第3話 花火の音にかき消された、僕の本物
第3話をお届けします。夏祭り当日のお話です。
お祭りの日の空気には、独特の熱と匂いがある。
屋台から漂うソースの焦げる匂い、浴衣の擦れる音、そしてどこか遠くから聞こえてくる和太鼓の音。
それらすべてが、胸の鼓動を不自然に早くさせた。
「ハル! 待った?」
人混みの中で僕の名前を呼ぶ声がした。振り返ると、そこには見違えるほど綺麗なアオイが立っていた。
濃紺の浴衣に、白くて丸い大輪のモダンなひまわりが描かれている。髪をアップにしてうなじを見せたアオイは、いつもより少し大人びて見えて、僕は一瞬、言葉を失ってしまった。
「……ううん、今来たところ。浴衣、すごく似合ってる」
「本当? よかった。ハルがモダンな方推してくれたからこれにしたんだよ」
アオイは嬉しそうに笑う。その笑顔に胸が締め付けられる。アオイが可愛くなったのは僕のためじゃない。これから合流する、ソウタのためだ。
「お待たせ。二人とも早いね」
人混みを割るようにして現れたのは、ユキだった。彼女はシックな灰色の浴衣を身に纏い、いつも以上に凛とした、だけどどこか張り詰めた雰囲気を漂わせていた。ユキと目が合う。彼女の瞳が一瞬、鋭く光った。
『夏祭り当日、私に協力して』
『裏山の展望台に着く前に、あんたがアオイを連れて別の場所に引き返してほしいの』
頭の中で、昨日の作戦会議の言葉がリフレインする。僕は小さく頷いて、ユキに応えた。僕たちは今日、幼馴染としての「日常」を裏切る。
「悪い、遅くなった!」
最後に走ってやってきたのはソウタだった。
シンプルな甚平姿なのに、長身の彼はそれだけで目を引く。ソウタが来ると、一気にその場の空気が華やぐ。
「わあ、アオイもユキも、めちゃくちゃ綺麗じゃん。惚れ直しそうだな」
ソウタがいつものように冗談めかして言う。アオイの頬がパッと林檎のように赤くなる。ユキは小さく鼻を鳴らして視線を逸らしたが、その耳たぶがほんのりと赤くなっているのを、僕は見逃さなかった。
「じゃあ、行こうか。まずは屋台を回って、それから裏山の展望台だな」
ソウタの号令で、僕たち4人は歩き出した。神社へ続く参道は、人で溢れかえっていた。すれ違うのも一苦労なほどの混雑の中、自然とペアが分かれていく。
前を歩くのは、ソウタとアオイだ。
「あ、ソウタ! あんず飴あるよ!」
「お、食うか? 買ってやるよ」
楽しそうに笑い合う二人の後ろ姿は、まるでお似合いの恋人同士のようで、僕はその背中から目を背けるように、隣を歩くユキに声をかけた。
「……そろそろ、タイミング計るから」
「ええ。頼んだわよ、ハル」
ユキの声は、緊張で少し震えていた。彼女の手が、浴衣の巾着を強く握りしめている。
参道を抜け、いよいよ裏山の展望台へと続く一本道へと差し掛かった。ここからは街灯も少なくなり、人混みも一気にまばらになる。夜の静けさが、森の奥からじわじわと這い出してくるような感覚。今だ。
僕はスッと息を吸い込み、前を歩くアオイの袖を引いた。
「アオイ、ちょっといい?」
「え? なぁに、ハル」
アオイが不思議そうな顔で振り返る。ソウタとユキも足を止めた。
「あのさ、急に思い出したんだけど……小学校の時、僕たちがタイムカプセル代わりに秘密基地に埋めた、あのキーホルダーのこと覚えてる?」
適当な嘘だった。
そんなもの、本当は埋めていない。
「え? キーホルダー……? うーん、なんとなく覚えてるような……」
「さっき、旧校舎の裏を通った時、そこだけ草むらが荒らされてるのが見えてさ。もしかしたら、取り壊しの工事であそこ、重機が入るかもしれない。今のうちに掘り起こしておかないと、二度と手に入らなくなると思って」
僕はアオイの目を真っ直ぐに見つめた。
罪悪感で心臓が破裂しそうだったが、声だけは冷静さを保った。
「ソウタたちは先に行っててよ。僕とアオイで、ちょっと旧校舎に寄ってから追いつくから」
「えー? 今から? もうすぐ花火始まっちゃうよ?」
アオイが困惑したようにソウタの顔を見る。ソウタは少し眉をひそめたが、僕の目を見て、何かを察したようにふっと表情を和らげた。
「……そうだな。ハルがそこまで言うなら、大事なものなんだろ。アオイ、ハルに付き合ってやれよ。俺とユキは、先に展望台で場所取ってるから」
ソウタのその言葉は、僕にとっての決定打だった。あいつはどこまでも優しい。僕がアオイと二人きりになりたいのだと勘違いして、気を利かせてくれたのだ。ソウタの優しさを利用して、ソウタを騙す。最悪の気分だった。
「わかった……。じゃあ、ソウタ、ユキちゃん、先に行ってて。すぐ追いつくから!」
アオイがそう言うと、ユキが僕に背を向け、ソウタの隣へと一歩踏み出した。
「行きましょう、ソウタ」
ユキの声には、もう迷いはなかった。二人の後ろ姿が、薄暗い山道の先へと消えていく。残されたのは、僕とアオイの二人だけだった。
「もう、ハルったら急にどうしたの? タイムカプセルなんて、そんなのあったっけ?」
アオイが少し不満そうに口を尖らせる。
「ごめん。どうしても、今日じゃなきゃダメな気がしてさ」
僕は嘘を重ねながら、アオイを連れて旧校舎へと歩き出した。お祭りの賑やかな音が、だんだんと遠ざかっていく。
代わりに、草むらから聞こえる秋の虫の声が、僕たちの沈黙を埋めていった。旧校舎の裏庭に着く頃、遠くの街の空が、ドォン……と低く震えた。花火が始まったのだ。
「あ、始まっちゃった……」
アオイが寂しげに空を見上げる。木々の隙間から、色鮮やかな光が一瞬だけ彼女の横顔を照らし、また闇に消える。
「アオイ」
僕は草むらにしゃがみ込むフリをしながら、彼女を呼んだ。
「本当はね、キーホルダーなんてないんだ」
「え……?」
アオイが目を見開く。
「嘘ついたんだ。ユキが、ソウタに告白したいって言ってたから。二人きりにするために、僕がアオイを連れ出したんだよ」
言ってしまった。ユキとの約束を破り、すべてを白状してしまった。アオイを独占したかったはずなのに、アオイの綺麗な瞳に見つめられると、これ以上嘘をつき続けることが、僕には耐えられなかった。アオイは息を呑み、言葉を失っていた。
その瞳が、激しく揺れ動く。ユキがソウタに告白する。その事実が、彼女の胸にどんな衝撃を与えたのか、僕には痛いほどよくわかった。
「……そっか」
長い沈黙の後、アオイはぽつりと呟いた。その声は、泣き出しそうなほど震えていた。
「ユキちゃん、ソウタのことが好きだったんだね……。知らなかった。私、何も気づいてあげられなかった……」
「アオイ……」
「ハルは優しいね。ユキちゃんのために、そんな悪者になってあげたんだ」
アオイは僕を見て、無理に笑おうとした。だけど、その目からは、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ落ちていた。彼女の涙は、ユキへの罪悪感ではない。ソウタが、誰かのものになってしまうかもしれないという、恐怖と絶望の涙だ。
「優しくないよ」
僕は立ち上がり、アオイの一歩前に進み出た。心臓が、今日一番の速さで脈打っている。
「僕が嘘をついたのは、ユキのためじゃない。……アオイ、僕が」
ドォォン!!ひときわ大きな花火の音が、僕の言葉を容赦なくかき消した。夜空が真っ赤に染まり、アオイの涙で濡れた顔が鮮明に浮かび上がる。
その時、僕たちのスマートフォンが、同時に激しく震えた。画面に表示されたのは、ソウタからの着信だった。嫌な予感がして、急いで通話ボタンを押す。
スピーカーから聞こえてきたのは、お祭りの喧騒を裂くような、ユキの悲鳴だった。
『ハル!! 助けて、ソウタが、ソウタが――!!』
第3話をお読みいただき、ありがとうございました。
ハルの告白が花火の音にかき消され、そしてラストではユキからの予期せぬ着信。
物語はここから、一気にシリアスな局面へと突入していきます。
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