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第7話:家族の叫び、夜の決意

 レオンの涙が乾き、ようやくリビングに静けさが戻った頃だった。

 その静寂を――

 玄関の激しいノック音が破った。


 ドンドンドンッ!!


「朔弥くん!! 美咲!! いるの!? お願い、開けて!!」


 美咲がビクッと肩を震わせた。

 その声は、彼女が幼い頃から聞き慣れた母の声だったが、今は恐怖と焦りで震えていた。


「……お母さんの声……!」


 朔弥達が玄関へ向かう。

 扉が開くより早く、美咲の母が飛び込んできた。


「美咲!! 無事なの!? 怪我は!? どこも痛くない!?」


 美咲の母は娘を抱きしめ、涙をこぼしながら何度も確かめる。

 その後ろから、美咲の父が息を切らして入ってきた。


「美咲……! よかった……本当に……!」


 普段は落ち着いたイケオジの父も、今は完全に取り乱していた。

 娘を失うかもしれなかった恐怖が、まだ声に残っている。


「お父さん……お母さん……大丈夫……

 みんなが守ってくれたの……」


 美咲がそう言った瞬間、母は娘を抱きしめたまま、

 朔弥たちへ深く頭を下げた。

 涙で濡れた頬のまま、必死に礼を述べるその姿は、親としての安堵と恐怖が入り混じっていた。


「本当に……ありがとう……! あなたたちがいなかったら……!」


 その言葉は震えていて、胸の奥から絞り出すような声だった。

 娘を失うかもしれなかった恐怖が、まだ母の背中を強張らせている。


 朔弥は照れたように、しかしどこか落ち着かない様子で首を振った。


「い、いえ……俺たちも必死で……」


 言葉は控えめだが、頬がわずかに赤い。

 自分が誰かを守ったという実感が、まだ朔弥の中で形になりきっていない。


 レオンは、その光景を少し離れた場所から静かに見つめていた。

 家族が抱き合う姿。

 泣きながら安堵する親。

 守られた子どもたち。

 そのすべてが、レオンにはどこか眩しく映った。

 胸の奥が、ほんの少しだけ温かくなる。

 それは戦場では決して感じられなかった種類の温度だった。


(……家族……やっぱり……いいものだな……)


 その思いは、懐かしさにも似ていた。

 けれど同時に、胸の奥に小さな痛みが走る。

 思い出せない誰かの影が、ふと揺れたような気がした。


 レオンはその痛みを押し込めるように、そっと視線を落とした。

 この温かい空間に、自分が立っていることが――

 どこか不思議で、どこか切なかった。


 その温もりに触れた瞬間――

 再び玄関が勢いよく開いた。

 まるで家そのものが悲鳴を上げたような音だった。


「優斗!!」


 無口な父が、普段では考えられないほど大きな声を張り上げた。

 その声には、恐怖と安堵が入り混じり、震えが滲んでいる。

 父は優斗の肩を掴み、まるで生きている証を確かめるように強く握りしめた。


「無事か……! お前が……お前が死んだら……!」


 普段は寡黙で、感情を表に出さない父の顔が歪んでいた。

 目の奥には、張り詰めていた恐怖がまだ残っている。

 その後ろから、豪快な母が泣きながら抱きついた。


「優斗ぉぉぉ!! よかったぁぁぁ!!」

「ちょ、母さん落ち着けって!! 苦しいってば!!」


 優斗は顔を真っ赤にしながらも、どこか安心したように笑った。

 両親の腕の中で、ようやく家に帰ってきたという実感が湧いたのだろう。


 だが――

 その安堵は長く続かなかった。

 優斗はふと、周囲を見渡しながら呟いた。


「……あれ? 姉ちゃんは? 姉ちゃんはどこにいるんだよ?」


 その瞬間、母の表情が曇った。

 さっきまで泣きながら抱きしめていた母の腕が、わずかに震える。


「……あの子は……

 大学近くのモールに避難してるって……さっき連絡があったのよ」

「モールに……?」


 優斗が眉をひそめる。

 その顔には、安堵と不安が入り混じった複雑な影が落ちていた。


「落ち着いたら帰るって言ってたけど……今は電話も繋がらないの……」


 母の声は、今にも泣き出しそうなほど弱々しかった。

 優斗は拳を握りしめ、唇を噛む。


「……そっか……姉ちゃん……無事なんだよな……?」


 父は静かに頷いた。

 その頷きには、父親としての信頼と祈りが同時に込められていた。


「あいつは……強い。大丈夫だ」


 その言葉は、優斗を安心させるためのものでもあり、自分自身に言い聞かせるためのものでもあった。


 だが――

 家族全員が揃っていないという現実が、優斗の胸に重くのしかかる。

 その重さは、家の温かさとは対照的に、冷たい影のように心に沈んでいった。


 レオンはその様子を静かに見つめていた。

 家族の温もりと、家族を失うかもしれない恐怖。

 その両方が、この小さなリビングに渦巻いている。


(……家族を想う気持ち……こんなにも強いのか……)


 胸の奥が、また少しだけ痛んだ。

 思い出せない誰かの影が、ふと揺れた気がした。


 その時――

 美咲の父がふと顔を曇らせた。

 さっきまで安堵で緩んでいた表情が、ゆっくりと、しかし確実に緊張へと変わっていく。

 その変化に、美咲は無意識に息を呑んだ。


「……美咲。(しずく)が……まだ帰ってきていないんだ」


 その言葉は、静かな部屋に落とされた小石のように、波紋を広げていく。

 美咲の表情が凍りついた。

 頬から血の気が引き、指先が震え始める。


「……え……?」


 声はかすれ、今にも消え入りそうだった。

 母が震える声で続ける。

 その声は、恐怖を押し殺しながら絞り出すような響きだった。


「小学校に電話したけど……

 繋がらなくて……

 先生たちが体育館に避難したって噂はあるけど……確かじゃないの……!」


 美咲の肩が大きく揺れた。

 胸の奥に冷たいものが流れ込み、呼吸が浅くなる。


「いや……いやだ……! あの子……一人で……!」


 美咲の声は震え、涙が今にもこぼれそうだった。

 その姿を見て、優斗の母も青ざめる。


「優斗……小学校の方角……さっき魔物が出たって……!」


 優斗は拳を震わせた。

 怒りでも恐怖でもない、もっと複雑な感情が胸の奥で渦を巻いている。


「……マジかよ……!」


 リビングの空気が、一瞬で張り詰めた。

 温かかったはずの部屋が、急に冷たく感じられる。

 誰もが息を呑み、次の言葉を待つように固まっていた。


 その緊張の中心で――

 レオンが静かに立ち上がった。

 椅子がわずかに軋む音が、やけに大きく響く。


「……俺が行こう」


 その声は低く、しかし揺るぎなかった。

 戦場で何度も死線を越えてきた者だけが持つ、確かな決意。


「レオンくん……?」


 美咲が顔を上げる。

 涙で濡れた瞳が、必死に彼の表情を追う。


 レオンはまっすぐに美咲を見つめ、静かに言った。


「小学校という所だな。妹さんがいる可能性が高い。助けに行く」


 その言葉には一切の迷いがなかった。

 助ける という意思だけが、鋭く、強く、そこにあった。

 レオンの背中から、戦士としての気配が立ち上る。

 その気配は、恐怖ではなく――

 希望のように、部屋の空気を震わせた。


「待って!!」


 美咲がレオンの腕を掴んだ。

 その動きは反射的で、考えるより先に身体が動いたようだった。

 涙で濡れた瞳が、必死に彼を引き留める。

 その瞳には、恐怖と願いと、どうしようもない焦りが混ざっていた。


「レオンくん……あなた一人じゃ……!」


 声は震えていたが、決して弱さだけではなかった。

 行かせたくないという強い想いが、言葉の奥に滲んでいる。


 優斗も勢いよく立ち上がった。

 椅子が床を擦る音が、張りつめた空気をさらに鋭くした。


「俺も行く! 雫は俺たちにとっても大事な妹分だ……放っておけねぇ!!」


 その声は怒鳴り声に近かったが、怒りではない。

 大切な人を守れないかもしれない恐怖が、優斗の胸を締め付けていた。


 美咲も涙を拭いながら言う。

 その手は震えているのに、瞳だけは強く光っていた。


「私も……行く……!」


 だがレオンは、静かに首を振った。

 その仕草は優しさを含んでいるのに、決意は揺るがない。


「駄目だ。君たちは戦えない。魔物が徘徊する街に出るのは危険すぎる」


 その言葉は冷たくはなかった。

 むしろ、三人を守ろうとする強い意志が込められていた。

 だからこそ、拒絶の重みが胸に刺さる。

 二人は食い下がる。


「でも……!」

「行かせてくれよ!!」


 その声は震えていた。

 恐怖ではなく――

 大切な人を守りたいという想いの震え。

 その震えは、レオンにも痛いほど伝わっていた。


 だが、レオンの瞳は揺らがない。

 その静かな光が、二人の言葉を受け止め、そして拒む。

 戦場で何度も死線を越えてきた者だけが持つ、揺るぎない覚悟。

 その覚悟が、リビングの空気をさらに張りつめさせた。


 その時――

 朔弥が立ち上がった。

 椅子の脚がわずかに軋み、その小さな音が張りつめた空気に吸い込まれていく。

 足は震えていた。

 声も震えていた。

 それでも、彼は立ち上がった。


「……二人とも……待って」


 美咲と優斗が振り返る。

 二人の瞳には、焦りと不安と、そして止めてほしいという願いが混ざっていた。

 朔弥は唇を噛みしめ、震える声で言葉を続けた。


「優斗……美咲……お前らは……

 行っちゃ駄目だ」

「朔弥……くん……?」


 美咲の声はかすれていた。

 優斗も拳を握りしめたまま、言葉を失っている。


「俺たちは……普通の中学生だ。戦うなんて……本当は無理なんだよ」


 その言葉は、残酷な現実を突きつけるように静かだった。

 美咲の肩が震え、優斗は悔しそうに歯を食いしばる。

 行きたい気持ちと行けない現実が、胸の奥でぶつかり合っていた。


 だが朔弥は、そこで言葉を止めなかった。


「でも……レオンを一人で行かせるのも……違うと思う」


 レオンが驚いたように朔弥を見る。

 その瞳には、ほんの一瞬だけ揺らぎが走った。

 誰かが自分と並んで立とうとしている――

 その事実が、レオンの胸を震わせた。


「朔弥……?」


 朔弥は拳を握りしめた。

 その手は震えていたが、瞳だけは揺らがなかった。

 恐怖を押し殺すのではなく、恐怖を抱えたまま前に進もうとする強さがそこにあった。


「俺は……どうやら魔法が使える。

 まだよくわかんないけど……

 戦えるのは……俺だけだ」


 その言葉は、朔弥自身に言い聞かせるようでもあり、仲間を守るための覚悟の宣言でもあった。


「朔弥くん……危ないよ……!」


 美咲が震える声で言う。

 その瞳には、恐怖と心配と、そして行かないでほしいという願いが滲んでいた。


 朔弥は微笑んだ。

 怖さを隠すためではなく、覚悟を示すための笑みだった。


「大丈夫。怖いけど……でも……

 行かなきゃいけない気がするんだ」


 その言葉に、優斗は悔しそうに拳を握りしめた。


「くそ……俺だって行きたいのに……!」


 その声は震えていた。

 自分が無力であることが悔しくて、胸が焼けるように痛かった。


 レオンはそっと朔弥の肩に手を置いた。

 その手は温かく、しかし戦士としての重みがあった。

 レオンの瞳には、戦場で仲間を見送る時のような、深い敬意が宿っていた。


「……ありがとう。一緒に来てくれるのか」


 その声は静かだったが、どこか震えていた。

 誰かが自分と共に戦おうとしてくれる――

 その事実が、レオンの胸を強く揺さぶっていた。


 朔弥は静かに頷いた。

 その動きは小さかったが、迷いのない芯があった。

 胸の奥で渦巻いていた恐怖が、ほんの少しだけ形を変え覚悟という名の熱に変わっていく。


「うん。レオンと一緒なら……俺も……怖くない」


 その言葉は、震えながらも真っ直ぐだった。

 自分を奮い立たせるための強がりではない。

 レオンという存在を信じているからこそ言える言葉だった。


 レオンは微笑んだ。

 その笑みは、勇者としての威厳や強さとは違う、もっと柔らかくて、もっと人間らしい温度を帯びていた。


 理由はわからない。

 けれど胸の奥に、誰かを失った時のような痛みだけが、微かに残っている少年に、ようやく隣に立ってくれる誰かが現れた時の、静かな安堵があった。


 胸の奥に、温かいものが広がる。

 それは勇者としての誇りではなく――

 ただの少年としての救いだった。


「行こう。必ず……助ける」


 レオンの声は低く、しかし確かな力を帯びていた。

 その言葉は、決意というより誓いに近かった。

 誰かを守れなかった過去を背負いながら、今度こそ守ると誓う者の声。


 朔弥はその背中を見つめ、胸の奥でまたひとつ、熱が強く脈打つのを感じた。


 恐怖は消えていない。

 むしろ、これから向かう場所を思えば、足がすくむほどの恐怖がある。

 それでも――

 レオンの言葉が、朔弥の背中を押した。

 この人となら前に進める、そんな確信が静かに心に灯っていた。


 玄関を開けると、夜の街にはまだ黒い霧が漂っていた。

 冷たい風が頬を撫で、遠くで魔物の咆哮が響く。

 日常の匂いは消え、街は異世界の戦場のように沈黙していた。


「朔弥くん……レオンくん……気をつけて……!」


 美咲が泣きそうな声で叫ぶ。

 その声は震えていたが、二人を送り出す強さも宿っていた。


「絶対に戻ってこいよ!!」


 優斗も叫ぶ。

 その声には、仲間を信じる気持ちと、どうしようもない悔しさが混ざっていた。


 朔弥は振り返り、小さく手を振った。

 震えはまだ残っている。

 だが――

 前に進むと決めた。


「行ってくる」


 レオンは聖剣を背負い、朔弥と並んで走り出す。

 向かう先は――

 美咲の妹・雫がいるはずの小学校。


 魔物が徘徊する夜の街を、二人は迷いなく駆け抜けていった。

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