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第1話:ダンジョン攻略開始

 朝の光が差し込む頃、朔弥の家の前には四人が揃っていた。


 レオンは鎧の留め具を確かめ、静かに息を整える。

 優斗は赤い刀身の紅牙を腰に差し、赤鱗甲の胸当てを軽く叩いて感触を確かめる。


 朔弥はマギアリングを指でなぞり、魔力の流れを整えるように深呼吸した。

 美咲は白木の癒杖(ヒーリングロッド)を胸元に抱え、純白の聖衣(ホーリーローブ)の裾を整えながら緊張を押し殺す。


「……よし。行くぞ」


 レオンの一言で、四人は狭山湖へ向かって歩き出した。


 朝の空気は澄んでいるはずなのに、

 森へ近づくほど、胸の奥にじわりと重さが積もっていく。

 昨日と同じ道なのに、景色の輪郭がどこか硬く、冷たく見えた。


 朔弥が眉をひそめる。


「……なんか、空気が変だ。普通の森じゃない感じがする」


 その言葉に、優斗も美咲も自然と歩調を落とす。

 風の流れが弱まり、鳥の声が遠ざかり、代わりに静けさの膜のようなものが周囲を覆い始めていた。


 レオンは周囲を見渡し、静かに頷いた。


「昨日来た時より、魔力の濁りが強い。……内部の異界化が進んでいるな」


 その声は落ち着いているのに、どこか鋭い緊張が混じっていた。

 優斗が前を見据えたまま言う。


「異界化って……そんなに早く進むものなのか」


「本来はもっとゆっくりだ。だが、この穴は俺の知るダンジョンとは違う。何かがおかしい」


 美咲は不安そうに周囲を見回す。

 木々の影がいつもより濃く、まるで森そのものが息を潜めているようだった。


「……じゃあ、これは普通のダンジョンじゃないってこと?」


「そうだな。昨日は入口の外側だけ調べたが……内部の魔力は荒れていた。階層は五つほどだろうと推測したが、確証はない」


 朔弥は唇を引き結び、前を見据える。


「……だから今日、確かめるんだね」


 レオンは頷いた。


「そういうことだ。それに、お前たちの訓練も兼ねている――覚悟はいいな」


 三人は同時に頷いた。

 その表情には緊張と、ほんの少しの期待が混じっていた。



 森の奥へ進むと、空気が急に冷たくなる。

 木々の間に、黒い霧がゆっくりと渦を巻いていた。


 そして――

 視界の先に、それは現れた。


 岩肌が黒く変色し、内部から黒い霧がゆっくりと漏れ出す洞窟のような裂け目。


 自然の洞窟ではない。

 岩が内側から押し広げられたような、不規則な形状。

 霧は光を吸い込むように暗く、空気が歪んで見える。


 美咲が息を呑む。

 その小さな音が、周囲の静けさの中でやけに大きく響いた。


「……これ、本当に洞窟なの……?」


 目の前に広がる裂け目は、自然のものとは思えない。

 近づくだけで、肌にざわりとした冷気がまとわりついた。


 朔弥は霧に手を近づけ、指先に触れる魔力のざらつきを確かめる。


「魔力が濁ってる……普通の洞窟じゃない」


 その声には、驚きよりも確信が混じっていた。

 昨日の影の気配とは比べ物にならないほど、濁った魔力が渦巻いている。


 優斗は紅牙の柄に手を添え、息を整えた。

 霧の向こうから漂う圧に、自然と肩に力が入る。


「昨日は……これを見つけたのか、レオン」


 レオンは静かに頷いた。


「霧の濃さと魔力の歪みは、昨日より明らかに強い」


 その言葉に、美咲が不安そうに眉を寄せる。


「……入ったら、戻ってこれるの?」


 レオンは即答した。


「大丈夫だ。これは異界への入口だが、双方向に開いている。出入りは可能だ」


 優斗が短く息を吐き、頷く。


「なら、行くしかねぇな」


 レオンは三人を見渡し、静かに言った。

 その眼差しは、これから先の危険をすべて見通しているようだった。


「ここから先は、もう別の世界だ。気を抜くな。影の魔物は気配を消すのが得意だ」


 朔弥は深く息を吸い、胸の奥の緊張を押し込むように頷いた。


「……行こう。覚悟はできてる」


 レオンは洞窟の裂け目へと一歩踏み込んだ。

 黒い霧が足元を絡め取るように揺れ、空気が一瞬で変わる。


「――第一階層だ」


 四人は黒い霧の中へと足を踏み入れた。



 ―第一階層:薄闇の森―


 中に入った瞬間、空気が変わった。

 肌に触れる温度がわずかに下がり、胸の奥に重い膜が張りつくような感覚が広がる。


 外の森とは違う、光が吸い込まれるような暗さ。

 木々は黒く染まり、幹の表面まで影が染み込んだように見える。

 地面には揺らめく影が広がり、どこが本物の影でどこが魔力の揺らぎなのか判別がつかない。


 風は吹いていないのに、葉がざわりと震えた。

 まるで森そのものが、侵入者を拒むように息を潜めている。


「……ここ、本当に日本なの……?」


 美咲が小さく呟く。声が吸い込まれるように弱く響いた。


「違う。ここは虚界だ。現実と異界が混ざり合った、歪んだ空間だ」


 レオンが答える。その声だけが、この空間で唯一現実を保っているようだった。


 その時――

 地面の影がふっと膨らみ、黒い塊が跳ね上がった。


 影鼠シャドウ・ラットが三体。

 小型の影獣だが、動きは素早く、気配が薄い。

 三人は思わず身を固くした。


 レオンは三人の前に一歩出た。

 その動きは静かで、しかし迷いが一切ない。


「下がっていろ。最初は俺がやる」


 影鼠が三方から飛びかかる。

 黒い軌跡が空気を裂き、牙が光を吸い込むように鈍く光った。


 レオンは聖剣を抜刀する。

 その瞬間、空気が一度だけ震えた。


 影の動きを読み切り、最短距離で踏み込む。足音すら残さず、一体を斬り捨てる。


「影鼠は軽い。動きは速いが、軌道は単純だ」


 跳びかかる別の一体を足で踏みつけ、残りの一体を光の残滓とともに切り裂く。

 踏みつけた影鼠には、迷いなく聖剣を突き立てた。


 影鼠は霧散し、静寂が戻る。

 まるで最初から何もいなかったかのように、影だけが揺れていた。


 レオンは聖剣を払ってから三人へ向き直った。


「……今のを覚えろ。影鼠は飛びかかりの前に影が揺れる。あれが合図だ」


 三人は真剣に頷いた。

 その表情には、恐怖と同時に自分たちもやらなければならないという覚悟が宿り始めていた。


「次からは、お前たちがやるんだ。俺は後方から見ている」


 レオンが言葉を言い終わった直後、地面の影がふっと膨らみ、再び黒い塊が跳ね上がった。


 影鼠だ。

 さっきと同じはずなのに、三人にはより速く、より鋭く見えた。


「来るぞ……!」


 優斗が前に出る。

 朔弥は右側へ、美咲は後方で杖を構える。

 三人の動きにはまだぎこちなさが残るが、それでも迷いはなかった。


 レオンは後ろから見守るだけ。

 その沈黙が、逆に三人の緊張を引き締める。


「影が揺れたぞ、優斗!」


 レオンの声に、優斗の目が鋭く細まる。

 影鼠の影が一瞬だけ揺れ――

 その瞬間、優斗は踏み込んだ。


 居合いの斬撃が影鼠を捉える。

 刃が確かに肉を裂いた感触が腕に伝わる。


 だが――


 霧散しない。


 影鼠の身体はぐらりと揺れただけで、黒い目がぎょろりと優斗を捉えた。


「くそっ……硬ぇ!」


 優斗が歯を食いしばる間に、影鼠は影を引きずるようにして体勢を立て直し、低い姿勢から地を蹴った。

 その動きは小型ながら、まさに獣の本能そのもの。

 一瞬で距離を詰めてくる。


「朔弥!」


 レオンの声が飛ぶ。


「《火弾ファイアバレット》!」


 朔弥の放った火弾が影鼠の胴を撃ち抜く。

 衝撃で影鼠の身体がのけぞり、黒い煙のような影が散った。


 しかし――

 レオンの時のように一瞬で消えない。


 影鼠は苦しげに身をよじりながらも、まだ前へ進もうと足を動かしていた。

 そのしぶとさに、朔弥の表情がわずかに強張る。


「魔力の乗せ方が甘い。落ち着け、朔弥」


 レオンの声が静かに響き、朔弥は息を整えながら再び魔力を練り直した。


 美咲は後方から聖護プロテクションを展開する。


「大丈夫……守るから!」


 光の膜に触れた影鼠の爪が、火花のような影を散らす。


 影鼠が一直線に優斗へ飛びかかる。

 その軌道は単純だが、速い。


 優斗は影の揺れを見て、踏み込みながら横薙ぎに斬り払った。


「うおおっ……!」


 紅牙が影鼠を切り裂き、ようやく霧散する。

 残ったのは、揺らめく影と三人の荒い呼吸だけだった。


 三人は肩で息をしながら、レオンを見る。

 レオンは静かに頷いた。


「……悪くない。俺と同じようにはいかなくて当然だ。だが、動きは見えていた」


 その言葉に、三人の顔にわずかな自信が宿る。


 レオンが前を向いた瞬間、頭上の闇がざわりと揺れた。

 まるで天井そのものが息を吸い込んだように、空気が一段階、冷たく沈む。


「……来るぞ。次は空だ」


 優斗が顔を上げる。

 視界の上から、じわりと圧が降りてくるような感覚があった。


「空……?」


 その疑問が口をついた瞬間――

 黒い羽が闇を切り裂いた。

 鋭い爪が一直線に三人へ迫り、空気が裂ける音が耳を刺す。


 ――黒羽カラス(ダーククロウ)

 影鼠よりも速く、気配が薄い。

 その存在は、まるで影そのものが形を持ったかのようだった。


「黒羽カラスだ。影鼠より速い。気を抜くな!」


 レオンの声が鋭く響き、三人の背筋が一斉に強張った。


 優斗は反射的に一歩踏み込み、迫る影を目で追った。

 その速さに思わず息を呑み、紅牙を握り直す。


「速ぇ……!」


 影の軌跡が視界をかすめ、胸の鼓動が一気に跳ね上がる。


 朔弥は魔力の流れを探ろうと集中するが、黒羽カラスの気配は薄く、掴みどころがない。


「魔力の流れが読みにくい……」


 焦りが声に滲む。

 影のように揺らぐその存在は、魔術師にとって最も厄介な相手だった。


 美咲は二人の前に杖を掲げ、震える手で魔力を集める。

 守らなければ――

 その思いだけが彼女を支えていた。


「みんな、守る……!」


 祈るような声とともに魔力が解き放たれる。


「《聖護プロテクション》!」


 柔らかな光の膜が展開し、直後に叩きつけられた黒羽カラスの爪を弾き返した。

 膜の表面が波紋のように揺れ、空気がびりりと震える。


 膜越しでも衝撃が伝わり、三人の足元がわずかに揺れた。


「優斗、地上に引きずり下ろせ! あいつは空中にいる限り厄介だ!」


 レオンの指示に、優斗は息を整え、足に力を込める。


「わかった!」


 その声には、恐怖よりもやるしかないという覚悟が宿っていた。


 黒羽カラスは再び高度を取ろうと羽ばたき、その動きに合わせて周囲の闇がざわりと揺れる。

 鋭い気配が空気を切り裂き、三人の肌を刺した。


 黒羽カラスの影が揺れた瞬間、優斗は地を蹴り、跳びかかる。

 紅牙の斬撃が翼をかすめ、黒い羽が散った。


 バランスを崩した黒羽カラスが地面へ落ちる。


「朔弥、今だ!」


「《火弾ファイアバレット》!」


 火弾が直撃し、黒羽カラスが悲鳴のような影を散らす。

 だが――

 まだ消えない。


「硬い……影鼠よりずっと……!」


「美咲、仕上げだ!」


 美咲は震える手で杖を構え、胸の奥から魔力を引き上げる。


「……《聖なる矢(ホーリーアロー)》!」


 光の矢が放たれ、黒羽カラスの胸を貫いた。

 影が霧散し、静寂が戻る。


 レオンは三人を見渡し、静かに頷いた。


「……よくやった。影鼠より強い相手に、よく対応した」


 優斗は息を整えながら笑う。


「はぁ……はぁ……でも、レオンみたいにはいかねぇな」


「当たり前だ。だが、お前たちは戦えている。それが何より大事だ」


 レオンの言葉に、三人は荒い息を整えながら頷いた。

 黒羽カラスとの戦闘を終えたばかりなのに、胸の奥には確かな手応えが残っている。


 朔弥も美咲も、緊張の中に小さな自信を宿し始めていた。


 ――それから、四人は一階層を進み続けた。


 黒い霧が漂う薄闇の森は、どこまで歩いても同じ景色が続く。

 影鼠、影蛇シャドウ・スネーク影狼シャドウ・ウルフ――

 影の魔物たちが途切れることなく襲いかかり、三人はそのたびに武器と魔法を振るった。


 優斗は斬撃の軌道を何度も修正し、朔弥は魔力の練り方を少しずつ安定させ、美咲は防御と回復のタイミングを体で覚えていく。


 戦闘を重ねるほどに、三人の動きは確実に洗練されていった。


 やがて――

 薄闇の森の奥に、ぽっかりと穴のような空間が現れた。


 そこには、黒い石でできた階段が静かに口を開けていた。

 まるで地の底へと誘うように、深い影がその先へ続いている。


 レオンは階段を見下ろし、静かに言った。


「――次は第二階層だ。ここから先も何が出てくるかわからない。気を引き締めろ」


 三人は息を整え、頷いた。

 疲労はある。それでも、足は前へ進むことをためらわなかった。


 四人は薄闇の森を背にし、黒い階段を一段、また一段と下りていく。


 影が濃くなる。

 空気が重くなる。


 そして――

 世界がまたひとつ、深く沈んでいく。

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