第13話:校長室の静寂、揺らぐ日常
校長室の空気は、いつもより重かった。
窓から差し込む朝の光さえ、どこか冷たく感じる。
三人はソファに並んで座っていたが、背筋は自然と固くなり、手の置き場すら分からない。
校長は机の前に座っているものの、膝の上で組んだ手がわずかに震えていた。
そして――
校長室の中央に立つ二人の大人が、空気を支配していた。
ひとりは、スーツの襟を整えた男。
鋭い眼光と落ち着いた佇まい。
風間防衛大臣。
もうひとりは、黒いスーツの女性秘書。
タブレットを胸に抱え、大臣の一挙手一投足を静かに見守っている。
学校という日常の空間に、あまりにも場違いな二人だった。
風間は資料を閉じ、ゆっくりと三人の前に腰を下ろす。
秘書はその背後に控え、無言で立つ。
「まずは……落ち着いて聞いてほしい」
低く、よく通る声だった。
怒りも焦りもない。
ただ、事実を確かめようとする静かな意志だけがある。
「私は、君たちを責めるために来たのではない。昨夜、狭山市で何が起きたのか――その真実を知りたい」
三人は息を呑んだ。
逃げ場のない現実が、目の前に座っている。
朔弥は喉がひゅっと鳴るのを感じながら、ゆっくりと視線を上げた。
風間大臣の視線が三人に向けられた瞬間、校長室の空気がさらに重くなる。
「……では、聞かせてくれ。昨夜、何があったのか」
朔弥は一瞬、言葉を飲み込んだ。
本当のこと――
魔物の種類、動き、弱点、レオンの戦い方。
全部知っている。
だが、それをそのまま言うわけにはいかない。
「えっと……黒い影みたいなのが、急に出てきて……そ、それで……襲われて……」
影みたいとぼかす。
魔物とは言わない。
優斗が横から続ける。
彼も慎重に言葉を選んでいた。
「最初は……人が倒れてるのかと思ったんです。でも、動きが……普通じゃなくて。だから、逃げようとしたんですけど……」
普通じゃない。
逃げようとした。
どちらも事実だが、核心は避けている。
美咲は両手を膝の上で握りしめ、視線を落としたまま、小さく息を吸った。
「わ、私……気づいたら……手が光ってて……怪我してた人が……治って……」
本当は治癒魔法だと分かっている。
でも、言葉にはしない。
三人の説明は断片的で、どこか隠している気配があった。
だが――
嘘は言っていない。
風間大臣は一度も口を挟まず、ただ静かに三人の言葉を受け止めていた。
その表情は読み取れないが何かに気づいている気配だけが漂う。
秘書はタブレットを持ったまま、三人の言葉を淡々と記録している。
説明が途切れた瞬間、校長室に静寂が落ちた。
三人は息を詰めたまま、大臣の反応を待つしかなかった。
風間大臣はゆっくりと息を吸った。
「……なるほど」
短い言葉だったが、その一言だけで三人の背筋がさらに伸びる。
大臣は視線を落とし、手元の資料を軽く指で叩いた。
「君たちの話は、断片的だ。だが――嘘は言っていない」
三人の肩がわずかに揺れた。
隠していることを、見透かされている。
しかし風間の声には、責める色はない。
「まず、昨夜の黒い影我々が確認した映像でも、同様の存在が映っている」
秘書がタブレットを操作し、画面にぼんやりとした黒いシルエットを表示する。
「人間ではない。動きも、反応も、生体反応も……未知だ」
風間は画面を見つめながら続けた。
「次に、君たちの行動。逃げようとした――これは自然だ。だが、逃げ切れなかった理由があるはずだ」
朔弥が息を呑む。
優斗は視線をそらし、美咲は膝の上で手を握りしめた。
風間は三人の反応を見て、静かに言葉を重ねる。
「そして……治ったという証言。これは、医療的には説明がつかない。だが、現場の救急隊も同じ報告をしている」
秘書が淡々と補足する。
「重傷者三名、全員が自然治癒とは考えられない速度で回復しています」
美咲の肩がびくりと震えた。
風間は、そこで初めて三人の目をまっすぐ見た。
「君たちは――何かを知っている。だが、それを言えない理由もあるのだろう」
三人は言葉を失った。
否定も肯定もできない。
風間は、ため息をひとつだけ落とした。
「安心しろ。私は、君たちを追及するために来たのではない。ただ……この国で何が起きているのか、正しく理解する必要がある」
その声は国家としての責任と子どもを守る覚悟が同時に宿った、重い声だった。
風間大臣の分析が終わると、校長室には再び重い沈黙が落ちた。
三人は息を詰めたまま、大臣の次の言葉を待っている。
だが――
その前に、校長が静かに口を開いた。
「……風間大臣」
声は震えていない。
むしろ、先ほどよりも落ち着いていた。
「彼らは……まだ中学生です。昨夜の出来事で、心身ともに大きな負担を受けています」
風間は視線を校長に向ける。
秘書もタブレットを下げ、校長の言葉に耳を傾けた。
校長は続ける。
「大臣がおっしゃるように、昨夜の影が何であれ、国家としての対応が必要なのは理解しています。しかし――」
そこで校長は三人を一度だけ見た。
その目には、教師としての覚悟が宿っていた。
「彼らを情報源として扱うような真似は、どうか……お控えいただきたいのです」
風間の眉がわずかに動く。
反論というより、意外さに近い反応だった。
校長はさらに踏み込む。
「彼らは、危険なものを目にしました。命の危険にも晒されました。それでも……こうして学校に来て、大臣の前で話をしているのです」
言葉は穏やかだが、その奥にある強さは隠しようがなかった。
「どうか……彼らを守る立場でいてください。国のためではなく、まず子どもたちのために」
三人は驚いて校長を見た。
こんなにも自分たちのために言ってくれるとは思っていなかった。
風間はしばらく黙って校長を見つめ、やがて静かに息を吐いた。
「……誤解しないでほしい、校長先生」
声は低く、しかし柔らかかった。
「私は、彼らを利用するつもりはない。むしろ――守りたいと思っている」
校長の目がわずかに揺れる。
風間は続けた。
「だからこそ、事実を知る必要がある。彼らが再び危険に晒されないように」
その言葉には、政治家の計算ではなく現場を知る大人の真剣さがあった。
三人は、大臣と校長の間に流れる静かな信頼のやり取りを感じていた。
校長と大臣の言葉が交わされるたび、三人の胸の奥で、違う種類の緊張が膨らんでいった。
朔弥は、膝の上で握った手に汗が滲むのを感じていた。
大臣の視線は怖い。
でも――
校長が自分たちのために言葉を選び、大臣がそれを正面から受け止めているのを見て、胸の奥がじんわりと熱くなる。
(……守ってくれてるんだ)
そう思った瞬間、隠していることへの罪悪感が、小さく胸を刺した。
優斗は、表情こそ変えないが、心の中では冷静さと焦りがせめぎ合っていた。
(大臣は……気づいてる。俺たちが全部は言ってないって)
それでも責めない。
問い詰めない。
その姿勢が逆に怖い。
けれど――
同時に、信頼できる大人だと感じてしまう自分もいた。
美咲は、校長の言葉を聞いた瞬間、胸がぎゅっと締めつけられた。
(先生……私たちのために……)
怖かった。
昨夜のことも、自分の力も、そして今ここにいることも。
でも、校長の声と大臣の落ち着いた態度が、その恐怖を少しだけ和らげてくれる。
三人はそれぞれ違う感情を抱えながらも、
同じことを感じていた。
――大人たちは、本気で自分たちを守ろうとしている。
その事実が、ほんの少しだけ、三人の呼吸を楽にした。
だが同時に、胸の奥に沈んだ言えない秘密が、静かに重さを増していく。
風間大臣は、校長と三人を順に見渡した。
その目は鋭いが、追い詰める色はない。
ただ――
事実を見逃さない者の目だった。




