表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/118

第7話:世界の変化と、レオンの決意

 夕方のリビング。

 窓の外は薄い橙色に染まり、テレビの光だけが部屋を照らしていた。

 朔弥、レオン、そして朔弥の両親がソファに並び、ニュース番組を見ている。


 アナウンサーの声が淡々と響いた。


『先日の黒い穴は、町中の魔物が駆逐されたことで全て消滅しました。しかし――各地に出現したダンジョンだけは依然として残っています』


 画面には、巨大な穴のような構造物が映し出される。内部は光を飲み込むような深い闇に沈んでいた。


 朔弥は息を呑んだ。

 テレビの画面に映る黒い穴は、ただの映像なのに、どこか生き物のような圧を放っていた。

 黒い岩盤が螺旋状にえぐれ、底の見えない闇が口を開けている。

 見ているだけで、胸の奥がざわつく。


「……ダンジョン、残ってるんだ……」


 声は自然と小さくなった。

 まるでその闇が、画面越しにこちらを覗いているような気がしたからだ。


 隣に座るレオンは、背筋を伸ばしたまま微動だにしない。

 画面を凝視するその横顔は、普段の文明に振り回される勇者ではなく、戦場で敵を見据える戦士の顔だった。

 やがて、低く、確信に満ちた声が落ちる。


「……あれは魔王の残滓だ。消えるはずがない」


 その言葉は、リビングの空気を一瞬で変えた。

 テレビの音よりも、レオンの声の方が重く響く。


 朔弥は思わずレオンの横顔を見る。

 その瞳は、画面の奥――

 ダンジョンの闇のさらに向こうを見ているようだった。

 まるで、そこに敵が確かに存在していると知っているかのように。


 レオンの指先がわずかに震えているのを、朔弥は見逃さなかった。

 恐怖ではない。これは――

 戦士が戦いの気配を感じ取った時の反応だ。


 朔弥の胸に、じわりと不安が広がる。


(……レオンは、あれを知ってる……俺たちが知らない何かを……)


 テレビのアナウンサーは淡々と続ける。


『現在、日本国内で確認されているダンジョンは八か所。世界中でも同様の現象が発生しており――』


 朔弥の母が不安そうに呟く。


「……怖いわね……」


 レオンはゆっくりと首を振った。

 その動きは静かだが、どこか切迫感があった。


「……まだ終わっていない」


 その一言はこれから始まるものを予感させるには十分すぎた。


 その夜。

 朔弥邸には再び優斗家・美咲家が集まっていた。

 リビングは賑やかで、食器の音や笑い声が飛び交っている。

 その中心で、レオンはまるで未知の魔物と対峙した勇者のように固まっていた。


「ねぇレオンく〜ん……外国の人ってさぁ……ハグとかするの〜?」


 優斗の姉・沙耶さやが、缶チューハイを片手にふらふらと近づいてくる。

 頬は赤く、目はとろんと潤み、声は妙に甘い。


 レオンは一歩後ずさり、眉をひそめた。


(……酔った大人自体は珍しくない。アルティリアにも酒場はあったし、酔っぱらいもいた……だが……この人は……何かが違う……!)


 レオンの脳内で警戒音が鳴る。


「は、ハグ……? 戦士同士の抱擁なら……」


「きゃー!やっぱりするんだ〜!」


 沙耶が嬉しそうに身を乗り出す。

 レオンは肩を跳ねさせ、額にうっすら汗が浮かんだ。


(距離が……近い……! アルティリアの酔っぱらいはもっと豪快で単純だった……この人は……妙に絡み方が柔らかい……! これは……戦いづらい……!)


「さ、沙耶さん……酒臭い……」


「いいじゃーん、勇者くんイケメンだし〜」


 沙耶はレオンの腕に触れようと手を伸ばす。

 レオンは反射的に身をひねり、剣技のような動きでかわした。


(速い……いや、違う……この人の気配が読めない……! 魔物より行動が予測できない……!)


「姉ちゃん、酔うとほんと面倒くさいんだよ……」


 優斗が頭を抱える。


 レオンは完全に追い詰められた戦士の顔になっていた。


(……アルティリアの酔っぱらいより……この世界の酔ったお姉さんの方が……数倍手強い……!)


 その横では――

 まるで別世界のように、穏やかな空気が流れていた。


「レオンおにいちゃん、これ読んで〜!」


 雫が両手で大事そうに絵本を抱え、ぱたぱたと小さな足でレオンの前に駆け寄ってくる。

 その瞳は期待でキラキラと輝き、レオンを見るだけで嬉しさが溢れているのが分かる。


 レオンはその無垢な視線に少し驚きながらも、自然と表情を柔らかくした。


「うむ……これは……絵本か……?」


「うんっ!」


 雫は満面の笑みで頷く。

 レオンの膝の上に絵本を置き、まるで読んでくれるのが当然というようにちょこんと座った。


 その光景を見ていた朔弥は、胸の奥がモヤッとするのを感じた。


「……雫……お兄ちゃんにも読ませて……?」


 涙目で訴えるように言う。

 声は震え、どこか哀愁すら漂っていた。

 しかし雫は即答だった。


「レオンおにいちゃんがいいの!」


「ぐはっ……!」


 朔弥は胸を押さえて崩れ落ちる。

 その姿は、致命傷を負った戦士のようだった。

 レオンは困惑しつつも、雫が自分に寄りかかってくるのを優しく受け止める。

 その手つきはぎこちないが、どこか温かい。


(……この小さな子は、俺を信頼してくれている……不思議だが……悪くない……)


 そんなレオンの心の声が聞こえてきそうだった。

 美咲はその様子を見て、苦笑しながら肩をすくめる。


「朔弥くん、がんばって……」


 その声には気持ちは分かるけど、これは勝てないよ、という優しい諦めが滲んでいた。

 レオンの膝の上で絵本を開く雫。

 その横で、敗北した朔弥がうずくまる。

 そして美咲は微笑ましく見守っている。


 ――なんとも平和で、温かくて、少しだけ切ない光景だった。


 美咲家と優斗家が帰り、家が静かになった頃。

 朔弥の部屋で、布団を並べて寝る準備をしていた。


 布団を敷き終え、部屋の灯りを落とすと、朔弥の部屋には柔らかな暗がりが広がった。

 窓の外からは虫の声がかすかに聞こえ、今日一日の喧騒がようやく遠ざかっていく。


「……なんか、今日も疲れたな……」


 朔弥は布団に倒れ込み、天井を見上げながらぼそりと呟いた。

 その声には、学校での騒動と、家での賑やかさが混ざった疲労が滲んでいた。


「俺もだ。女子生徒の追跡……」


「だからそれやめろ、笑うから!!」


 二人は同時に吹き出し、しばらく笑い続けた。

 笑い声が落ち着くと、部屋には心地よい静けさが戻る。

 その静けさが、自然と互いの世界の話へと導いた。


 レオンは天井を見つめたまま、ぽつりと語り始める。


「……不思議な世界だな。環境魔力は薄いのに、技術は俺の世界より進んでいる」


 その声は、驚きと感心、そして少しの寂しさが混ざっていた。


「レオンの世界って、どんな感じなんだ?」


 朔弥は横を向き、レオンの横顔を見つめる。

 レオンは少しだけ目を細め、遠い記憶を辿るように言葉を紡いだ。


「魔法が生活の中心だ。街には魔導灯が灯り、魔法で動く馬車が走る。だが……戦争も多い。魔物も多い。俺は……ずっと戦っていた」


 その声は静かで、どこか乾いていた。

 戦い続けた年月の重さが、言葉の端々に滲んでいる。


 朔弥は胸が締めつけられるような感覚を覚えた。


「……大変だったんだな」


 レオンは苦笑した。

 その笑みは、強がりでもあり、諦めでもあり、どこか救いを求めるようでもあった。


「お前の世界も大変だろう。突然魔物が現れて……家族を守るために戦ったんだ」


「俺は……まだ全然だよ。魔法も使いこなせてないし……」


「だが、お前は戦った。それだけで十分だ」


 その言葉は、朔弥の胸にじんわりと温かく染み込んだ。

 誰かに認められることが、こんなにも心を軽くするとは思わなかった。


 部屋の空気がゆっくりと落ち着いていき、二人の呼吸が静かに重なっていく。


 やがて――

 疲れが限界に達したように、二人は自然と眠りへと落ちていった。

 夜の静けさが、二人を優しく包み込んでいく。


 ―夢の中―


 ――白い光が、世界を塗りつぶした。


 まぶしさはあるのに、不思議と目は痛くない。

 温かく、柔らかく、どこか懐かしい。

 それでいて、魂の奥を震わせるような神域の気配が満ちていた。


 レオンは気づけば、果てのない白の空間に立っていた。

 足元には影もなく、風もない。

 ただ、静寂だけが広がっている。


 その静寂を破るように――

 光がひとつ、ゆっくりと形を成した。


 白金の髪が流れ、淡い光を纏う衣が揺れる。

 その姿は人の形をしているのに、人ではない“神”という言葉が自然と脳裏に浮かぶほどの神々しさだった。


 女神レティシアが、微笑みながらレオンの前に降り立つ。


『レオン……よくぞ無事に辿り着きました』


 その声は、空気ではなく心に直接響く。

 優しく、包み込むようでありながら、どこか哀しみを含んだ響きだった。


「女神……!」


 レオンはすかさず膝をつき、頭を垂れる。

 それは最大級の敬意の表れであった。


 女神は静かに告げる。


『魔王は転移し、日々力を取り戻しています。急がねば……全ての世界は滅びます』


 白い空間に、その言葉だけが重く落ちる。

 レオンは拳を握りしめた。


「俺が……今度こそ倒します」


 だが、女神は首を振った。

 その動きは静かで、しかし絶対的だった。


『――あなた一人では、勝てません』


 レオンは息を呑む。

 その言葉は、勇者としての誇りを揺さぶるには十分すぎた。


「……俺が……勝てない……?」


『ええ。魔王は“器”を求めています。この世界には……その器となり得る者がいる』


 レオンの胸がざわつく。

 戦士としての直感が、何かを告げていた。


「器……?」


 女神は静かに頷く。


『この世界には“勇者”がもう一人います。しかし――まだ未覚醒』


「勇者……? 誰だ……?」


 女神は微笑んだ。

 だがその瞳は、どこか哀しげだった。

 まるで、そのもう一人の運命を案じているかのように。


『いずれ分かるでしょう。その者と共に、魔王を討ち滅ぼしなさい。あなたたち二人の力が揃わなければ……魔王は倒せません』


 レオンは深く頷いた。

 その瞳には迷いがなく、ただ使命だけが宿っていた。


「……承知しました」


 女神の姿が、光に溶けるように薄れていく。


『レオン……あなたは一人ではない。どうか……世界を……』


 最後の言葉が、祈りのように響いた。


 光が完全に消え――

 レオンは暗闇の中で、ひとり呟いた。


「……もう一人の勇者……この世界に……?」


 その声は、決意と不安が入り混じった、深い響きを持っていた。


 朝。

 カーテンの隙間から差し込む柔らかな光が、部屋の空気をゆっくりと温めていく。

 鳥の声が遠くで聞こえ、昨夜の静寂が少しずつ溶けていく。


 レオンはゆっくりと目を開けた。

 まだ夢の余韻が胸の奥に残っている。

 女神の声、白い光、そしてもう一人の勇者という言葉――

 それらが脳裏に焼き付いたままだった。


 ふと横を見ると、朔弥が布団を蹴飛ばし、無防備に眠っていた。


「すぴー……」


 寝息は穏やかで、昨日の逃走劇が嘘のようだ。

 その顔には緊張も恐怖もなく、ただ普通の中学生としての安らぎだけがあった。


(……この世界の勇者……誰かはわからない。だが、一人でも多く戦える者が必要だ)


 レオンは静かに息を吸い、心を落ち着かせる。

 女神の言葉が胸の奥で重く響いていた。


(朔弥……君を鍛えよう)


 その決意は、剣を握る時と同じほど強く、揺るぎなかった。


「ふあぁ……今日も学校だりぃ……」


 朔弥が寝ぼけた声で起き上がる。

 髪はぼさぼさ、目は半分閉じたまま。

 勇者の“ゆ”の字も感じられない。


(……こいつは勇者だなんて柄じゃないな)


 レオンは思わず心の中で呟いた。


「え、何か言った?」


 朔弥がぼんやりとこちらを見る。


「いや、なんでもない」


 レオンは首を振り、そっと視線をそらした。

 だがその胸の奥では、固い誓いが静かに燃えていた。


 朔弥を鍛え、この世界の戦士にする――と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ