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第1話:日常

 朝の光が差し込む狭山市の住宅街は、春の風に揺られながら静かに目を覚ましていた。

 どこか眠たげな空気が漂い、家々の屋根に柔らかな陽光が落ちている。

 鳥のさえずりが遠くで響き、世界はゆっくりと動き始めていた。


 光野(コウノ) 朔弥(サクヤ)は、制服のネクタイを片手で締めながら玄関を出る。

 まだ眠気の残る瞳で空を見上げ、ひとつ大きな欠伸をする。

 朝の空気は少しひんやりしていて、頬を撫でる風が心地よかった。


「……ねむ……」


 ぼそりと漏れた声は、まだ半分夢の中にいるようだった。

 その緩い空気に合わせるように、住宅街は静かで穏やかだ。


 その時、隣家の玄関が静かに開いた。


「おはよう、朔弥くん」


 柔らかな声に振り向くと、天城(アマギ) 美咲(ミサキ)が微笑んで立っていた。

 朝の光を受けて、彼女の髪がふわりと揺れる。

 家庭科部の部長で、学年一の美少女と評される少女。

 だが朔弥にとっては、幼い頃からずっと隣にいた“幼馴染の美咲”だった。


「お、おはよ……美咲」


 朔弥は思わず視線を逸らし、頬を赤く染める。

 美咲の笑顔を見ると、胸の奥がくすぐったくなる。

 それは昔から変わらない感覚で、けれど最近は少しだけ違う意味を持ち始めていた。


 美咲は気づいているのかいないのか、いつもの優しい笑顔で歩み寄ってきた。

 その歩幅は朔弥に合わせたようにゆっくりで、まるで「今日も一緒に行こうね」と言っているようだった。


「今日、家庭科の実習あるからね。忘れ物しないようにね?」


 美咲が、少しだけお姉さんぶった声で言う。

 その仕草が妙に板についていて、朔弥は思わず苦笑した。


「う……うん」


 まだ寝ぼけた頭が完全には起きていないけれど、美咲の声を聞くと、不思議と安心する。


 その時、勢いよく反対隣りの扉が開いた。


「おーい! 二人とも早いって!」


 剣道部主将の(ツルギ) 優斗(ユウト)が、片手にパンをくわえたまま飛び出してくる。

 寝癖のついた髪、肩にかけた竹刀袋、そしてパン。

 完全に遅刻常習犯の朝だった。


 爽やかな容姿で学校ではモテるが、朔弥と美咲の前では昔から変わらない。

 むしろ、この二人の前では気を抜きすぎている。


「優斗、また寝坊?」


 美咲が呆れたように眉を上げる。

 その表情は怒っているというよりまたかと慣れきった幼馴染のそれだった。


「いや、これは……その……朝練の疲れが……」


 優斗は苦し紛れに言い訳をするが、声のトーンが完全に嘘ついてますだった。

 パンをくわえたままの喋り方も相まって、説得力はゼロに等しい。


 朔弥はその様子を見て、思わず口元を緩めた。

 昔から変わらない優斗のドタバタ感に、朝の眠気が少しだけ吹き飛ぶ。


 美咲も肩をすくめながら、「ほんとにもう……」と小さく笑った。

 三人の間に流れる空気は、長い時間を一緒に過ごしてきた者だけが持つ、心地よい温度を帯びていた。


「言い訳下手すぎ」


 美咲がくすっと笑う。

 その笑顔につられて、朔弥も自然と笑みをこぼした。


 三人で過ごす、いつも通りの朝――

 その穏やかな空気が、胸の奥をほんの少し温かくした。


 だが、その温もりの裏側で、朔弥はふと、小さなざわつきが胸をかすめるのを感じていた。

 まるで、平和な日常の中に紛れ込んだ微かなノイズのように。


(……なんだろ、この感じ)


 理由はわからない。

 ただ、最近ずっと続いている。

 胸の奥が熱を帯びるような、何かが目覚めようとしているような――

 そんな奇妙な感覚だった。


「朔弥くん? どうかした?」


 美咲が覗き込む。

 その瞳は心配というよりいつもの朔弥の様子を確認するような柔らかさがあった。


 朔弥は慌てて首を振った。

 胸のざわつきを悟られたくなくて、少しだけ歩幅を早める。


「いや、なんでもないよ。行こ」


 三人は並んで歩き出す。

 通学路には朝の光が差し込み、制服の影がアスファルトに三つ並んで伸びていく。

 いつもと変わらない、穏やかな朝のはずだった。


 優斗がふと空を見上げた。


「なんかさ……今日、空の色変じゃね」


 その声は軽い調子だったが、どこか引っかかるものがあった。


「え?」


 朔弥と美咲も空を仰ぐ。

 雲の切れ間に、ほんの一瞬だけ――

 黒い霧のような影が揺らめいた。

 風でも鳥でもない。

 そこにあるはずのないものが、空の奥で蠢いたように見えた。


「……気のせいじゃない?」


 美咲が言う。

 その声は落ち着いていたが、わずかに眉が寄っていた。


 朔弥もそう思おうとした。

 だが胸のざわつきは、さっきよりも強くなっていた。

 まるで心臓の奥を、冷たい指で撫でられたような感覚だった。


(……なんだよ、これ)


 何かが近づいているような。

 そんな不吉な予感。


 朔弥はまだ知らない。

 その何かこそが、魔王ヴォルネクサスの影であり、自分の中に眠る勇者因子と魔王因子の共鳴だということを。


 そして、この日常が――

 もうすぐ終わりを告げることも。

ご一読いただき、誠にありがとうございます。

本作は物語の序盤をテンポよくお楽しみいただくため、【毎日1回 夜19:00】の周期で更新を予定しております。

結末までプロットをしっかりと構築して臨んでおりますので、どうぞ最後まで安心してお付き合いいただけますと幸いです。

もしレオンと朔弥のこれからの旅路に興味を持っていただけましたら、お気に入り登録ブックマークやフォローで応援していただけると、今後の何よりの励みになります。

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