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第10話:決戦前の静寂

 ―第五階層:最深部―


 階段は、地の底へ吸い込まれるように暗かった。

 一段降りるたび、空気は冷たく、重く、静かになっていく。

 霧は薄れたが――

 代わりに、深い闇が広がっていた。


 優斗は足を踏みしめながら、背中にまとわりつく疲労の重さを改めて感じていた。


(……やべぇな。体が鉛みたいだ)


 影猟犬との戦闘。

 黒紋バチの群れ。

 そして女王バチとの死闘。


 魔力も体力も、限界に近い。

 階段を降り切った先は、広い空洞のような場所だった。

 天井は高く、闇に溶けて見えない。

 壁に張り付いた黒い苔が淡く光り、その光が夜の森のような静けさを作り出していた。


「……ここが、次の階層……?」


 美咲が小さく呟く。

 レオンは周囲を見渡し、慎重に頷いた。


「この奥に最深部がある。だが――今のままでは戦えない」


 朔弥はその場に腰を下ろし、背中を壁に預けて大きく息を吐いた。


「そりゃそうだよ……昼に食べた分なんて、とっくに燃え尽きてる……魔力もお腹もスッカラカン……」


 優斗も苦笑しながら、足を軽く振ってみせる。


「俺もだわ……足、もうガクガクしてる……」


 美咲も肩で息をしながら、それでも柔らかく微笑んだ。


「私も……魔力、ほとんど残ってない……でも……ここまで来れたんだね……」


 その笑顔は弱々しいのに、どこか誇らしげでもあった。

 レオンは三人の様子を見て、静かに荷物を下ろした。


「……よし。一度しっかり食べて休もう。腹が満たされないと、魔力も戻らないからな」


 その言葉が落ちた瞬間、三人の表情がぱっと明るくなる。


「出た……レオンのダンジョンクッキング……!」


 朔弥が目を輝かせる。


「ふふ……これ、密かに楽しみにしてたんだよね」


 美咲も嬉しそうに笑った。

 優斗は思わず吹き出す。


「お前ら……戦闘よりテンション上がってねぇ?」


 レオンは淡々としながらも、どこか楽しげに鍋と食材を取り出した。


「第二回ダンジョンクッキング、開始だ」


 ― 洋風コンソメスープを作ろう ―


 レオンが取り出したのは――

 ・保存用の乾燥野菜(キャベツ・玉ねぎ・人参)

 ・影茸シャドウマッシュ(ダンジョン産)

 ・黒紋バチの蜂蜜袋

 ・コンソメの素(朔弥の母に貰った)

 ・塩、胡椒(アルティリア産)


 薄暗い光の中で、それらの食材が妙に頼もしく見えた。


 朔弥が眉をひそめる。


「蜂蜜袋って……スープに入れて大丈夫なの?」


 レオンは迷いなく頷いた。


「トマトの代わりだ。酸味はないが、影茸の旨味と相性がいい。少量なら甘味がコクを引き立てる」

「へぇ……そんな使い方が……」


 レオンは鍋に水流ウォータで水を入れ、乾燥野菜と影茸を放り込む。


 コト……コト……


 火にかけられた鍋が静かに音を立て、冷たい空気に温かさが混じり始めた。


「優斗、火加減を頼む」

「おう!」


「美咲、蜂蜜袋を絞ってくれ。甘味を少しだけ足す」

「は、はいっ!」


「朔弥は……寝るな」

「寝てないってば!!」


 三人が慌ただしく動き、レオンが手際よく味を整えていく。

 コンソメの素を溶かし、塩と胡椒で味を締める。

 最後に蜂蜜袋をひと絞り。


 ふわっ


 甘い香りが立ち上がり、影茸の旨味と混ざり合っていく。

 その瞬間、空洞の空気が一段階柔らかくなったように感じた。


「……いい匂い……」


 美咲がうっとりと呟く。


「影茸の旨味と蜂蜜の甘さが合わさると、疲労回復に最適だ」


 レオンが静かに言う。


 優斗は湯気の立つスープを受け取り、一口すする。


「……っ、うま……! これ……体に染みる……!」


 甘味と旨味が体に広がり、疲れが溶けていくようだった。

 朔弥も目を見開く。


「これ……マジで店出せるレベルじゃん……!」


 美咲は両手でカップを包み込み、ほっと息をついた。


「はぁ……生き返る……」


 レオンは自分の分を受け取り、静かに口をつける。


「食事は戦いの一部だ。腹が満たされれば、心も整う」


 その言葉は、ただの料理人の台詞ではなく、戦士としての哲学そのものだった。

 優斗はスープを飲みながら、ふと奥の闇を見つめた。

 そこには、ゆっくりと蠢く何かの気配があった。


(……明日、あいつとやり合うのか)


 だが、今は不思議と恐怖はなかった。

 仲間がいて、温かい食事があって、体が回復していくのを感じる。


(……大丈夫だ。四人で行けば、絶対勝てる)


 レオンが言った。


「食べ終わったら、交代で休め。夜明けと同時に最深部へ向かう」


「おう」

「うん……!」

「任せて……!」


 四人は静かに食事を終え、それぞれの場所で横になった。

 闇は深く、静かで、冷たい。

 だがその中心で、四人の呼吸だけが穏やかに響いていた。


 まるで――

 嵐の前の、束の間の安らぎのように。



 ―夜明け前―


 どれほど眠ったのか。

 優斗はふと目を覚ました。

 焚き火はまだ小さく燃えている。

 レオンが火の前に座り、静かに聖剣を磨いていた。


「……起こしたか?」


 レオンが振り返らずに言う。


「いや……目が覚めただけだ」


 優斗は体を起こし、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 ここに満ちる空気は澄んでいるのに、どこか重い。

 まるで何かがこの空間全体を支配しているようだった。


 レオンは聖剣を拭きながら、ぽつりと呟いた。


「……夜明けが近い」


 優斗は天井を見上げた。

 黒い苔の光が、ほんのわずかに色を変えている。

 闇が薄まり、青白い気配が混じり始めていた。


「……本当に朝になるんだな。ダンジョンの中なのに」


「どんな深層でも、魔力の流れは外と繋がっている。影の魔物は夜に強く、朝に弱い。――だから、夜明けを待つ価値がある」


 レオンの声は静かだが、その奥に確かな自信があった。

 優斗は仲間たちを見る。

 朔弥は寝袋にくるまり、美咲は穏やかな寝息を立てていた。


(……こいつらと一緒なら、やれる)


 胸の奥に、じんわりと温かいものが広がった。

 やがて、空洞の光がゆっくりと明るさを増していく。

 黒い苔が淡い青を帯び、まるで夜明けの空のように色を変えていく。

 レオンが立ち上がった。


「起きろ。――行くぞ」


 その声に、朔弥も美咲も目を覚ます。


「……もう朝?」

「うん……なんか、空気が変わってる……」


 三人は荷物をまとめ、レオンの後ろに並んで歩きだす。

 奥へ進むほど、空気はさらに冷たく、重くなっていく。

 足音が吸い込まれるように消え、壁の苔の光が細く揺れた。


 やがて――

 空洞の最奥に、それは現れた。


 巨大な石造りの扉。

 黒い紋様が刻まれ、中心には“影の紋章”が浮かび上がっている。

 扉の前に立つだけで、肌が粟立つほどの圧があった。


 美咲が小さく息を呑む。


「……ここが……最深部……」


 朔弥も喉を鳴らす。


「やべぇ……扉からして強そうなんだけど……」


 優斗は刀の柄を握りしめた。

 手のひらが汗ばむ。

 だが、恐怖だけではない。


(……ここまで来たんだ)


 レオンが振り返り、三人を見渡す。


「この扉の先に、このダンジョンの主がいるはずだ。――覚悟はいいな」


 優斗、朔弥、美咲は、互いに頷き合った。


 疲労はある。

 恐怖もある。

 だが、それ以上に――

 胸の奥に確かな光が灯っていた。


 優斗は短く息を吸い、前に出る。


「……行こう。四人で、倒すぞ」


 レオンが扉に手をかけた。

 冷たい石の感触が、指先から腕へと伝わってくる。

 扉の紋章が、ゆっくりと脈動を始めた。


 ドクン……ドクン……


 まるで、その向こう側にいる生き物と呼応するように。


 レオンが低く言う。


「――開けるぞ」


 扉が、重く、深く、軋む音を立てて動き始めた。

 闇の奥から、冷たい風が吹き抜ける。


 その風は、まるで死の予告のように冷たかった。


 そして――

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