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第3話:勇者降臨

 金色の髪が、夕焼けの光を反射して揺れている。

 銀色の鎧は血に染まり、白のペリースマントは焦げて裂けている。

 胸には見慣れない紋章が刻まれ、手には――聖剣。


 その少年は、ゆっくりと目を開けた。


「……ここは……どこだ……?」


 深い悲しみと、強い光を宿した瞳。

 その視線が朔弥たちを捉えた瞬間、朔弥の胸の奥がざわりと震えた。


(……この人……ただ者じゃない……)


 優斗が警戒しながら一歩近づく。


「お、おい……大丈夫か?」


 少年は三人を見て、驚いたように目を見開いた。


「……人間……?

 ここは……アルティリアでは……?」

「アル……何?」


 優斗が眉をひそめる。


 少年は立ち上がろうとしたが、膝が崩れた。

 朔弥が慌てて支える。


「気をつけて! 怪我してるじゃないか!」

「……すまない……」


 少年は朔弥の手を握り返し、かすれた声で名乗った。


「俺は……レオン・ウル・アラリウス。

 アラリウス王国第一王子……アルティリアの勇者だ」


「ゆ、勇者……?」

「王子様……?」

「アルティリア……?」


 三人の声は、驚きというより理解不能の色を帯びていた。

 耳に届いた言葉をそのまま口にしているだけで、意味として頭に入っているわけではない。

 現実が急に軋み、足元の世界が揺らぐような感覚。

 朔弥も優斗も美咲も、ただ言葉を繰り返すしかなかった。

 まるで――

 自分たちの日常が、知らないうちに別の物語へと踏み込んでしまったかのように。


 だがレオンは、朔弥の手を離さぬまま続けた。


「なぜ俺は……

 この世界に来たんだろう……」


 そこで言葉が途切れた。

 レオンの表情に、深い影が落ちる。

 夕焼けの光が彼の横顔を照らすが、その影だけは消えなかった。

 まるで――

 胸の奥に、誰にも触れられたくない傷があるかのように。


 朔弥は息を呑んだ。その沈黙の重さが、言葉以上に雄弁だった。


(……この人……何かを失った顔だ……

 大切なものを……

 取り返しのつかない形で……)


 レオンの瞳は、遠い何かを見つめていた。

 それはこの世界ではなく、彼が帰れなくなったどこかを。

 朔弥は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

 その時――


「ギャアアアアアア!!」


 校舎の方から、複数の魔物の咆哮が響いた。

 ゴブリンだけではない。

 狼型の魔物、影のような魔物……黒い穴から次々と溢れ出してくる。


「やばい! 囲まれるぞ!!」


 優斗の叫びは、焦りというより本能の警告に近かった。

 影が地面から湧き上がるように増えていく。

 黒い靄が形を成し、輪郭を持ち、牙を剥く。

 まるで空気そのものが敵意を帯びているようだった。


 美咲が朔弥の腕を掴む。

 その手は震えていたが、力はしっかりと入っていた。


「逃げなきゃ……!」


 声はかすれていた。

 恐怖で喉が締め付けられているのに、それでも仲間を引っ張ろうとする。

 美咲の優しさが、必死に恐怖を押し込めていた。


 だが――

 レオンは動かなかった。

 ふらつきながらも、聖剣を構える。

 その姿は、傷だらけで、魔力も尽きかけているはずなのに、どこか揺るがない柱のように見えた。


「逃げない……あれは……魔王の眷属……

 放ってはおけない……」


 レオンの声は弱々しい。

 だが、その言葉の奥にある覚悟だけは、誰よりも強かった。


 朔弥はレオンの横顔を見つめた。

 血に濡れ、息も荒い。

 それでも剣を下ろさない。

 自分の命よりも、仲間と世界を優先している。


(……この人は……本物の勇者なんだ……)


 胸の奥が熱くなる。

 恐怖で縮こまっていた心臓が、強く脈打ち始める。

 逃げたい気持ちよりもこの人を助けたいという想いが勝っていく。


 影が迫る。

 黒い気配が地面を這い、足元に触れようとする。

 空気が冷たく、重く、息がしづらい。


 だが――

 朔弥の中で、何かが静かに燃え始めていた。


 魔物たちが一斉に襲いかかる。

 黒い影が波のように押し寄せ、地面を這い、空気を震わせる。

 その数、その圧、その殺意――

 人間が相手にしていい存在ではなかった。


 レオンは血を吐きそうなほど苦しい呼吸のまま、それでも聖剣を振り上げ、叫んだ。


「《聖剣解放》!!」


 瞬間、世界が白く染まった。

 聖剣から迸る光がレオンの身体を包み込み、神話の勇者が降臨したかのような輝きが広がる。


 三人は息を呑んだ。

 恐怖すら忘れるほどの光景だった。


「な、なんだあれ……!」

「光ってる……!」

「すご……」


 レオンは光を纏い、足元の地面を砕きながら魔物の群れへ突っ込む。

 その姿は、傷だらけのはずなのに、誰よりも強く見えた。


「《光刃連撃(ライトラッシュ)》!!」


 光の斬撃が連続で走り、魔物たちの身体を切り裂き、影を散らし、闇を払う。

 斬撃の軌跡が残光となって空中に線を描き、まるで光の檻が展開されているようだった。


 だが――

 レオンの動きは明らかに鈍かった。

 足がもつれ、呼吸が荒れ、斬撃の間隔がほんのわずかに遅れる。


(……怪我してる……このままじゃ……!)


「レオン!!」


 朔弥が叫んだ瞬間、一体の魔物がレオンの背後に回り込んだ。

 黒い影が牙を剥き、レオンの背中へ飛びかかる。

 胸の奥が爆発するように熱くなった。


(まただ……!

 また誰かが傷つくのを見てるだけなんて……)


 朔弥は無意識に手を突き出していた。

 頭で考えるより先に、身体が動いた。


「燃えろッ!! 《火球(ファイアボール)》!!」


 ボッ!!


 空気が一瞬で熱に変わり、朔弥の手のひらから火球が生まれた。

 それは炎というより怒りと恐怖が形になった光だった。


 火球は一直線に飛び、レオンの背後の魔物に直撃する。

 爆ぜる炎。影が焼け、黒煙が上がる。

 レオンが驚いたように振り返った。


「……君……魔法が使えるのか……?」


 朔弥は息を荒げながら、震える声で答えた。


「わかんない……でも……身体が勝手に……!」


 その手はまだ熱を帯びていた。

 恐怖と興奮と、何か得体の知れない力が混ざり合っていた。


 朔弥の中で何かが確かに目を覚ました。

 校庭に静寂が戻った――かに見えた。

 だが空に浮かぶ黒い穴は、まるで心臓のように脈動を始める。


 ドクン……ドクン……


 朔弥の胸が、ドクン、と大きく脈打った。

 その痛みは、ただの鼓動ではない。

 まるで胸の奥に別の心臓が生まれたような、異質なリズムだった。


「うっ……また……!」


 朔弥は胸を押さえ、膝をつきそうになる。

 視界が揺れ、耳鳴りが響き、世界が遠ざかる。

 体の奥で何かが暴れようとしている――

 そんな感覚。


 美咲が慌てて支える。

 その手は温かいのに、朔弥の体は逆に熱を帯びていた。


「朔弥くん、大丈夫……?」


 美咲の声は震えていた。

 朔弥の異変が、ただの疲労ではないと直感している。


 レオンは空を睨みつけた。

 その表情は、戦場で何度も死線を越えてきた者の顔だった。


 優斗が叫ぶ。

 その声は、ただの驚きではなく――

 生存本能が危険を察知した時の叫びだった。


「おい、あれ……広がってないか!!?」


 指差す先の空。

 そこに漂っていた黒い霧は、さっきまでより明らかに濃く、重く、そして大きかった。

 最初はただの雲のように見えたそれが、今はまるで巨大な生き物が息を吸い込むように、周囲の空気を飲み込みながら膨張している。


 空の色が変わる。

 夕焼けの赤でも、夜の黒でもない光が奪われていく色――

 そんな不吉な色だった。


 風が止まった。

 木々のざわめきも消えた。

 世界が一瞬、呼吸を忘れたような静寂が訪れる。

 その静寂の中で、地面がわずかに震えた。


 足元の影が、じわりと伸びる。

 影の端が、まるで意思を持った触手のように蠢く。


 美咲が息を呑む。

 朔弥の胸の痛みが、再び強く脈打つ。

 レオンは空を睨みつけたまま、低く呟いた。


「……嫌な気配だ。瘴気が……

 濃くなっている」


 その声は震えていなかった。

 だが、勇者である彼が嫌な気配と言う時――

 本当に危険なものが迫っている証拠だった。


 優斗の喉が鳴る。

 恐怖で乾いた音だった。


「……マジかよ……あれ……」


 黒い霧は、もう空の一部ではなかった。

 世界そのものを覆い尽くそうとする侵食だった。


 そして――

 その中心で、何かが蠢いていた。


 空に漂う黒い霧が、ゆっくりと、しかし確実に膨張していた。

 まるで巨大な生き物が息を吸い込むように、世界の空気を奪いながら広がっていく。


 地面が震え、木々がざわめき、影が地面から滲み出すように増えていく。


 朔弥の胸の痛みがさらに強くなる。

 痛みというより――

 呼ばれている。

 何かが、朔弥の中の存在魔力に反応している。


(……なんだよ……これ……

 俺……どうなって……)


 息が苦しい。

 でも、倒れている場合じゃない。

 レオンも、美咲も、優斗も――

 みんな戦っている。


 朔弥の胸の奥で、雷のような光が一瞬だけ弾けた。

 黒い穴が、ゆっくりと大きくなっていく。


 そして――

 穴の中心から、巨大な影が落ちてきた。

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