第8話:霧の奥に立つもの
―20階層:濁影の城―
19階層〈濁りの静域〉を抜け、長い石段をゆっくりと下りきった瞬間──
空気が変わった。
霧はある。
だが、19階層の息を潜めた静止とは違う。
もっと……冷たい。
もっと……乾いている。
まるで、空気そのものが死んでいるようだった。
優斗が足を止め、周囲を見渡す。
「……ここが、20階層……なんだよな?」
朔弥は霧を手で払うようにしながら眉をひそめた。
「うん……でもさ……19階層より静かじゃない? あそこは止まってる感じだったけど……ここは……空っぽっていうか……」
美咲は胸元で杖を握りしめ、そっと光膜を展開する。
「……空気が冷たい……19階層の静けさとは……違う……」
レオンは一歩前に出て、霧の流れを観察した。
「……霧が動かないのは同じだが……ここは気配そのものが希薄だ。まるで……何かに吸われているようだ」
四人は自然と互いの距離を詰めた。
19階層の静止とは別種の不気味さがあった。
レオンは3人を見渡しながら話しかけると、優斗がほっと息をついた。
「ここで休息をとる。この静けさなら……魔物は寄ってこない」
「助かる……さっきの階層、歩くだけで精神削られたしな……」
朔弥はその場に座り込み背中を壁に預けて伸びをし、美咲も光膜を弱めながら腰を下ろす。
「はぁぁ……生き返る……てか、19階層より静かってどういうこと……?」
「……うん……逆に怖い……霧が……止まってるのに……冷たい……」
優斗は水筒を受け取りながら呟く。
「あそこは息を潜めてる感じだったけど……ここは……何もいないみたいだな……」
レオンは周囲を見渡しながら言う。
「霧の質が違う。瘴気の流れが完全に断たれている。これは……異常だ……ダンジョンによっては、霧そのものが罠になっていることもある」
朔弥が苦笑すると美咲も小さく笑い、それでも不安げに霧を見つめた。
「レオンが異常って言うと、マジでヤバいやつじゃん……」
「……でも、今は……休もう。みんな……疲れてるから……」
霧は薄く、静かで、まるで時間が止まったようだった。
優斗が天井を見上げたままぽつりと呟くと、朔弥がすぐに食いついた。
「……なんかさ。ここに来るまで、いろいろあったよな」
「だよなー。12階層の峡谷とかさ……俺、マジで死ぬかと思ったし」
美咲が小さく笑うと、優斗は軽く肩をすくめ、呆れたように言った。
「……朔弥くん、足滑らせて……優斗くんに引っ張られてたよね」
「いや、あれは朔弥が勝手に滑っただけだって……!」
朔弥は肩をすくめる。
「だって霧で足元見えなかったんだもん。てか、13階層の湿原の方がヤバかったよ。優斗、腰まで泥に沈んでたじゃん」
美咲が頷く。
「……聖浄歩護がなかったら……抜けられなかったよね」
優斗は耳まで赤くしながら水を飲む。
「……あれは……泥が悪い」
レオンが優斗の勇姿を思い出し静かに笑うと、優斗は少し照れたように鼻を鳴らした。
「14階層の断崖も危険だったな。飛びかかり魔物を空中で斬った優斗は見事だった」
「……あれは、たまたまだよ」
そこへ、朔弥が茶々を入れると、美咲がくすっと笑った。
「いやいや、あれはカッコよかったって。俺なんて落ちたら死ぬって連呼してたし」
「……朔弥くん、あの時ずっと震えてたよね……」
「言うなぁ……!」
レオンが表情を引き締めると、美咲は胸元を押さえる。
「15階層の祭壇……あれは試練だった。濁影司祭の呪詛は……危険だった」
「……聖励が間に合ってよかった……」
優斗が美咲を見て言葉を落とすと、朔弥も頷いた。
「美咲がいなかったら……危なかったな」
「マジで。あの司祭、声だけで精神削ってくるんだもん」
レオンは続けた。
「16階層の洞窟……音を模倣する魔物……あれも厄介だった」
朔弥があの時を思い出し苦笑すると、美咲が肩を震わせて笑っていた。
「俺の声で『助けてー』とか言うのやめてほしいよな……全員そっち向いたし」
「……でも、レオンくんだけは……本物の声を聞き分けてた」
レオンは淡々と答える。
「音の揺らぎが違っただけだ」
優斗が続ける。
「17階層の林道も地味にキツかったな……枝に触れたら瘴気が散るとか……罠すぎる」
美咲が思い出したように言うと、優斗は照れ隠しのように頭をかいた。
「優斗くん……あの時、危なかったよね……」
「助かったよ……あれは」
朔弥が指を立てる。
「18階層の湖も忘れんなよ。俺の”火球”が湖面で爆ぜて道作ったやつ!」
優斗が笑いながら返すと、美咲も頷いていた。
「いや、あれは普通にすごかったわ」
「……朔弥くんの魔法、あの階層では本当に頼りになった」
レオンは最後に、19階層を思い返すように目を細めた。
「……19階層。魔物がいないのに……あれほど不気味な場所はなかった」
美咲が小さく震え、朔弥も真顔になる。
「……歩くだけで……胸が苦しくなった……」
「音が……全部消えてたよな……」
優斗は低く言う。
「……あそこは……何かが潜んでる感じがした」
レオンは静かに頷いた。
「……あの階層の奥に……何かがいた。気配は……確かに感じた」
霧の静寂が、思い出話の余韻を包み込む。
休憩を終え、四人は立ち上がる。
20階層は──静かすぎた。
霧は薄い。
だが、薄いのに冷たい。
空気の奥に、何かが沈んでいるような気配だけが残っている。
レオンが前に出る。
「……さぁ、行こう」
四人が歩き出した瞬間──
霧が、揺れた。
止まっていた白い靄が震え、ゆっくりと流れ始める。
朔弥が小さく息を呑む。
「……今、動いた……?」
美咲が霧を見つめながら呟くと、優斗は前をにらみながら低く言った。
「……霧が……流れてる……?」
「いや……違う。霧が……押しのけられてる……?」
レオンの目が細くなる。
「……見えるぞ」
霧が左右に割れた。
まるで、巨大な何かが奥から押し出してくるように。
白い靄が流れ、影が形を帯びていく。
塔。
壁。
崩れた装飾。
巨大な門。
そして──
霧の海の向こうに、城が立っていた。
朔弥が呆然とつぶやくと、美咲も震える声で言った。
「……なんだよ……あの大きさ……」
「……空に届きそう……こんなの……想像してなかった……」
優斗は息を呑み、目を見開く。
「……これが……20階層……」
レオンはしばらく黙ったまま城を見上げ、低く言った。
「……この城に階層主が居そうだな。瘴気の源は……間違いなく、あの城にある」
四人は自然と武器を握り直す。
優斗が静かに言うと、朔弥も頷きながら言った。
「……行くしかねぇよな」
「ここまで来たんだし……最後まで行こうぜ」
美咲は胸元を押さえ、小さく微笑む。
「……うん……みんなで……」
レオンが一歩前に出る。
「行こう。この城の奥に……答えがある」
霧の奥にそびえる城へ向かって、
四人はゆっくりと歩き出した。




