第17話:穏やかな朝と、忍び寄る報せ
朝の光が差し込み、台所から味噌汁の香りが漂う。
朔弥の家のダイニングには、いつもの三人分の椀と皿――
そして、自然に置かれたもう一つの席があった。
「レオン、これも食べなさい。昨日の残りだけど、美味しいわよ」
朔弥の母が、まるで昔からそうしてきたかのように卵焼きをレオンの皿へ追加する。
レオンは箸を持ったまま固まった。
「……あ、ありがとうございます。その……いただきます」
照れくさそうに頭を下げる姿は、勇者でも王族でもなく、ただの少年だった。
「……うむ、よく食べるな」
父は新聞をめくりながら、ちらちらとレオンを見ては、ぎこちない褒め方をする。
朔弥が苦笑しながら味噌汁をすする。
「父さん、そんなに見るなよ。レオンが食べづらいだろ」
「い、いや……その……あらためて見ると、異世界の子が味噌汁を飲んでるのが……不思議でな」
レオンは湯気の立つ味噌汁を見つめ、小さく微笑んだ。
「……この味、好きだ。なんだか……落ち着く」
母が嬉しそうに笑う。
「そう? よかったわ。レオンの分も沢山あるからおかわりしてね」
レオンは一瞬、言葉を失った。
(……俺の分……?)
胸の奥がじんわりと温かくなる。
その時、玄関のチャイムが鳴った。
「はーい!」
朔弥が出ると、美咲と優斗が制服姿で立っていた。
「おはよー朔弥くん! レオンくんもいる?」
「おう、今日も迎えに来たぞ!」
朔弥が振り返る。
「レオン、来たぞ」
レオンはテレビの前でニュースを見ていた。
画面には昨夜の現場映像。
アナウンサーが困惑した声で説明している。
美咲が青ざめる。
「レオンくん……それ、見て大丈夫……?」
「大丈夫だ。俺のことは映っていない」
優斗がため息をつく。
「いや、そういう問題じゃねぇんだけどな……」
母が笑顔で声をかける。
「美咲ちゃん、優斗くんも朝ごはん食べていく?」
「い、いえ! もう食べてきました!」
「俺は食べてきたけど……そう言われると腹減るな……」
「優斗、お前はいつでも腹減ってるだろ」
三人が笑い、レオンもつられて微笑んだ。
玄関を出ると、風が制服の袖を揺らす。
「よし、行くか」
朔弥が鞄を肩にかけると、レオンも自然に横へ並んだ。
美咲は笑顔で手を振り、優斗は伸びをしながら歩く。
通学路を歩くと、すれ違う生徒たちがひそひそと声を潜める。
「ねぇ、見て……あの子」
「うわ、かっこいい……」
「いいなー……」
優斗が小声で言う。
「なぁレオン……お前、ちょっと目立ちすぎじゃね?」
レオンは淡々と答えた。
「そうか? では、気配を消すか」
「えっ──」
レオンが軽く指を鳴らした瞬間、ふっと存在感が消えた。
三人は同時に立ち止まる。
「……え? どこ行った?」
「レオンくん……?」
「おい、マジで消えたぞ!?」
朔弥が周囲を見回す。
「レオン、どこだよ……?」
「ここにいるぞ」
真横から声がして、三人は飛び上がった。
「「「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」」」
レオンは首を傾げる気配だけを残す。
「なぜ驚く?」
「驚くに決まってんだろ!! 心臓止まるわ!!」
朔弥のツッコミの横で、美咲が胸を押さえながら言う。
「レオンくん……そのスキル、学校では封印して……」
「分かった。では、気配を半分だけ消そう」
「いや調整できるんかい!!」
更なる朔弥のツッコミが空に響いた。
校門をくぐると、さらにざわつきが増した。
「ねぇ、朔弥くんたち、なんか今日……人数多くない?」
「三人じゃなかったっけ?」
「いや……なんかもう一人いる気が……」
美咲はレオンがバレそうになり慌てた。
「レオンくん……半分じゃダメみたい。やっぱりゼロにしよう……」
「そうか? なら完全に消してみよう」
教室に入ると、クラスメイトたちが一斉に振り返った。
「おはよー……って、あれ? なんか今、風吹いた?」
「気のせいじゃない?」
「でも……何か通ったような……」
気配を消したレオンが、教室の後ろに静かに立っていた。
朔弥が小声で言う。
「……レオン、もうちょっと普通にしてくれ」
「普通とはなんだ?」
「だからそれを俺に聞くなって!!」
美咲と優斗が笑い、教室の空気が少しだけ明るくなる。
午前の授業が始まっても、教室はどこか落ち着かなかった。
黒板にチョークが走る音の合間に、ひそひそ声が漏れる。
「昨日の地鳴り、聞いた?」
「ニュースでやってたやつ?」
「道路が陥没して、監視カメラが全部ノイズになったって……」
「黒い影が映ってたって噂……」
「え、怖……」
朔弥はノートを取りながら、背中にじわりと汗が滲む。
(……やっぱり噂になってるな)
美咲はスマホを伏せ、優斗が小声で呟く。
「……やべぇな。昨日のあれ、完全にバレてるじゃん」
「いや、バレてはないと思うけど……」
美咲がさらに小声で言う。
「レオンくん……大丈夫かな……」
「俺は大丈夫だ」
「「「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」
教室中に悲鳴が響いた。
黒板の前の先生がビクッと肩を震わせ、ゆっくり振り返る。
「……お前ら三人。授業中に何を叫んでいる?」
「「「す、すみません……!!」」」
先生は眉をひそめる。
「静かにしろ。次やったら廊下に立たせるぞ」
「「「はい……」」」
先生が黒板に向き直ると、気配を消したレオンが小さく呟いた。
「……すまない。声を出すタイミングを間違えた」
朔弥は机に突っ伏しながら返す。
「いや……タイミングの問題じゃないんだよ……」
美咲は顔を真っ赤にし、優斗はため息をついた。
(……レオンくん、お願いだから授業中は黙ってて……)
チャイムが鳴り、教室の空気が一気に緩む。
「ふぅ……今日、長かったな……」
優斗が伸びをし、朔弥も机に突っ伏したまま頷く。
「レオンのせいで二回怒られたからな……」
「すまない。授業中は声を出さないようにする」
気配を消したままのレオンが、三人の机の間に立っていた。
美咲が苦笑する。
「レオンくん、気にしなくていいよ。……ちょっとびっくりしただけだから」
「ちょっと、ではなかったぜ……」
優斗がぼそっと言い、美咲が肘でつつく。
その時、レオンのポケットのスマホが震えた。
「……風間からだ」
三人が一斉に顔を上げる。
「なんて?」
朔弥が尋ねると、レオンは短く読み上げた。
「『調査結果が出た。至急、話がしたい』……だそうだ」
空気が一瞬で変わった。
優斗が眉をひそめ、朔弥も息を呑む。
「調査結果って……昨日の襲撃のことか?」
「だろうな……あの黒い奴らの正体とか……」
美咲が不安そうにレオンを見る。
「レオンくん……行くの?」
レオンは頷いた。
「もちろんだ。昨日の襲撃者が何者なのか……知る必要がある。お前たちも行くよな?」
三人は迷わず頷いた。
「当たり前だろ」
「うん、行くよ」
「一緒に行くに決まってる」
レオンは小さく息を吐いた。
「……そうか、ありがとう」
その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。
放課後。
夕焼けに照らされた帰り道で、美咲がレオンの横に並ぶ。
「レオンくん……不安じゃない?」
レオンは少し考えてから答えた。
「……不安ではない。昨日の襲撃は、起こるべくして起きたものだ」
朔弥が眉をひそめる。
「起こるべくして……?」
レオンは歩みを止めず続けた。
「勇者という存在は、どの国でも戦力として扱われる。アルティリアでも……他国は常に俺を警戒していた」
三人は息を呑む。
「この世界でも同じだ。俺の存在が知られればどこかの国が動く。昨日の襲撃は……その最初の兆しだろう」
美咲が不安そうに言う。
「じゃあ……これからも狙われるってこと?」
レオンは答えず、夕焼けを見上げたまま言う。
「風間の話を聞けばもっとはっきりする。この世界の国々が、どう動いているのか」
朔弥は喉を鳴らした。
「……レオン、お前……全部分かってるんだな」
レオンは小さく息を吐いた。
「分かっていることと、言うべきことは違う。今は……まだ話せないこともある」
三人は何も言えなくなった。
だが、レオンの横顔には不安ではなく、覚悟の光が宿っていた。
「行こう。風間のところへ」
四人は夕焼けの中を歩き出した。
対策本部の会議室は、夕陽が差し込み、静かな緊張を帯びていた。
「四人とも、よく来てくれた」
風間は資料を閉じ、深く息を吐く。
その表情は、昨日までとは違う。
「まず……昨日の襲撃は何者かが送り込んだと考えている」
空気がわずかに震えた。
三人は息を呑み、レオンだけが静かに風間を見つめる。
風間はファイルを開きながら続けた。
「実は──襲撃が起きる前から、複数の国のエージェントが日本に入っていた」
紙の擦れる音がやけに大きく響く。
「確認されているだけで、アメリカ、ロシア、中国、EUの複数国。保護という名目だが……実際は確保、研究、利用。そのどれかだろう」
魔物よりも現実的で、よほど恐ろしい話だった。
三人の顔から血の気が引く。
レオンが静かに口を開く。
「……俺を狙っているのか」
風間は短く頷いた。
「そうだ。そして日本政府も、お前を守りきれるとは言い切れない」
淡々とした声なのに、刃物のように鋭い。
レオンは目を伏せ、三人は互いに視線を交わす。
風間は四人を見渡し、静かに告げた。
「レオンくん。そして三人も──君たち、俺に隠していることがあるだろう」
空気が止まった。
四人は互いに目を合わせる。
逃げ場のない沈黙が、部屋を満たしていく。
──ここから先は、もう誤魔化せない。




