的な星空を眺めていた。
「ねぇ。私たち、本当にバラバラになっちゃうんだね」
ユキが、手元を星の光で照らしながら、ぽつりと言った。
「私は東京の美大に行く。ソウタは地元の大学で、アオイは看護の専門学校。ハルは……京都の大学だっけ?」
「うん。推薦が決まれば、だけどね」
僕は頭の後ろで手を組み、天井の北斗七星を見つめながら答えた。この夏が終われば、僕たちはそれぞれの進路へと歩み出す。今までみたいに、毎日同じ教室で顔を合わせて、放課後にこの秘密基地に集まるような日々は、二度と戻ってこない。
それは仕方のないことで、誰もが通る「大人になるための階段」だ。
だけど、お祭りの夜に一度壊れかけた僕たちの絆は、この暗闇の中で、星の光のように静かに、だけど確かに輝いていた。
「俺さ、みんなにちゃんと言ってなかったけど」
ソウタが、星空を見つめたまま、静かに口を開いた。
「俺、大学に行ったら、児童福祉の勉強をしようと思ってるんだ」
「児童福祉……?」
アオイがソウタを振り返る。
「あぁ。ハルトくんのことがあったから……っていうのも、正直ある。でも、それだけじゃなくて、俺みたいに一人で傷を抱えて、誰にも言えずに苦しんでる子供たちの力になりたいんだ。完璧な人間のフリをしなくても、お前はそのままでいいんだよって、言ってあげられる大人になりたい」
ソウタの言葉には、かつての「罪悪感からくる義務感」ではではない、彼自身の本当の「意志」が宿っていた。
自分自身の過ちと、弱さと、徹底的に向き合ったからこそ見つけた、新しい光。
「素敵な夢だね、ソウタ」
アオイが、本当に嬉しそうに、心からの笑顔をソウタに向けた。その笑顔には、もう何の曇りも、無理をした薄い膜も張っていなかった。三年間、ずっと過去のトラウマに囚われていたアオイもまた、ソウタの本当の素顔を受け入れることで、前へと進み始めていたのだ。
「ユキちゃんの絵も、私、すごく楽しみにしてる。東京で個展開く時は、絶対一番に呼んでよね」
「当たり前でしょ。あんたたちに高いチケット売りつけてあげるわよ」
ユキがふんと鼻を鳴らす。その口元は優しく緩んでいた。
「ハルも、京都に行ったら新しい彼女とか作っちゃうわけ?」
アオイが悪戯っぽく僕の顔を覗き込んできた。
「バカ、そんな簡単にできるかよ」
僕はそっぽを向いた。胸の奥が、少しだけツンと切なくなる。アオイへの恋心は、結局、叶わぬまま終わるだろう。アオイの隣にいるのは、傷を分け合ったソウタだ。だけど、それで良かった。
僕はアオイが好きだった。アオイが心から笑えるようになるための力になれたなら、僕のこの片思いは、世界で一番幸せな失恋だ。
「なぁ、八月三十一日。最後の日は、ここで日の出を見ないか?」
ソウタが提案した。
「この秘密基地が壊される日の朝、四人でここに集まって、最後の太陽を見るんだ。それが、俺たちの本当の卒業式だ」
「賛成!」
アオイが真っ先に手をあげた。
「私も、いいわよ。最後の景色のスケッチ、仕上げなきゃいけないし」
ユキも静かに微笑む。
「じゃあ、決まりだな」
僕はカーテンを開けた。一気に夕方のオレンジ色の光が室内に流れ込み、疑似的な星空は一瞬で消え去ってしまった。だけど、僕たちの胸の中に灯った光は、もう消えることはなかった。
窓の外では、最後の夏の太陽が、ゆっくりと西の山へと沈んでいく。あと数日で、この場所はなくなる。僕たちの、本当の最後の夏休みが、いよいよ終わろうとしていた。
第9話をお読みいただき、ありがとうございました。
古いプラネタリウムが映し出す星空の下、語られるそれぞれの進路。ハルの「幸せな失恋」が、切なくも温かい余韻を残します。
次回はいよいよ本編最終回です。
彼らの秘密基地の最後の日を、どうか見届けてください。
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