第8話:影の巣の決戦
霧の奥から響く羽音は、もはや音ではなかった。
壁のように押し寄せ、空気そのものを震わせる振動。
影猟犬との戦いで張り詰めた神経が、さらに研ぎ澄まされていく。
優斗たちは、霧の濃淡が変わるのを感じ取った。
まるで何か巨大なものが、霧を押しのけているような――そんな圧。
「……見えてきたな」
レオンが低く呟く。
霧が薄れ、視界の奥に黒い塊が姿を現した。
それは岩でも木でもない。
無数の黒紋バチが固めた、巨大な巣だった。
巣の表面は脈打つように波打ち、影の魔力が濃く渦巻いている。
近づくほどに視界が歪み、空気が重くなる。
「ここが……第四階層の中心部……?」
美咲が息を呑む。
レオンは頷き、巣を見据えた。
「おそらく、この奥に下層への階段がある。だが……その前に、あれを突破しなければならない」
羽音がさらに強まり、巣の周囲の霧が震えた。
レオンは三人を振り返り、短く告げる。
「黒紋バチは数と毒が脅威だ。針だけじゃない。高速の体当たりもある。――役割を確認するぞ」
優斗は刀を握り直し、真剣な眼差しで頷く。
「優斗は前衛。突進を止めろ。それと、可能な限り切り伏せろ。朔弥は巣の周囲に炎壁を展開して牽制。美咲は後衛で支援と防御だ」
レオンはあえて前に出ない。
その意図は三人にも伝わっていた。
(俺たちに……やらせるつもりか。なら、やってやるさ)
優斗の胸に、緊張と同時に熱が灯る。
その時、巣の中心がぐらりと揺れた。
ブゥゥゥゥゥゥン……!
低く重い羽音。
通常の黒紋バチとは明らかに違う、圧倒的な存在感。
巣の裂け目から、巨大な影が姿を現した。
――女王バチ
黒紋バチより二回り大きく、針は太く、毒が滴り落ちて地面を焦がす。
羽音は低周波のように空気を震わせ、その場にいるだけで体が強張るほどの威圧感を放っていた。
「……でけぇ……」
朔弥が思わず呟く。
レオンは静かに言った。
「気を抜くな。あれはきっと、この階層の主だ」
女王バチの咆哮のような羽音が、空気を震わせた。
その振動が地面を伝い、足裏からじわりと痺れが上ってくる。
巣の周囲に潜んでいた黒紋バチたちが、一斉に飛び立った。
ブワァァァッ!!
霧が吹き飛び、視界が黒い影で埋め尽くされる。
「来るぞ!」
優斗は反射的に前へ出た。
胸の奥がざわつく。
影猟犬とは違う、数と速度の暴力が迫ってくる。
黒紋バチが高速で突進してきた。
その軌跡は、もはや線ではなく点に近い。
視界の端で光が弾け、毒針が空気を裂く。
キィンッ! キィンッ!
刀が甲殻を弾くたび、火花が散る。
衝撃が腕に蓄積し、筋肉が悲鳴を上げる。
(速すぎる……! 今の俺のスキルじゃ……追いつかねぇ……!)
毒針が頬をかすめた。
冷たい汗が背中を伝い、呼吸が荒くなる。
(でも……止めなきゃ……! ここで俺が止まったら、みんなが……!)
優斗はがむしゃらに剣を振り続けた。
ただ振る。
ただ捌く。
ただ、生き残るために。
だが――
そのがむしゃらの中で、何かが変わり始めていた。
刀を振るたび、空気が裂ける音がわずかに変わる。
ヒュッ……ヒュンッ……!
(……風?)
刃筋が、風を切り裂く感触を帯び始めた。
腕の動きが軽くなる。
視界の端で、黒紋バチの動きが線として見え始める。
(なんだ……これ……? 体が……軽い……?)
優斗の呼吸が深くなる。
心臓の鼓動が、戦場のリズムと重なる。
霧の流れ、羽音の間、蜂の軌跡――
すべてが一本の線で繋がった。
「これ……!」
優斗の口が自然に動いた。
意識より先に、体が技を知っていた。
「《嵐舞斬》!!」
風が爆ぜた。
優斗の体が舞うように動き、刀が風を纏って乱舞する。
ザザザザザッ!!
複数の斬撃が一瞬で叩き込まれ、黒紋バチが次々と霧に溶けていく。
まるで風そのものが敵を切り裂いているようだった。
朔弥が驚愕の声を上げる。
「優斗……今の……!」
優斗は息を荒げながらも、自分の手を見つめて呟いた。
「わかんねぇ……けど……体が勝手に……動いた……!」
レオンは後方で静かに頷いた。
その目は、優斗の成長を確かに捉えていた。
(ようやく掴んだな。風の流れを――)
霧が揺れ、羽音が再び迫る。
だが優斗の瞳には、もう恐れはなかった。




