第11話(番外編) 朝焼けの光が、僕たちの足元を照らしている
本編へのお付き合い、本当にありがとうございました。
あの夏から4年が経ち、それぞれの道を歩んでいる四人を描いた、最後の番外編です。
京都の夏は、地元の比ではないほどに蒸し暑かった。鴨川沿いの街灯に群がる虫の羽音を聞きながら、僕――ハルは、大学の近くの古いアパートのベランダで、冷えた缶ビールを一口あおった。
二十二歳。あの旧校舎の理科室で、四人で最後の日の出を見てから、もう四年が経とうとしていた。ユキやソウタ、アオイは今年の春に大学や専門学校を卒業して、もう社会人として働き始めている。
それなのに、僕はまだこうして学生としてキャンパスに通い、夜遅くまで課題に追われている。建築の世界は思った以上に奥が深くて、学ぶべきことが多すぎた。あの夏、目の前で消えていった「秘密基地」という空間が、あまりにも愛おしく、そして儚かったから。形あるものを、誰かの大切な居場所を、今度は自分の手で作りたい。その一心でこの道を選んだけど、みんなが一足先に大人になっていく姿を見るのは、正直、少しだけ焦る気持ちもあった。
スマートフォンが、ポケットの中で小さく震えた。画面を見ると、メッセージアプリのグループチャットに、一通の画像が届いていた。差出人は、東京の美大を卒業し、デザイン事務所で働き始めたユキだった。画像には、少し薄暗いギャラリーの中に、一枚の大きな油絵が飾られている様子が写っていた。描かれているのは、セピア色に染まった古い理科室と、窓から差し込む強烈な朝焼けの光。そして、シルエットだけがぼやけた、四人の高校生の背中。
『初個展、なんとか初日が終わったわ。誰も見にこないかと思ったけど、物好きな人が数人、この絵の前で足を止めてくれた。ハル、あんた京都から祝電くらい送りなさいよ』
相変わらずの、少しトゲのある、だけど愛おしいユキの口調。画面越しに彼女の生存を確認して、僕はフッと口元を緩めた。
『おめでとう。今度東京に行く時に、高い手土産持って見に行くよ』
そう返信を打っていると、すぐに別の通知が画面を覆った。地元の大学を卒業し、この春から児童養護施設で働き始めたソウタからだった。
『ユキ、本当におめでとう! 俺も来月、有給取れたら絶対行くから。ハル、お前もタイミング合わせろよ。久しぶりに四人で集まろうぜ』
ソウタのメッセージ。そこには、かつて彼を縛り付けていた「完璧なヒーロー」の影はもうなかった。子供たちと泥だらけになって遊び、一人ひとりの傷に寄り添う、泥臭くて、最高に優しい「本物のソウタ」の顔が、そこにはあるはずだった。
『ソウタは相変わらず熱いな。僕はまだ学生だから、課題の隙を狙って行くよ』
そう付け足すと、最後の通知が届いた。
『ユキちゃん、本当におめでとう。絵、すごく綺麗。私、今夜の夜勤が終わったら、明日のお休みに新幹線で見に行くね!』
アオイだ。彼女は地元に残って看護の専門学校を卒業し、今は総合病院の小児科で看護師として働いている。ハルトくんを失ったあの夜から、彼女はずっと
「救う側」になるための道を必死に走ってきた。
ソウタの嘘を受け入れ、自分の足で立ち上がったアオイは、今や誰かの痛みを一番に理解できる、強い女性になっていた。
ソウタとアオイ。二人は今でも、地元で付き合いを続けている。一度は最悪の形で壊れ、憎み合い、傷つけ合った二人だったけれど、お互いの醜さも弱さもすべて曝け出したからこそ、二人の絆は、誰の立ち入る隙もないほどに深く、静かに結ばれていた。
「……そっか。明日、行くんだな」僕は画面を見つめたまま、小さく呟いた。胸の奥が、ほんの少しだけツンと痛む。それは、あの夏に空へと置いていった、僕の初恋の、最後の残り香のようなものだった。僕はアオイが好きだった。でも、今の僕の胸にあるのは、決してドロドロとした嫉嫉や後悔ではない。
アオイがソウタの隣で、心からの笑顔を取り戻して、自分の夢に向かって生きている。
その事実が、僕にとっての「救い」であり、僕の片思いが残した、最高の「本物の証」だったから。僕はスマートフォンのカメラを起動し、ベランダから見える、京都の少し狭い夜空を撮影した。
星はあまり見えなかったけれど、月だけが優しく、白く輝いていた。
『明日、アオイも行くなら、僕も来週末に弾丸で東京行くわ。ユキ、画廊の近くの美味い居酒屋、予約しといて』
画像を添えてメッセージを送ると、アオイからすぐに
『ハルも来るんだ! 楽しみ!』
と、向日葵の絵文字がついた返信が返ってきた。僕はみんなより少しだけ長く学生を続けるけれど、目指す場所は間違っていない。僕たちは、あの綺麗な四角形には戻れない。これからはそれぞれの場所で、それぞれの傷を抱えたまま、別々の人生を歩んでいく。
だけど、お互いの本音をぶつけ合って、傷だらけになりながら走り抜けたあの「八月三十一日」の朝焼けの光は、今でも僕たちの足元を、これ以上ないほど眩しく照らし続けている。君の傷跡に、僕らは花を植えられなかった。でも、僕たちの植えた小さな種は、それぞれの場所で、今、確かに新しい花を咲かせようとしている。
「……よし、明日も課題、頑張るか」僕は空になったビールの缶を置き、部屋の中へと戻った。部屋の机の上には、設計中の、どこか懐かしい木造の建物の図面が広がっている。いつか僕が作る建物が、誰かの新しい秘密基地になる日を夢見て。ぬるい夏の風が、また僕の背中をそっと押すように、ベランダのカーテンを大きく揺らしていった。
これにて、この物語は本当に完全完結となります。
初めての作品投稿で至らない点もあったかと思いますが、最後まで一緒に歩んでくださった読者の皆様に、心から感謝申し上げます。
みんなが社会人になる中で、ハルだけがまだ学生として建築を学び続けている……少し不器用ですが、未来を向いている彼らしい結末にしてみました。彼らの人生が、これからも温かい光に満ちていることを願って。
改めまして、お付き合いいただき本当にありがとうございました。
またどこかで、次の物語でお会いしましょう。




