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第3話:朝の静寂と、胸に残る痛み

 朝の空気はひんやりとして、夜の名残をわずかに抱えたまま澄みきっていた。


 狭山市の住宅街はまだ静かで、鳥の声だけが規則正しく響いている。

 その静けさの中、朔弥の家の庭で、レオンが木刀を振り、かすかな風切り音を刻んでいた。


 ヒュッ ヒュッ ヒュッ


 いつものように迷いのない軌道――

 のはずだったが、今日はどこか重く、動きに切れがない。

 最後の一振りを終えると、レオンは木刀を下ろし、縁台に腰を下ろした。


「……はぁ」


 深いため息が、朝の空気に溶けていく。


(……昨日は、ひどいことをした)


 胸の奥が、じんと痛む。



 ―回想:昨夜の出来事―


 ダンジョンから帰った夜。

 四人は朔弥の家の前で別れた。


「じゃあ、また明日な」

「しっかり休んでね」


 優斗と美咲は、いつものように軽く手を振って自宅へ向かった。


 だが――

 そのいつも通りは、家の中には存在しなかった。



 ――朔弥邸


 玄関を開けた瞬間、朔弥の母が飛びつくように二人を抱きしめた。


「どこ行ってたの……! 心配したんだから……!」


 涙声。

 震える腕。

 その温かさに、レオンは胸が締めつけられた。

 朔弥の父は、普段と変わらぬ穏やかな表情のまま、しかし目だけが厳しく光っていた。


「……無事でよかった。だが、理由は聞かせてもらうぞ」


 その後の一時間。

 二人はリビングで正座させられ、母の涙混じりの説教と、父の静かな叱責を受け続けた。



 ――優斗邸


 優斗の家も同じだった。


「心配したんだぞ!」

「連絡くらいしなさい!」


 父も母も怒鳴り声を上げ、その横で姉の沙耶が酒を片手にゲラゲラ笑っていた。


「優斗〜〜? どこ行ってたの〜? ねぇレオンくんは〜?」


 優斗は顔を真っ赤にして両親から逃げ回り、家中が騒がしかった。



 ――美咲邸


 美咲の家では、父も母も、そして妹の雫まで泣きながら怒っていた。


「美咲……! 無事でよかった……!」

「どれだけ心配したと思ってるの……!」


 雫は姉に抱きつき、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。


「お姉ちゃんのバカぁ……!」


 その声は、隣の朔弥の家にまで聞こえていた。

 レオンは夕飯を食べながら、その声を聞いて胸が痛んだ。


(……優斗も、美咲も……俺のせいで怒られた)


 ―回想終わり―



 レオンは縁台に座ったまま、両手を膝の上で握りしめた。


(行き先も言わず、連絡もせず……こんなに心配させてしまうなんて)


 アルティリアでは、誰かに心配されることなどなかった。

 自分の行動が誰かの涙を生むこともなかった。


 だからこそ――

 胸の奥が、慣れない痛みでいっぱいだった。


「……ごめん」


 誰に向けた言葉なのか、レオン自身にも分からなかった。


 その時だった。


 家の中から、階段を降りる足音が聞こえた。

 ガラリ、と引き戸が開く。


「……レオン?」


 寝起きの声。

 少しだけかすれていて、けれど優しい響き。


 朔弥だった。


 パジャマ姿のまま、髪は寝癖でふわりと跳ねている。

 まだ眠気の残る目をこすりながら、庭にいるレオンを見つけて小さく笑った。


「おはよう。今日も早いね」


 レオンは顔を上げ、少し気まずそうに視線をそらした。


「……おはよう、朔弥。悪い、起こしたか」

「いや、今日は学校あるからね。昨日は……まあ、あんな感じだったし」


 朔弥はそう笑いながら言い、縁台に近づいてレオンの隣に腰を下ろした。

 しばらく沈黙が続いた後、朔弥がぽつりと口を開いた。


「……昨日のこと、気にしてる?」


 レオンはうつむいたまま、小さく息を吐いた。


「……ああ。行き先も言わずに出て……みんなに心配かけた。ダンジョンを攻略する事しか頭になかったよ」


 朔弥は苦笑しながら肩をすくめた。


「まぁ、俺も一緒にめちゃくちゃ怒られたけどね。母さんなんて泣きながら怒ってたし」


 レオンは顔を上げる。

 驚きではなく、深い申し訳なさが滲んだ表情で。


「……悪い。俺のせいで、朔弥まで……それに……優斗も、美咲も……みんな怒られたんだよな」


 拳を膝の上でぎゅっと握る。


「……全部、俺のせいだ」


 朔弥はすぐに首を振った。


「違うよ。俺も優斗も美咲も、分かっててついて行ったんだし。レオンのせいじゃない」


 レオンはそれでも納得しきれず、唇を噛んだ。


「……でも、俺が言い出したから……」


 朔弥はレオンの肩を軽く叩いた。


「レオン。ダンジョンのことは、みんなでやったことだよ。誰か一人のせいじゃない」


 レオンはゆっくりと顔を上げた。

 その瞳には、まだ少しだけ罪悪感が残っていたが、朔弥の言葉が確かに届いていた。


「……朔弥。ありがとう」

「友達だろ。それくらい普通だよ」


 朔弥は立ち上がり、伸びをしながら言った。


「よし、朝ごはん食べよ。母さん、もう準備してると思うし」


 レオンも立ち上がる。


「……ああ。行こう」


 二人は並んで家の中へ戻っていった。

 朝の光は、昨日の不安を少しずつ溶かしていくようだった。


 二人が家の中へ戻ると、キッチンから味噌汁の香りがふわりと漂ってきた。


「おはよう、レオンくん。朔弥」


 エプロン姿の朔弥の母が、いつもの柔らかな笑顔で振り返った。

 昨夜あれほど泣きながら怒っていたとは思えないほど、優しい表情だった。


「……おはよう……ございます」


 レオンは少しだけ頭を下げる。

 その声にはまだ申し訳なさが残っていた。


「レオンくん、座っててね。すぐできるから」

「……はい。ありがとうございます」


 朔弥の父も新聞を畳み、穏やかな声で言った。


「おはよう、レオンくん。昨日は……まあ、色々あったな」

「……すみませんでした」


 レオンが深く頭を下げると、父は軽く手を振った。


「もういい。無事に帰ってきたんだ。それが一番だ」


 その言葉に、レオンの胸が少しだけ軽くなる。


 テーブルには、焼き鮭、卵焼き、味噌汁、炊きたてのご飯。

 家庭の温かさがそのまま形になったような朝食だった。


「いただきます」


 四人の声が重なる。

 レオンは箸を取りながら、胸の奥にじんわりと広がる温かさを感じていた。


(……こういうの、久しぶりだ)


 アルティリアでは味わえなかった家族の朝それが、胸に染みる。

 しばらく食事が続いた後、朔弥の父が湯飲みを置きレオンに向き直った。


「レオンくん。今日の夜、時間はあるか?」


 レオンは箸を止め、顔を上げた。


「……あります。何か?」


 父はゆっくりと頷いた。


「優斗くんのご両親と、美咲ちゃんのご両親を、うちに呼ぶ事にした」


 レオンの表情がわずかに強張る。


「……俺たちの、昨日のことを……?」

「それもある」


 父の声は穏やかだが、芯があった。


「昨日の出来事は、ただの帰りが遅くなったでは済まない。優斗くんも美咲ちゃんも、君たち四人は同じ場所にいた。そして――レオンくん、君のことも含めて、大人たちは知らなければならない事がある」


 レオンは息を呑んだ。


(……俺のことも……話すのか)


 朔弥の父は続けた。


「もちろん、レオンくん。君が話したくないことを無理に聞くつもりはない。だが、昨日のようなことがまた起きれば……子どもたちだけでは抱えきれない」


 朔弥の母も優しく言葉を添えた。


「レオンくん。あなたを責めるためじゃないの。みんなで、ちゃんと向き合いたいだけなのよ」


 レオンはゆっくりと視線を落とした。

 胸の奥がざわつく。

 怖さと、安堵と、申し訳なさが混ざった複雑な感情。


 だが――

 逃げる気持ちはなかった。


「……わかりました。俺も……話します。昨日のことも……俺のことも」


 朔弥の父は静かに頷いた。


「ありがとう、レオンくん。それでいい」


 朔弥も横で微笑んだ。


「大丈夫だよ。俺たち四人で話すんだし」


 レオンは小さく息を吐き、その言葉に救われるように頷いた。


「……ああ。四人で、ちゃんと話そう」


 朝の光がテーブルを照らし、その光の中で、レオンの決意は静かに固まっていった。

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