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第9話:羽音の終わる時

 黒紋バチの群れが空を覆い、羽音が霧の天井を震わせていた。

 優斗が嵐舞斬で前線を切り開いたその背後で、朔弥はすでに次の魔力を練り始めていた。


 胸の奥で魔力が脈打ち、熱が指先へと集まっていく。

 霧の冷気が押し返され、空気がわずかに揺れた。


「……行くぞ!」


 朔弥は地面へ魔力を叩きつけるように詠唱する。


「《炎壁ファイアウォール》!!」


 ゴゴゴォォッ!!


 地面から炎が噴き上がり、巣の周囲を取り囲むように立ち上がった。

 赤い壁がゆらめき、黒紋バチの進路を焼き払う。

 炎の熱が霧を押しのけ、巣の影が揺らめいた。


(これで……少しは動きを制限できる……!)


 だが黒紋バチは炎を恐れない。

 巣を守る本能が、炎壁をものともせず突っ込ませる。


 優斗が前線で突進を受け止めている。

 その動きが一瞬、炎壁の死角に入った。


「優斗、危ない!」


 朔弥は即座に魔力を追加で練り、炎壁を優斗の前へと伸ばす。


「《炎壁ファイアウォール》――!!」


 ゴゴゴォォッ!!


 炎が盾のように立ち上がり、黒紋バチの突進を弾き返した。

 火花と毒針が散り、優斗の頬をかすめて飛び去る。


「助かったぜ……朔弥!」

「まだまだ来る……気をつけろ!」


 朔弥の額には汗が滲んでいた。

 炎壁の維持は魔力消費が激しい。

 だが止めるわけにはいかない。


 後衛に立つ美咲は、仲間の動きを必死に追いながら魔力を練っていた。


(優斗くんも……朔弥くんも……こんなに必死に戦ってる……私も……支えなきゃ……!)


 胸の奥が熱くなる。

 美咲は両手を前に掲げ、祈るように魔力を放つ。


「《聖励ブレッシング》!」


 柔らかな光が三人を包み込む。

 その光は温かく、戦場の冷たさを押し返すように広がった。

 優斗の剣筋が鋭くなり、朔弥の魔力が安定し、美咲自身の心も落ち着いていく。


「優斗くん、朔弥くん……私が守るから!」


 震えた声の奥に、確かな決意が宿っていた。


 黒紋バチが二方向から急降下してきた。

 霧を裂く羽音が鋭い刃のように耳を刺し、毒針が黒い稲妻のように走る。

 その軌跡は、まるで死そのものが迫ってくるかのようだった。

 優斗の背中に冷たい汗が流れ、朔弥の喉がひくりと震える。


 避けきれない――。


「優斗くん、朔弥くん――!」


 美咲の声が震えながらも戦場に響いた。

 恐怖よりも強く、守りたいという意志があった。

 美咲は両手を広げ、胸の奥の魔力を必死に掴み取るように集中する。


(間に合って……! お願い……動いて……! 私の魔力……!)


 霧の冷たさが肌を刺し、心臓の鼓動が耳の奥で大きく響く。

 優斗が刺される光景が脳裏をよぎる。

 朔弥が倒れる姿が浮かぶ。


(いや……絶対に……守る!)


 美咲の魔力が一気に爆ぜた。


「《聖護プロテクション》!!」


 バンッ!!


 空気が震え、光が弾けるように広がった。

 二枚の光の盾が、美咲の意思そのものが形になったかのように左右へ同時に展開される。

 毒針が光の盾にぶつかり、鋭い音を立てて弾かれた。


 キィンッ! キィンッ!


 光の破片が霧の中で散り、黒紋バチの軌跡を照らす。

 まるで星屑が戦場に降り注いだようだった。

 優斗は目を見開いた。


「美咲……今の……!」


 朔弥も息を呑む。


「多重展開……!? すげぇ……!」


 美咲は肩で息をしながら、震える手を胸元に引き寄せた。


「やった……できた……! ほんとに……できた……!」


 その声は震えていたが、瞳には確かな自信と誇りが宿っていた。


 レオンは後方でわずかに目を細める。

 普段の厳しさとは違う、どこか温かい表情だった。


(美咲……よくやった。守りたいという想いが、魔法を強くする――)


 光の盾がゆっくりと消えていく。

 だが、美咲の中に灯った光は、もう消えなかった。


 だが戦場は容赦しない。

 炎壁の隙間を縫うように、複数の黒紋バチが朔弥へ突進してきた。


「くっ……!」


 朔弥は炎壁を維持しながら避けるが、肩と脇腹に衝撃が走る。


 ドンッ!


 体勢が崩れ、膝が地面に落ちた。


(まずい……! このままじゃ……)


 美咲は即座に駆け寄り、朔弥の肩に手を置いた。


「《上位治癒ハイヒール》!」


 柔らかな光が朔弥を包み、傷が瞬時に癒えていく。

 痛みが引き、呼吸が楽になる。


「助かった……美咲……!」

「ううん……まだ終わってないよ……!」


 震えた声の奥に、強い意志が宿っていた。


 不思議なことに、三人の背後からは一体も蜂が近づいてこない。

 なぜなら――


 ガキィンッ! ガキィンッ! ガキィンッ!


 レオンが聖剣で全て叩き切っていたからだ。

 高速連撃で、蜂が近づく前に霧へと変えていく。


(……ひそかに無双してる……)


 朔弥がちらりと見て、戦慄した。


 ブブブゥゥゥゥン!!


 空気そのものが震えるほどの羽音が、霧の天井を揺らした。

 女王バチが影を引き裂くように一直線で優斗へ突進してくる。


 その速度は、影猟犬の跳躍など比べ物にならない。

 視界に映った瞬間には、すでに目の前に迫っている――

 そんな錯覚すら覚える。


「うわっ……!」


 優斗は反射的に身をひねり、ギリギリで避けた。

 だが針がかすめただけで空気が震え、皮膚の表面がざわりと粟立つ。


(やべぇ……! これ刺されたら……ダメなやつだ……!)


 胸の奥が冷たくなる。

 女王バチの毒は黒紋バチの比ではない。

 刺された瞬間、戦闘不能どころか命すら危うい。


 そのとき――

 レオンの声が戦場の喧騒を切り裂いた。


「優斗、動きを読むな。――音を聞け」

「音……?」


 優斗は息を呑み、耳を澄ませた。

 霧の中で羽音が乱反射し、方向が掴みにくい。

 だが――

 その中に、確かに間があった。


 ブゥン……ブゥン……ブブブッ……!


(……これか……! 羽ばたきの溜め……!)


 女王バチが再び突進してくる。

 今度は、ただ速いだけではない。

 獲物を仕留めるための殺意が乗っている。


 優斗はその間に合わせて横へ跳んだ。


 シュッ!!


 女王バチが通り過ぎ、毒針が霧を裂いていく。


「避けた……!」


 美咲が驚きの声を上げ、朔弥も息を呑む。

 優斗の瞳には、確かな手応えが宿っていた。


(読める……! 羽音の間が……!)


 だが女王バチはすぐに次の攻撃へ移る。

 女王バチが大きく羽を震わせた。


 ブワァァァァッ!!


 紫色の霧が爆発するように広がる。

 地面を這うように流れ、空気を濁らせ、視界を奪う。


「まずい……!」


 優斗は咄嗟に腕で口元を覆うが、霧はそれだけで肺に入り込みそうな勢いだ。

 美咲は恐怖で足がすくみそうになりながらも、両手を前に突き出した。


(負けない……! 優斗くんを……守る……!)


「《浄化ピュリフィケーション》!!」


 パァァァァッ!!


 光が霧を押し返し、紫色の毒が薄れていく。

 優斗の視界が開け、呼吸が楽になる。


「美咲……助かった!」


 美咲は震える声で返す。


「う、うん……まだ……いけるよ……!」


 毒霧が薄れた瞬間、朔弥はすでに魔力を練り上げていた。


(今……優斗が動ける道を……!)


 指先に集まった魔力が、霧の中で青白く光る。


「優斗、道を開ける!!」


 朔弥は叫び、魔法を放つ。


「《雷光ライトニング》!!」


 バリィィィィッ!!


 雷撃が一直線に走り、女王バチの羽を痺れさせる。

 巨大な影が一瞬だけ硬直した。


 その一瞬――

 優斗の前に、確かな突破口が開いた。


 優斗は、開かれた突破口へ迷いなく踏み込む。

 足裏に伝わる地面の感触が、まるで戦場そのものの脈動のように震えている。


「うおおおおっ!!」


 叫びとともに、優斗は刀を振りかざし、迫りくる女王バチの突進を正面から受け止めた。


 ガギィィィィンッ!!


 衝撃が全身を貫く。

 足が地面にめり込み、岩盤が砕ける音が響いた。

 腕が痺れ、肺が押し潰されるような圧力がかかる。


(重い……! これが……女王バチの本気……! でも……ここで退いたら……!)


 優斗は歯を食いしばり、全身の筋肉を総動員して押し返す。

 その背後で、朔弥が魔力を限界まで練り上げていた。

 胸の奥が焼けるように熱い。

 視界の端が白く霞むほどの魔力消費。


(今……優斗が耐えてる……! だったら……俺が撃ち抜く!!)


 朔弥は叫んだ。


「《火槍ファイアランス》!!」


 ドォンッ!!


 炎が槍の形を成し、轟音とともに女王バチの羽を貫いた。

 焼け焦げた羽が散り、女王バチの動きが鈍る。


 その一瞬――

 美咲の光が戦場を照らした。


「《聖なる矢(ホーリーアロー)》!!」


 シュバァァッ!!


 光矢が一直線に走り、女王バチの胸部へ突き刺さる。

 紫の毒が霧散し、女王バチの体が大きく揺らいだ。


 優斗は深く息を吸い込んだ。

 肺に入る空気が熱い。

 心臓の鼓動が、戦場のリズムと重なる。


(心を……静かに……技を……研ぎ澄ませ……全部……ひとつに……)


「――《心技一体》」


 その言葉とともに、優斗の周囲に風が集まり始めた。

 霧が渦を巻き、刀身が白く輝く。

 風が震え、空気が裂ける音がした。


「《風切り》!!」


 ズバァァァァッ!!


 風そのものを斬り裂くような一閃が、女王バチの巨体を両断した。

 時間が止まったような静寂。

 次の瞬間――


 バラバラバラッ……


 女王バチは悲鳴を上げることもなく、黒い霧となって崩れ落ちた。

 その瞬間、巨大な巣が脈動を止めた。


 ゴゴゴゴゴ……ッ


 まるで心臓が止まったかのように、巣の表面に走ったひびが一気に広がり、黒い霧となって崩れ落ちていく。

 霧は地面に吸い込まれ、長く続いた羽音の残響だけが、空気の奥で微かに震えていた。


 戦場に、静寂が戻った。


 優斗は刀を下ろし、荒い呼吸を整えながらゆっくりと空を見上げた。

 霧の天井はまだ薄暗く、つい先ほどまでの激戦が嘘のように静まり返っている。


(……終わったんだ)


 胸の奥に、じわりと実感が広がる。

 朔弥は地面に手をつき、震える膝を押さえながら笑った。


「はは……マジで……倒したんだな……俺たち……」


 美咲は胸に手を当て、涙を拭いながら小さく頷く。


「うん……すごいよ……みんな……ほんとに……」


 その声は震えていたが、そこには確かな誇りと安堵があった。


 やがて、巣が完全に崩れ落ちたあと――

 地面が低く唸り、ゆっくりと割れ始めた。


 パキ……パキパキッ……


 黒い霧が裂け目から吹き上がり、その奥に下層への階段が姿を現す。

 階段の先は、さらに深い闇へと続いていた。

 霧の揺らぎが、まるでその闇が呼吸しているかのように見える。


 レオンが静かに言う。


「……ここからが本番だ。覚悟はいいな」


 その声音は淡々としているのに、どこか誇らしげでもあった。


 優斗、朔弥、美咲は互いに頷き合う。

 疲労はある。

 恐怖もある。


 だが、それ以上に――

 三人の胸には確かな自信が灯っていた。


「行こう。第五階層へ」


 優斗の言葉に、みんなの足が自然と前へ進む。

 四人は階段へ向かって歩き出した。

 霧の奥で、影の気配がさらに濃く渦巻いている。


 まるで、次の試練が彼らを待ち構えているかのように――。

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