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第10話 君の傷跡に、僕らは花を植えられなかった

本編最終回となります。

四人が選んだ秘密基地の終わらせ方、そして未来への一歩を、最後まで見届けていただければ幸いです。

八月三十一日。午前四時三十分。

まだ夜の帳(とばり)が完全に下りている薄暗い町を、僕は一人、自転車を漕いで進んでいた。

ペダルを漕ぐ足に当たる風は、一週間前とは明らかに違って、肌寒さを覚えるほどの秋の冷たさを孕(はら)んでいる。カレンダーの最後の一枚、その一日が始まった。

今日、僕たちの秘密基地はなくなる。旧校舎の前に着くと、すでに立ち入り禁止のフェンスの前に三人の影があった。


「ハル、遅い!」


アオイが白い息を小さく吐きながら、手を振った。

上着を一枚羽織った彼女の隣には、大きなリュックを背負ったソウタと、お馴染みのスケッチブックを抱えたユキが並んでいる。


「わりぃ、ちょっと寝坊した」

「ほら、早く行くわよ。重機が来る前に、私たちの最後の儀式を終わらせなきゃ」


ユキに急かされるようにして、僕たちは見慣れた錆びたフェンスの隙間を潜り抜けた。ギィ……と、これが最後になるであろう重い音を立てて、理科室のドアを開ける。机も椅子もそのまま、埃っぽい匂いもそのままだ。

だけど、部屋の隅には「解体工事予定」と書かれたプラスチックの看板が寂しげに転がっていた。僕たちはいつものように、大きな実験机の周りに集まった。窓を大きく開け放つ。東の空の境界線が、濃い群青色から、うっすらと淡い紫、そして茜色へとグラデーションを描きながら変わり始めていた。


「……本当に、終わるんだな」


ソウタが窓枠に手をかけ、遠くの街並みを見つめながら呟いた。


「うん。でも、寂しくないよ」


アオイがソウタの隣に並び、優しく微笑んだ。


「三年前の私は、ここで時間が止まってた。ハルトのあの夜から、ずっと暗い部屋の中に一人で閉じこもってた気がする。でもね、ソウタが泥だらけになって泣いてくれて、ハルがまっすぐに気持ちを伝えてくれて、ユキちゃんが私の目を開かせてくれた。だから私、やっとこの部屋から一歩、外に出られる気がするんだ」


アオイはそう言うと、僕たちの顔を一人ずつ順番に見つめた。その大きな瞳は、朝焼けの光を反射して、まるで宝石のようにキラキラと輝いていた。


「ユキちゃん、絵、見せて」


アオイの言葉に、ユキは少し照れくさそうにしながらも、開いていたスケッチブックを僕たちの方へと向けた。そこには、星の光が散りばめられたあの日の理科室と、実験机に座って笑い合う僕たち四人の姿が、信じられないほど繊細で、温かいタッチで描かれていた。


「これ……すごいな」


ソウタが感嘆の声を漏らす。


「私たちの形は、歪だったかもしれない」


ユキはスケッチブックの端を愛おしそうに指でなぞりながら、静かに語った。


「お互いに嘘をついて、出し抜こうとして、片思いの矢印は全部すれ違って。誰一人として、想いが綺麗に重なることはなかった。……でもね、だからこそ、この絵の中の私たちは、世界で一番本物だったと思う。私は、この四人で過ごした夏を、一生忘れない」


ユキの目から、一筋の涙が静かに零れ落ちた。それは失恋の涙ではなく、愛おしい過去への、最高の決別の涙だった。


「ハル」


今度はソウタが、僕の正面に立った。あいつは僕の目を真っ直ぐに見つめ、右手を差し出してきた。


「アオイを、俺の隣に歩かせてくれて、ありがとう。あの日、お前が俺を殴るように言葉をぶつけてくれなきゃ、俺は今頃、自分の嘘に潰されて本当に消えてた。……お前は、最高の相棒だよ、ハル」


僕はソウタのその不器用な、だけど本物の手を見つめ、フッと笑ってその手を強く握りしめた。


「当たり前だろ。アオイを泣かせたら、京都からいつでも飛んできて、今度こそお前を本気で殴るからな」

「あはは、勘弁してくれよ」


ソウタが声をあげて笑う。その笑顔は、僕が中学生の頃に憧れた、あの頼もしい親友の笑顔そのものだった。アオイの隣にいるのは、やっぱり僕じゃない。

だけど、僕の片思いは、アオイの心に「前を向く強さ」という小さな花を植えることができた。

それで十分だ。

僕の青春は、この理科室の埃と一緒に、ここに綺麗に置いていこう。

ドン……。地平線の向こうから、燃えるような、圧倒的なまでの太陽の光が、理科室の中に差し込んできた。部屋中の埃が光の粒子となってキラキラと舞い、僕たち四人の影を、旧校舎の白い壁に長く、深く描き出す。


「始まるね」


アオイが呟いた。


「あぁ、始まるな」


ソウタが応える。僕たちは四人並んで、昇りゆく太陽の光を全身に浴びた。君が抱えた大きな傷跡に、僕らは綺麗な花を植えることはできなかったかもしれない。

傷は傷のまま、これからも時々、痛むかもしれない。だけど、僕たちはその傷跡を抱えたまま、この眩しい光の中を、それぞれの足で歩いていける。


「じゃあね、私たちの秘密基地」


アオイのその声を合図に、僕たちは誰一人振り返ることなく、光あふれる世界へと一歩を踏み出した。

背後で、朝風に揺られた理科室のドアが、トントンと、僕たちの背中を押すように小さく鳴り響いてた。

『幼馴染四人の切ない片思いの連鎖』本編、これにて完結となります。最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。


傷を抱えたまま、朝焼けの光の中へ進んでいく4人の結末、いかがでしたでしょうか。


感謝の気持ちを込めまして、次回、4年後の彼らを描く

【第11話(番外編:アフターストーリー)】を投稿いたします。

もしこの物語が少しでも心に響いていましたら、下部の評価(☆)やブックマークをいただけますと、デビュー作品への最高のご褒美になります。どうぞよろしくお願いいたします。

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