第10話:境界の部屋
城の奥へ進むほど、霧の色が濃くなっていく。
壁に沿って流れていた霧は、いつの間にか天井から降り注ぐように落ちていた。
優斗が足を止め天井を見上げると、朔弥は肩をすくめ霧を手で払った。
「……なんだよ、これ……雨みたいに降ってきてるじゃねぇか……」
「霧って上から降るもんだっけ……? 気持ち悪ぃ……」
美咲は胸元で杖を握りしめ、震える声で言う。
「……濁りが……すごく濃い……ここ……源が近い……」
レオンは静かに頷き、前方を見据えた。
「この階層の中心に向かっている。気を抜くな」
その時、通路の先が急に開けた。
天井は高く、闇の奥から霧が絶え間なく落ちてくる。
床には朽ちた赤い絨毯、壁には壊れた燭台と倒れた甲冑。
かつて城だった名残が、霧の中にぼんやりと浮かんでいた。
優斗がその光景に息を呑む。
「……広いな……ここ……」
その瞬間──
ガシャッ……ガシャッ……ガシャッ……
金属を引きずるような音が霧の奥から響き、朔弥が顔をしかめる。
「……嫌な音だな……」
霧の中から、鎧の影がゆっくりと立ち上がった。
輪郭が揺らぎ、剣を引きずりながら四人へ向かってくる。
美咲は震える声で呟いた。
「……騎士……みたい……でも……人じゃない……」
レオンが聖剣を構えると、優斗も前へ踏み込み、刀を構えた。
「警戒しろ! 来るぞ!」
「おう! 行くぞ──!」
騎士の影が一斉に襲いかかってくる。
ガキィィン!!
優斗が騎士の剣を受け止めると火花が散った。
「っ……重っ……!」
優斗の横に回り込んだ朔弥が魔法を放つ。
「《火弾》! 連射──!!」
バンッ! バンバンバンッ!!
火弾が霧を裂き、騎士の影を吹き飛ばした。
次の瞬間、美咲は震える息を整え杖を構え、
「……っ、いくよ……! 《聖なる矢》──!!」
純白の光が矢となり、霧を貫いて騎士の胸部へ突き刺さる。
濁影の鎧が大きく揺らぎ、黒い濁りが一気に剥がれ落ちた。
レオンはその隙を逃さず斬り込む。
「──はっ!」
ザシュ!
影が霧となって崩れ落ちた。
だが──
霧が床に触れた瞬間、亡霊のような影が複数体ゆらりと立ち上がった。
朔弥が叫び、美咲が震えた声で言う。
「おいおいおい……連戦かよ……!」
「……気配が……まだ消えてない……!」
レオンが辺りを見渡し冷静に告げると、優斗が剣を構え直す。
「落ち着け。数は多いが、質は先ほどより低い」
「だったらまとめて倒すだけだ!」
そして、影が一斉に襲いかかってきた。
それを優斗が斬り伏せ、朔弥の火弾が霧を裂き、美咲が杖を掲げて応戦する。
「……っ、もう一度……! 《聖なる矢》──!!」
シュバッ! シュバッ!
光の矢が連続で放たれ、亡霊の影を貫くたびに濁りが弾け飛ぶ。
最後の一体の胸部に光矢が突き刺さり、影が悲鳴もなく霧へと溶けていった。
レオンが聖剣を下ろし静かに告げると、美咲は胸元を押さえほっと息を吐いた。
「……見事だ、美咲。今のが決め手になったな」
「……よかった……ちゃんと……届いた……」
最後の亡霊が霧へと溶け落ちた瞬間、大広間の空気が変わった。
さっきまで天井から降り注いでいた霧が、まるで糸が切れたように動きを止める。
ふわり、と。
霧が宙に浮いたまま、静止したように見えた。
優斗が息を吐き、刀を下ろす。
「……終わった……のか……?」
朔弥は肩で息をしながら、周囲を見回して眉をひそめる。
「……なんだよ、この静けさ……さっきまであんなに騒がしかったのに……」
美咲は胸元を押さえ、震えるように小さく息を吸った。
「……霧の……気配が……消えてる……でも……それが逆に……怖い……」
霧は薄い。
薄いのに、重い。
重いのに、動かない。
まるで大広間そのものが息を潜め、四人を観察しているような静けさだった。
レオンは聖剣を軽く払ってから、静かに言葉を落とす。
「……気を抜くな。静寂というのは……時に、騒音より不気味だ」
その声すら、大広間の闇に吸い込まれていく。
「……なんか……変だよな。戦いが終わったって感じじゃねぇ……次が来る気配もねぇ……」
優斗の言葉に朔弥が苦笑しながらも、どこか怯えたように言う。
「いや、むしろ……来ないってのが一番怖ぇんだよ……ダンジョンって、普通こういう静けさ作らねぇだろ……?」
美咲は杖を握りしめたまま、大広間の奥を見つめる。
「……濁りが……一度……引いてる……でも……完全に消えたわけじゃない……奥に……まだ……何かが……」
レオンはその言葉に頷き、静かに歩き出した。
「……行こう。この静寂は……次の段階への合図だ」
四人はゆっくりと歩き出す。
足音が、やけに響く。
霧のない空間を歩いているような錯覚すらあった。
大広間の奥へ進むほど、静寂は深く、濃く、重くなっていく。
まるで──
世界そのものが、四人の侵入を待っている。
静寂の大広間を抜け、四人は奥へと進んだ。
暫く進むと、崩れた柱の影にひっそりと宝箱が置かれていた。
古びた木箱。
金属の縁は錆び、鍵穴は黒く歪んでいる。
優斗がその箱に目を輝かせると、朔弥は肩をすくめ霧を払いながら近づいていく。
「……お、宝箱じゃん。やっと運が向いてきたか……?」
「こんな場所にポツンとあるとか……逆に怪しいけどな……」
美咲は胸元を押さえ、宝箱をじっと見つめた。
「気配は……ある……でも、魔物の気配じゃない?……ちょっとよく分からないかな……」
優斗が手を伸ばそうとした瞬間、レオンがその腕を掴んだ。
「やめておけ」
「え、なんで──」
レオンは宝箱を見据えたまま言った。
「それは……ミミックだ」
その言葉と同時に──
ガバァッ!!
宝箱の蓋が跳ね上がり、歯がむき出しになった。
朔弥が悲鳴を上げる。
「うわああああああああ!! やっぱりかよ!!」
ミミックが跳ね上がり、優斗へ噛みつこうと迫る。
優斗が咄嗟に刀を振り下ろし、朔弥の火弾が横から飛び、美咲の聖なる矢が霧を貫いて突き刺さる。
レオンが最後に一閃を加え、ミミックは霧のように崩れ落ちた。
優斗が胸を押さえ、大きく息を吐き、朔弥が肩を落とす。
「……心臓に悪ぃ……宝箱見るたび疑うようになるわ……」
「俺もう……宝箱恐怖症になる……」
美咲は胸元を押さえ、ほっと息をついた。
「……でも……無事でよかった……」
レオンは静かに聖剣を収めた。
「不用意に触れるな。ダンジョンでは……宝箱にも用心が必要だ」
霧が静かに流れ、ミミックの残滓を飲み込んでいく。
そして四人は更に奥へと進んだ。
通路はどれも霧で満ちている。
壁の隙間からも、床の割れ目からも、絶えず霧が滲み出ていた。
だが──
その中に、ひとつだけ異質な扉があった。
朔弥が眉をひそめる。
「……なんだ、この部屋……霧が……流れ込んでねぇ……?」
優斗が扉に手をかけ、ゆっくりと押し開ける。
ギィ……ッ
扉の向こうは──
霧が一切ない空間だった。
美咲が驚いたように息を呑む。
「……空気が……軽い……ここだけ……普通の世界みたい……」
部屋は広く、家具は朽ちているが形は残っている。
古いベッド、壊れた机、壁には色褪せた絵画。
暖炉があり、薪を入れれば火がつきそうだった。
優斗が部屋の中央に立ち、深く息を吸う。
「……ほんとだ……霧の匂いがしねぇ……ここだけ別世界みたいだ……」
朔弥が天井を見上げる。
「魔物の気配もねぇ……なんだよここ……安全地帯か……?」
レオンは部屋の空気を確かめるように歩き、静かに言った。
「……セーフエリアだな。魔物同士の縄張り争いの結果、こういう緩衝地帯が出来るという説もある。まぁ、本当の理由は誰にも分からないが……」
美咲は胸元を押さえ、ほっとしたように微笑んだ。
「……ここなら……休める……ちゃんと……息ができる……」
優斗が床に大の字に寝転がって言うと、朔弥も床に座り込み天井を見上げて笑った。
「はぁー助かる……ほんとに……ここで一回、体勢立て直そうぜ」
「俺もう……ここに住みてぇ……」
レオンは暖炉にストレージから出した薪を入れ、着火で火を灯しながら静かに言った。
「休める時に休め」
霧のない静かな部屋に、暖炉の火が柔らかく揺れた。




