第8話:小学校潜入
夜の狭山市。
昼間の喧騒が嘘のように消え、街は異界のような静けさに沈んでいた。
街灯は点いているはずなのに、光は黒い霧に吸い込まれ、ぼんやりと滲むだけ。
視界は常に薄い膜をかけられたように霞み、遠くの建物の輪郭すら曖昧だった。
風が吹くたび、霧がゆっくりと揺れ、まるで何かが潜んでいるように見える。
その静寂を破るように――
ガアアアアア!!
獣とも人ともつかない咆哮が、夜の街を震わせた。
朔弥は思わず肩を震わせ、背筋を冷たいものが走る。
「……こわっ……」
声に出した瞬間、自分の震えが余計に際立つ。
レオンは横を走りながら、夜気の中でも揺らがない声で言った。
「怖くて当然だ。君は戦士じゃない。
それでも来てくれた……感謝している」
その言葉は、夜の冷たさとは対照的に温かかった。
「……レオンを一人で行かせる方が……もっと怖いよ」
震えを含みながらも真っ直ぐな言葉。
朔弥自身も驚くほど素直で、飾り気がない。
夜の冷たい空気の中で、その一言だけが温かく響いた。
レオンは一瞬だけ目を見開き、そして静かに微笑んだ。
「……ありがとう」
その微笑みは勇者としてではなく仲間としてのものだった。
黒い霧の中を、二人は走り続ける。
足音だけが夜の街に小さく響き、霧の中で吸い込まれていく。
やがて――
暗闇の中に、大きな建物の輪郭が浮かび上がった。
狭山市立上所小学校。
昼間なら子どもたちの笑い声が響く場所。
だが今は黒い霧に包まれ、まるで別世界の遺跡のように沈黙していた。
「……ここ……本当に……俺の知ってる小学校……?」
胸の奥がじわりと締め付けられる。
懐かしさと恐怖が混ざり合い、喉がひりついた。
「大丈夫か? 油断しないようにな」
レオンの声は落ち着いていたが、緊張がわずかに滲んでいた。
二人は闇に沈む小学校へと足を踏み入れた。
校門は半開き。
フェンスには布切れが引っかかり、地面にはランドセルが転がっている。
朔弥の胸が締め付けられた。
「……雫……」
名前を呼んだ瞬間、胸の奥がぎゅっと痛む。
「魔物の気配がする。気を抜くな」
レオンの視線は常に動き、闇の揺れを一つ残らず警戒していた。
黒い霧が足元を這い、まるで何かが触れてくるような錯覚を覚える。
割れたガラスが風に揺れてカタカタと鳴り、その音だけで心臓が跳ねた。
(……雫……本当に……この中に……?)
恐怖と焦りが絡み合い、足が重くなる。
「大丈夫だ。俺がいる」
レオンの声が、霧に覆われた世界の中で唯一の現実だった。
朔弥は小さく息を吸い、震える足に力を込める。
だが、校舎の入口が視界に入った瞬間――
胸の奥が再び強く締めつけられた。
割れたガラス扉。
散乱した机やプリント。
非常灯の薄明かりに揺れる影。
そこは、朔弥が知っている学校ではなかった。
「……怖っわ……でも……行かなきゃ……」
声に出した途端、喉がひりついた。
「無理に強がらなくていい。
それでも前に進もうとしている
……君は強い」
レオンの言葉は、朔弥の震えを否定せず、受け止めてくれた。
体育館は校舎の奥。
長い廊下をまっすぐ進む必要がある。
非常灯の明かりは弱く、奥へ行くほど闇が濃くなる。
その闇は、飲み込もうと口を開けているかのようだった。
二人が歩き出したその時――
廊下の空気が、わずかに震えた。
カツ……カツ……カツ……
乾いた音が、静まり返った校舎に不気味なほど鮮明に響く。
「な、なに……?」
朔弥の声はかすれ、膝がわずかに揺れた。
レオンは即座に聖剣を構え、音のする方向へ鋭く視線を向ける。
廊下の奥――
非常灯の薄明かりが、ゆらりと揺れる影を照らし出す。
最初は黒い塊。
だが、霧のような闇が剥がれ落ちるようにして輪郭が浮かび上がる。
四つ足。
低い姿勢。
赤い瞳。
狼型の魔物――シャドウウルフ。
「レオン……あれ……強い……?」
「ゴブリンよりは強い。だが……倒せない相手ではない」
レオンが踏み出そうとした瞬間――
シャドウウルフの赤い瞳が、朔弥をまっすぐに捉えた。
(……え……俺……?)
次の瞬間、黒い影が床を蹴った。
ガッ――!!
シャドウウルフは一直線に朔弥へ跳びかかった。
「うわああああ!!」
叫んだ瞬間、朔弥の胸の奥で何かが弾けた。
熱が全身へ駆け上がり、身体が勝手に動く。
「《火球》!!」
ボッ!!
火球が一直線に走り、シャドウウルフの顔面に直撃した。
「ギャウッ!!」
魔物は壁に激突し、黒い霧となって散った。
朔弥は自分の手を見つめる。まだ熱が残っている。
「朔弥……今の狙って撃ったのか?」
「わかんない。でも、身体が勝手に……!」
レオンが何かを言いかけたその時――
シャドウウルフが再び立ち上がった。
「今度は俺がやる。朔弥、下がれ!」
レオンが踏み込み、光を纏う。
「《光刃》!!」
白い閃光が走り、斬撃が触れた瞬間、シャドウウルフの輪郭が歪み、黒い霧となって四散した。
焦げた匂いが廊下に広がり、静寂が戻る。
その静けさの中で、朔弥の荒い呼吸だけが響いていた。
胸が上下し、喉がひゅっと鳴る。
遅れて恐怖が全身を震わせる。
レオンは振り返り、朔弥を見つめた。
その瞳には、戦士の冷静さと仲間を気遣う温度が同時に宿っていた




