第9話:霧の城門
城下町へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
霧は薄い。
だが、薄いのに──重い。
肌にまとわりつくような冷たさがあった。
霧の向こうに、建物の影がぼんやりと浮かんできた。
それを見た優斗が足を止め、低く呟いた。
「……ここ、街……みたいに見えるけど……」
朔弥は崩れた建物を見上げ、霧を払うようにして言った。
「確かに街っぽいけど……」
「本物の街ではない。ここにあるのは……模造だ」
レオンは2人の言葉に静かに首を振った。
美咲は胸元を押さえ、霧の奥をじっと見つめた。
「……でも……人の気配が……残ってる……生きてる感じじゃなくて……もっと……薄い……」
「それは残滓だ。瘴気に混じった、かつての気配だろう」
レオンが霧の流れを見ながら美咲の言葉に答えた。
四人は自然と距離を詰める。
霧の中で、足音が吸い込まれていく。
カサ……カサ……
その時、霧の奥で何かが動いた。
優斗が反射的に刀を構える。
「……来るか」
白い靄の向こうから、ゆっくりと人影が現れた。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ──
数えきれないほど。
それを見た朔弥が顔をしかめ、美咲が震える声で言葉を続ける。
「……人……じゃねぇよな……これ……」
「……濁りに……侵されてる……」
影は、かつて人の形を模したもの。
濁りに染まり、輪郭だけを残した変異体。
ゆっくりと、だが確実に四人へ向かってくる。
レオンが聖剣を抜き短く言葉を告げ、優斗が前に出る。
「構えろ。数が多い」
「任せろ……!」
その刹那――
集まってきた変異体が一斉に襲いかかってきた。
優斗は踏み込み、腕の軌道を見切ってすり抜け──
ザシュッ!
一体を斬り伏せた。
すぐ横で朔弥が魔法を放つ。
「《雷光》──!!」
バチチチッ──
放たれた雷が霧に触れた瞬間──
バシュウゥ……ッ
光が霧に吸われるように散った。
「……はぁ!? 霧が邪魔すぎる……! 火でいくしかねぇ!!」
朔弥は即座に属性を切り替え、前へ踏み込みながら叫ぶ。
「《火弾》! 連射──!!」
バンッ! バンバンバンバンッ!!
赤い軌跡が霧を裂き、五体の変異体をまとめて吹き飛ばした。
美咲は杖を握りしめ、一歩前へ出る。
「《浄化》──!!」
杖先から白い光が弾け、霧の中へふわりと広がっていく。
シュワァァァ……ッ
光が変異体に触れた瞬間、黒い濁りが淡く剥がれ落ち、数体が静かに崩れ落ちた。
レオンは聖剣を振るい、濁りの影を次々と斬り裂く。
「……城に近づくほど、瘴気が濃くなる。気を抜くな」
変異体は倒しても倒しても、霧の奥からゆっくりと現れる。
終わりが見えないような、じわじわとした圧迫感があった。
優斗が息を整えながら言うと、朔弥は肩で息をしながら霧を払って続く。
「……ここ、マジでヤバいな……」
「街ってレベルじゃねぇ……こんなの……ただの墓場だろ……」
美咲は霧の奥を見つめ、小さく震えた声で言った。
「……この先に……何があるの……?」
「行けば分かる。だが──覚悟しておけ」
レオンは周囲の霧の流れを見ながら静かに答えた。
そして四人は息を整え、再び歩き出す。
霧は相変わらず薄いのに、足元の影が妙に濃く見える。
建物の残骸は増え、道はゆるやかに上り坂になっていく。
ある境を超えた瞬間、霧の密度が変わった。
さっきまで流れていた霧が、まるで壁にぶつかったように動きを止めている。
その変化に優斗が眉をひそめ、朔弥も辺りを見渡した。
「……なんか、空気が変わったな……」
「ここだけ……霧が止まってる……?」
2人の言葉にレオンは静かに頷いた。
「瘴気の流れが乱れている。この先に……何かがある」
霧の向こうで、黒い巨大な影がゆっくりと輪郭を帯びていく。
一歩、また一歩と進むたび、その影は壁のように大きくなっていった。
やがて──
霧が薄れ、石の壁が姿を現した。
その巨大な石の壁を見た優斗が思わず息を呑む。
「……でっっか……」
高さはビル数階分。
黒い石で作られた巨大な門が、霧の中にそびえ立っていた。
表面には無数のひび割れ。
古い紋章のような模様が刻まれているが、半分以上は摩耗していて見えない。
門の前の広場だけ、霧が一切流れ込んでこない。
まるで何かが霧を拒んでいるようだった。
美咲が小さく息を呑み言葉を漏らすと、朔弥が肩をすくめて言い返した。
「……門の向こう……すごく……重い……誰かの……視線みたいな……」
「やめろよ……そういうの……絶対なんか出るじゃん……」
レオンが門を見上げながら言うと、朔弥が慌てて振り返った。
「こういう場所には、大抵門番がいるのだが……」
「おい、余計なフラグ立てんなよ……!」
「……ふらぐ、とは何だ?」
「そこからかよ!!」
朔弥の言葉にレオンは首を傾げ、その言葉に反応した優斗は頭を抱えた。
3人のやり取りに美咲は苦笑しながら杖を握りしめる。
「みんな、大きな声出さないで……ほんとに……何か来ちゃう……」
その瞬間──
ゴゴゴゴゴゴゴッ……!
と地面が低く震えた。
霧が門の前で渦を巻き、黒い影がゆっくりと形を成し始める。
優斗が息を呑む。
「……来るぞ」
朔弥が叫び、美咲が震えた声でつぶやく。
「ほらぁぁぁ!! 言った通りじゃん!!」
「……っ、やっぱり……!」
レオンは静かに聖剣を構える。
「……門番だ」
影が形を成し、鎧をまとった巨体が立ち上がった。
目は光らず、声も発さない。
ただ侵入者を排除するためだけに存在する影──濁影ガード。
濁影ガードを見た朔弥が顔をしかめる。
「見ろよー、レオンがフラグなんか立てるからー……」
「良く分からんが、構えろ。……来るぞ」
次の瞬間、濁影ガードが地面を踏み鳴らし、一直線に優斗へ突っ込んできた。
ドンッ!!
「うおっ──!?」
優斗は咄嗟に刀を構え、その一撃をギリギリで受け止めたが、腕が痺れるほどの衝撃を感じた。
ガギィィィン!!
「くっそおもてぇ──!!」
濁影ガードはさらに霧を吸い込み、鎧の隙間から瘴気を噴き出した。
ボシュウゥゥゥ……!
朔弥が魔力を込めて叫ぶ。
「《雷光》──!!」
バチチチッ!
しかし雷は霧に触れた瞬間──
バシュウゥ……ッ
と光が散った。
「ちょっ……もー、霧が邪魔すぎる……!」
「《浄化》──!」
美咲が震える息を整え杖を掲げると、白い光が霧に溶け、濁影ガードの鎧に触れた瞬間、黒い濁りがわずかに剥がれ落ちる。
レオンがその僅かな隙を見極めて告げると、優斗は息を荒げながら刀を構え直した。
「……胸部の霧の奥。そこが影核だ!」
「核ね……! なら、そこをぶっ叩けばいいってことだろ!」
濁影ガードは再び霧を吸い込み、鎧の隙間からさらに濃い瘴気を噴き出す。
ボシュウゥゥゥ……!
朔弥が瘴気に顔をしかめる。
「うわ、また濁り増えてるし……! これ以上やられたら、こっちが先にやられるって!」
美咲は震える手で杖を握りしめ、仲間の背中を見つめた。
白い光が美咲の足元から立ち上がる。
「みんな、わたしが強化する! 《聖励》──!」
ふわりと温かい光が四人を包み、身体の芯が軽くなるような感覚が広がった。
優斗と朔弥は驚きの声を上げ、レオンは美咲に礼を言う。
「……っ、すげぇ……! 身体が動く……!」
「おおお、魔力の流れが全然違ぇ……!」
「助かる、美咲。一気に攻めるぞ」
その時、濁影ガードが大斧を構え、ゆっくりと腕を引いた。
ギギ……ギギギ……
優斗が一歩前に出ると、レオンもその横に並んだ。
「レオン、行くぞ」
「合わせる」
濁影ガードが大斧を振り下ろすと、優斗はその斬撃を真正面から受け──
「──《霞流し》ッ!!」
斧の軌道を霞のように受け流し、力の流れを横へ逸らす。
ドォォォン!!
地面が砕け衝撃が霧を吹き飛ばすが、濁影ガードの巨体がわずかに傾いた。
その隙を逃すまいと、レオンが叫ぶ。
「今だ、優斗!!」
「行く──!! 《風切り》ッ!!」
受け流した勢いをそのまま横一文字の斬撃へ転化し、濁影ガードの胸部──
核へ叩き込む。
ガァァン!!
鎧が大きく揺れ、濁りが一瞬だけ薄くなった。
「よっしゃ、今だろ!! 《火槍》──!!」
朔弥が魔法を放つと炎の槍が一直線に飛び、優斗の斬撃で露出した濁りへ突き刺さる。
ボシュッ!!
その衝撃に濁影ガードが大きくよろめいた。
レオンが正面に回り込み聖剣を構え、光を刃へ圧縮していく。
「……終わりだ。 《光刃閃撃》──!!」
閃光が走り、濁影ガードの胸部を貫いた。
一瞬の静寂。
次の瞬間──
濁影ガードの身体が霧となって崩れ落ちた。
シュウゥゥゥ……
優斗が拳を握りしめ、朔弥がへたり込みそうになりながら笑った。
「……っしゃあああああ!!」
「ふぅぅ……マジで死ぬかと思った……!」
美咲は胸元を押さえ、安堵の息を漏らした。
「みんな……無事で……よかった……」
レオンは聖剣を収め、ゆっくりと門を見上げる。
ゴゴゴゴゴ……
巨大な門が、ゆっくりと開き始めた。
四人が門をくぐると、外の霧とはまったく違う重さが空気に満ちていた。
ひんやりとした冷気が肌を撫で、足音が吸い込まれるように消えていく。
優斗が小さく息を吐くと、朔弥は肩をすくめ周囲を見回しながら呟いた。
「……なんだ、この空気……外より重い……」
「霧っていうより……闇が混ざってる感じだな……光が吸われてるみたいで……気味悪ぃ……」
美咲は胸元で杖を握りしめ、震えを抑えるように一歩踏み出す。
「……ここ……普通の空間じゃない……瘴気だけじゃなくて……もっと別の……何かが……」
レオンは静かに頷き、城内の奥へ視線を向けた。
「虚界に近い。この階層そのものが……歪んでいる」
通路は広いのに、どこか狭く感じる。
壁は黒い石でできているが、触れれば冷たさではなくざらついた気配が返ってきそうだった。
優斗が眉をひそめて言うと、朔弥がその言葉に苦笑する。
「……音がしねぇな。自分の呼吸しか聞こえねぇ……」
「やめろよ……そういうの言うと余計怖ぇだろ……」
美咲は足を止め、奥へ続く闇を見つめた。
「……この先に……何かいる……門番とは……比べものにならない……」
「おそらく……この階層の主だ。気配が……濃すぎる」
レオンは静かに聖剣の柄へ手を添える。
優斗は深く息を吸い、仲間たちを見回した。
「……行こう。ここまで来たんだ。止まる理由なんてねぇだろ」
朔弥が喉を鳴らしながらもしっかりと前へ踏み出し、美咲も小さく頷いて杖を握り直した。
「……だな。ビビってても仕方ねぇし……行くか」
「……うん。みんなと一緒なら……大丈夫……」
レオンは三人の背中を見て、静かに歩き出す。
「進むぞ。この奥が……二十階層の核心だ」
四人の足音が、闇と霧の混ざる城内へ吸い込まれていく。




