第3話:学校での騒動
教室に入ると、すでにクラスはざわついていた。
いつもの朝のはずなのに、どこか空気が落ち着かない。
ざわめきの中に、言葉にできない違和感が混じっているようだった。
朔弥が席についた瞬間――
「……あっつ!!」
椅子から跳ね上がった。
背中に走った熱は、まるで火の粉が散ったようだった。
「えっ!? なんで!? 俺座っただけだぞ!?」
近くのクラスメイトが眉をひそめる。
「お前……ケツから火でも出てんのか……?」
「出てねぇよ!!」
朔弥は必死に背中を扇ぎながら叫ぶ。
その様子に、美咲が慌てて駆け寄った。
「朔弥くん……魔力が体温に出てるんだよ……!」
そのとき、ポケットのスマホから落ち着いた声が響いた。
『火属性の魔力は感情と連動する。落ち着け。特訓の余韻だ』
「だからスマホから指導すんなレオン!!」
朔弥が怒鳴ると、教室の空気が一瞬だけ凍りついた。
周囲の視線が集まるが、三人はもう慣れたものだ。
――その直後。
『……朔弥。何度も言うが――』
レオンの声が、わずかに呆れを含んだ低さで続いた。
『ポケットの中では状況が把握できん。俺を出せ。視界が遮られるのは戦士として論外だ』
「戦士じゃねぇよ俺は!! てか教室で視界とかいらねぇだろ!!」
『必要だ。敵は常に死角から来る』
「ここ学校だって言ってんだろ!!」
先日に続き、朔弥がスマホを引っ張り出すと、画面の中で腕を組むレオンが、どこか満足げに頷いた。
『これでいい。ようやく周囲が見える』
「スマホの画面から何が見えるんだよ!!」
朔弥のツッコミが教室に響き、クラスメイトたちは「何やってんだあいつら……」という目で三人を見ていた。
美咲が教室に入ると、女子たちが一斉に顔を上げた。
まるで花の香りに誘われた蝶のように、自然と彼女の周りへ集まってくる。
「美咲ちゃん、今日なんかいい匂いしない?」
「ていうか……肌ツヤよくない!? スキンケア何使ってるの!?」
「えっ!? な、なんで……!?」
美咲は頬を赤くしながら戸惑い、胸元を押さえる。
その周囲には、ほんのりと光の粒子が漂っていた。
朝の光に混じってきらめくそれは、まるで小さな花弁が舞っているようで――
教室の空気が一瞬だけ柔らかくなる。
朔弥がこそっと耳打ちする。
「美咲……お前……無意識に浄化使ってるだろ……」
「ひゃああああ!!」
美咲の悲鳴は、驚きと恥ずかしさが混ざったものだった。
その声に反応するように、光の粒子がふわりと揺れる。
『美咲、優しさを抑えろ』
スマホのレオンが淡々と言う。
「だから無理ー!!」
美咲の叫びが教室に響き、周囲の女子たちはさらに目を輝かせた。
「かわいい……」
「なんか今日の美咲ちゃん、天使みたい……」
美咲は完全にパニックだった。
両手をぶんぶん振って否定しようとするが、その動きに合わせて光が舞い、逆に神秘的なオーラが増してしまう。
教室の空気はすっかり美咲中心に回り始め、彼女自身は「やめてぇぇぇ……!」と半泣きで縮こまっていた。
―放課後―
剣道場に入ると、部員たちが一斉に頭を下げた。
「部長、おはようございます!」
「今日もよろしくお願いします!」
優斗は自然に頷く。
「うむ、頼む」
その姿は、もはや高校生というより武人だった。
見学していた朔弥が小声で呟く。
「お前……完全に部長じゃなくて師範代だろ……」
美咲は頬を赤くしながら見つめていた。
「優斗くん、かっこいい……」
『優斗、姿勢が良い。剣士として理想的だ』
スマホのレオンが分析する。
「スマホから剣道指導すんな!!」
優斗が竹刀を構えた瞬間――
空気が震えた。
ヒュッ……!
竹刀が空気を裂く音。
それは素振りというより、斬撃に近かった。
「今の音……竹刀の音じゃない……?」
「なんか……斬ってたよな……?」
部員たちがざわつく。
「いや、普通に素振りしただけだぞ……?」
優斗は首をかしげる。
「普通じゃねぇよ!! お前の素振り、空気切ってるぞ!!」
『優斗の剣技は大分上達した。素振りで空気が裂けるのは当然だ』
レオンが淡々と告げる。
「当然じゃねぇよ!!」
部員たちは興奮していた。
「部長……全国大会狙ってますか……?」
「いや、世界大会じゃね……?」
「いやいやいや!! 俺そんな大層なもんじゃねぇから!!」
朔弥がぼそっと言う。
「いや、もう世界レベルだろ……」
「優斗くんなら……世界もいけるよ……?」
美咲が小さく呟く。
「美咲……! いや、褒められても困る!!」
三人が帰り道を歩く頃には、夕陽は街を赤く染めていた。
だがその色は、どこか不吉に濃く見えた。
アスファルトに伸びる三人の影は、いつもより長く、細く、まるで別の誰かが後ろに立っているように重なって見えた。
「はぁ……今日も疲れた……」
朔弥が肩を落とす。
「お前のせいでな」
優斗が呆れたように言う。
「でも……楽しかったよ?」
美咲が微笑む。
その笑顔は夕陽よりも柔らかく、朔弥は思わず見惚れた。
胸の奥がじんわりと熱くなる――
火魔法の余韻とは違う、もっと穏やかな熱。
「美咲は天使か……?」
『天使ではない。《回復術士》だ』
スマホの中から即座に返ってくる冷静な声。
「黙れぇぇぇ!!」
そんな軽口を叩いていた――その時だった。
――ふっ。
視界の端で、黒い影が揺れた。
風は吹いていない。木々の影でもない。
何かが、こちらを覗いたような気配。
朔弥の足が止まった。
夕陽の光が一瞬だけ陰り、空気が冷たくなったように感じた。
「……今の……」
朔弥はゆっくり振り返る。
だが、そこには何もない。ただ、電柱の影が伸びているだけ――のはずだった。
「どうした?」
優斗が振り返る。
「なんか……黒いのが……」
「黒い……?」
美咲が不安そうに眉を寄せる。
朔弥は言葉を探した。
だが、あの視線のような感覚をうまく説明できない。
「いや……気のせいか……?」
そう言いかけた瞬間――
胸の奥が、鋭く刺すように痛んだ。
「っ……!」
呼吸が一瞬止まり、視界が揺れる。
心臓の奥で、何かが脈打つような感覚。
それは火魔法の熱とは違う。もっと冷たく、もっと深い――
闇のような気配だった。
朔弥が膝をつきかける。
「おい、大丈夫か!?」
優斗が慌てて支える。
「朔弥くん……!」
美咲が肩に手を置く。
その手の温かさが、かろうじて朔弥を現実に引き戻した。
『……朔弥、何を感じた?』
スマホのレオンが低く問いかける。
朔弥は息を整えながら答えた。
「わかんねぇ……でも……なんか……すごく嫌な気配がした……」
『気のせいだ』
あまりにも即答だった。
その声は冷静すぎて、逆に不自然だった。
「はぁ!? なんで即否定!? 俺、マジで感じたんだって!!」
『朔弥の存在魔力量は私より多い。そのせいで雑音を拾いやすいだけだ』
レオンの声は平静そのもの。
だが、その裏で何かを押し隠しているような気配が漂う。
一瞬だけ、言葉を探すような間が生まれた。
「雑音ってなんだよ!! 俺だけ苦労してるじゃん!!」
「理不尽すぎるだろ……」
優斗がため息をつく。
「朔弥くん……かわいそう……」
美咲が背中を優しくさする。
『とにかく、気にするな。魔王の気配なら私が先に気づく』
レオンは静かに告げた。
だが朔弥の胸の奥では、まだ何かが微かに蠢いていた。
(……絶対気のせいじゃねぇ……あれは……何かだった……)
三人は歩き出す。
しかしその背後で――
電柱の影が、ほんの一瞬だけ人の形に揺れた。
朔弥だけが感じた黒い気配。
それが何なのか――
この時の彼はまだ知らない。
それが、彼の中に眠る もうひとつの因子 を呼び覚まそうとしていることを。




