表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
109/121

第10話:日常へ戻る音

 夜が完全に明け、病院の廊下には消毒液の匂いと、どこか眠気の残る朝の空気が漂っていた。

 病室の扉が、コン、コン と控えめにノックされる。


「失礼しまーす。朝の検温に来ましたよ」


 看護師さんがカートを押しながら入ってきた。

 柔らかい笑顔と、慣れた手つき。

 この病院の朝の始まりを象徴するような存在だ。


「はい、体温計どうぞ。脇に挟んでくださいね」


 朔弥と優斗に体温計が手渡される。


 その瞬間──

 レオンが、まるで未知の魔道具を発見したかのように体温計を凝視した。


「……これは」


 美咲が嫌な予感を覚える。

 レオンは体温計を指先でつまみ、光にかざしながら真剣な声で言った。


「魔力を測る道具か? 魔力の流れを数値化する……そういう類の──」


「レオンくん、それ体温計!! 魔力は測れないよ!!」


 美咲のツッコミが病室に響いた。

 看護師さんは一瞬驚いたが、すぐに苦笑い。


「ふふ……魔力? は測れませんけど、体温は測れますよ」


 レオンは小さく咳払いし、体温計をそっと元の位置に戻した。


「……そうか。違うのか」


(いや、なんでちょっと悔しそうなの……?)


 美咲は心の中でそっと突っ込んだ。


「では、お二人は追加の検査がありますので、こちらへ」


 看護師さんが優斗と朔弥を促す。


「えっ、まだ検査あるの……?」


 朔弥の顔が一気に青ざめる。


「俺もう元気だって! 走れるし! ジャンプもできるし!」


 優斗はアピールするが、看護師さんはにこやかに首を振る。


「元気でも検査はしますよ〜」


「マジかよ……」


「終わった……」


 二人は肩を落としながら、まるで処刑場に向かう囚人のような足取りで連れていかれた。

 美咲は心配で胸がきゅっとなる。

 でも──


(……なんか、ちょっとだけ……可愛い)


 そんな気持ちも混ざっていた。


 レオンはというと、去っていく二人の背中を見ながら真剣に呟いた。


「……検査とは、戦士の耐久試験のようなものか?」


「違うよ!!」


 美咲のツッコミが、今日二度目の朝を明るくした。


 追加検査を終えた朔弥と優斗が戻ってきたのは、ちょうど病院の朝が少しずつ慌ただしくなり始める時間だった。


「……俺もう今日一日分の寿命使った気がする……」


 朔弥は魂が抜けたような顔でベッドに倒れ込む。


「俺もう絶対健康だわ。検査で証明された」


 優斗は胸を張るが、腕には採血の絆創膏が貼られている。

 美咲は思わず笑ってしまった。


(……ほんと、元気だなぁ……)


 そんな中、看護師さんが再び顔を出した。


「では、診察室に移動しましょう。先生がお待ちです」


 四人はぞろぞろと診察室へ向かった。

 診察室の扉を開けると、白衣の医師がカルテをめくりながら待っていた。


「はい、座ってくださいね。まずは朔弥くんから」


 朔弥は椅子に座るなり、恐る恐る医師の顔を見上げた。


「せ、先生……注射は……?」


 医師はカルテから顔を上げ、にこりと微笑んだ。


「ん、打ちましょうか?」


「いやいやいや、結構ですーー!!」


 朔弥の声が診察室に響き、美咲は思わず吹き出しそうになる。


「ふふ……朔弥くん、そんなに嫌なんだ……」


 そのとき、レオンが壁に張られたレントゲン写真を指差した。


「ふむ……興味深い。このスケルトンの絵は実に細かいな」


 美咲は一瞬固まり、次の瞬間、勢いよくツッコんだ。


「違うよ!! あれはレントゲン写真!! スケルトンは飾らないよ!!」


 レオンは真剣な顔のまま、こくりと頷く。


「……そうか。違うのか」


(ほんと、なんでちょっと残念そうなの……?)


 美咲は心の中でそっと突っ込んだ。

 医師は咳払いをして、カルテを閉じながら言った。


「検査の結果は問題なしですね。午後には退院しても大丈夫です」


「ご家族に迎えに来てもらってください」


「よっしゃ帰れる!!」


 優斗がガッツポーズ。


「やった……!」


 朔弥もほっと息を吐く。


 美咲は胸の奥がじんわり温かくなる。

 レオンも静かに頷いた。


(……本当に、よかった……)


 診察室を出ようとしたその瞬間、レオンがくるりと振り返り、医師に向き直った。


「この世界の治癒魔法はどこで学べる?」


 医師は一瞬きょとんとし、カルテを持つ手を止める。


「……え?」


 レオンは構わず続けた。


「魔力の流れを視る装置はあるか?」


 医師は困ったように眉を下げ、ゆっくりと首を振った。


「……ないです」


「レオンくん、やめて……!」


 美咲が慌てて袖を引っ張る。

 レオンは不満そうに眉を寄せた。


「……この世界は不便だな」


「いや、魔力がある世界基準で語らないで!!」


 美咲のツッコミが、張り詰めかけた空気を一気に明るく弾ませた。


 病院の玄関前。

 昼の光がガラス越しに差し込み、朝の緊張がようやくほどけていくような、柔らかい空気が漂っていた。


 そこへ──

 二台の車が滑り込むように停まる。

 ドアが開くと、優斗の両親、朔弥の両親、美咲の母が次々と降りてきた。

 朔弥の母が、肩にそっと触れる。


「……顔色、良くなったじゃない。ほんと、よかった」


「昨日より元気そうで安心したよ」


 父もほっとしたように息を吐く。

 優斗の母も笑顔で言った。


「優斗、ちゃんと歩けてるじゃない。よかったわ」


「心配したぞ」


 優斗の父も、どこか照れくさそうに頭をかく。

 朔弥は少し照れながらも、いつもの調子で笑った。


「……心配かけたね。でも、もう大丈夫だよ」


 優斗も胸を張る。


「俺も元気! ほら、見て!」


 と軽くジャンプしてみせる。


「やめなさいってば!」


 母に軽く尻を叩かれ、みんなが笑った。

 美咲はその光景を見て、胸の奥がじんわり温かくなる。


(……よかった。本当に、みんな無事で……)


 怒りも説教もない。

 ただ、帰ってきた子どもたちを迎える家族の安心だけがそこにあった。

 美咲の母が、レオンの前に立つ。


「レオンくん……改めて、本当にありがとうね。あなたがいてくれてよかった……」


 深々と頭を下げる母。

 レオンは一瞬固まり、ぎこちなく、しかし丁寧に頭を下げ返した。


「……俺は、美咲を守るのが役目だ」


 その言葉に、美咲の母は目を丸くした。


「えっ……あ、ありがとう……?」


(レオンくん……言い方……!)


 美咲は心の中で全力ツッコミ。

 優斗の父が車のドアを開けながら言った。


「よし、帰るぞ。お前ら、もう二度と勝手に行くなよ」


 その言葉に、朔弥・優斗・レオンの三人はほぼ同時に返事をした。


「……はい」

「……はい」

「……はい」


 一瞬の静寂。

 次の瞬間、周囲の大人たちが一斉に声を上げた。


「いや君は違う!!」


 レオンがきょとんとした顔で首を傾げる。


「……違うのか?」


 朔弥がすかさず突っ込んだ。


「レオン、お前は行った側じゃなくて探した側だろ!!」


 美咲も慌てて続く。


「そうだよ!! なんで一緒に反省してるの!?」


 そのやり取りに、両親たちも思わず笑ってしまった。

 高速道路に乗ってしばらくすると、優斗の父がハンドルを切りながら言った。


「よし、ちょっと休憩するか。みんな腹減ってるだろ?」


「減ってる!!」


 優斗が即答。


「……俺も」


 朔弥も控えめに手を挙げる。


 美咲は思わず笑った。


(ほんと、元気だなぁ……)


 車がサービスエリアに入ると、昼前の時間帯で人も多く、どこか旅の途中みたいな空気が漂っていた。


「アイス買う!!」


 優斗は車を降りるなり、一直線に売店へ走っていく。


「ちょっ……優斗くん!? 走らないで!」


 美咲が慌てて追いかける。

 朔弥はというと、ショーケースを覗き込みながら呟いた。


「……プリンがある……」


「買えば?」


 美咲が笑うと、朔弥はこくこく頷いた。

 その横で──

 レオンが棚に並んだ小瓶を手に取っていた。


 透明な瓶に、金色のラベル。

 栄養ドリンクと書かれている。

 レオンは真剣な顔で瓶を光にかざし、低く呟いた。


「……見てみろ。この世界にもマナポーションがあったぞ」


 その瞬間、三人が同時に反応した。

 美咲が慌てて手を伸ばす。


「それただの飲み物!! 魔法関係ないよ!!」


 優斗は半ば叫ぶように続いた。


「飲むなよ!? 絶対飲むなよ!?」


 朔弥も全力でツッコミを入れる。


「それ飲んだら元気にはなるけど……魔力は回復しねぇよ! てか飲むなよ!?」


 三方向からのツッコミを受け、レオンは少しだけ不満そうに眉を寄せた。


「……そうか。違うのか」


(なんでちょっと残念そうなの……?)


 美咲は心の中でそっと突っ込んだ。

 優斗はアイスを片手に満面の笑み。

 朔弥はプリンを大事そうに抱えている。


「……プリン……これだけは譲れねぇ……」


「そんな真剣な顔で言うこと?」


「命の次に大事なんだよ!!」


 美咲はお茶を買って、ほっと一息。

 レオンは──

 結局、栄養ドリンクを棚に戻し、代わりに水を買っていた。


「……水は裏切らない」


「いや、名言みたいに言うな!!」


 朔弥のツッコミに、優斗と美咲が吹き出した。

 車がゆっくりと住宅街に入り、見慣れた家々が窓の外を流れていく。


 病院の白い空気とは違う、どこか生活の匂いが戻ってくる感じがして、美咲は胸の奥がじんわり温かくなった。


「……あ、着いた」


 優斗の父が車を停めると、朔弥の家の前には、昨日までと変わらない静かな庭が広がっていた。


 けれど──

 その静けさが、今日は少しだけ特別に見えた。

 車から降りると、朔弥が深く息を吸い込んだ。


「……はぁ……帰ってきた……」


 その声には、安堵と、少しの疲れと、そして生きて帰れたという実感が混ざっていた。

 優斗も隣で伸びをしながら言う。


「俺さ……マジで死ぬかと思ったんだよな」


「……俺も」


 朔弥が苦笑いする。

 美咲は二人の顔を見て、胸の奥がきゅっとなる。


「……もう、無茶しないでね。本当に……心臓に悪いから……」


 その声は怒りでも呆れでもなく、ただただ心配した気持ちがそのまま溶けたような声だった。

 朔弥は照れたように視線をそらし、優斗は頭をかきながら笑った。


「……ごめん」


「……悪かったって」


 美咲はふっと笑う。


「謝るなら、ちゃんと元気でいてね」


 そのやり取りを、レオンは少し離れた場所で静かに見ていた。

 風に揺れる木々の音。遠くで聞こえる子どもの声。

 どこにでもある日常の音。

 レオンはその音を確かめるように目を閉じ、ゆっくりと頷いた。


「……無茶は、しない方がいい」


 その声は低くて、けれどどこか優しかった。

 美咲はレオンの横顔を見て、胸の奥がまた温かくなる。


(……レオンくんも、心配してたんだ……)


 言葉にはしないけれど、その沈黙が全部を物語っていた。


「とりあえず……家に入ろうぜ」


 朔弥が玄関の扉を開ける。


「おう、じゃあまたな。あー腹減ったー!」


 優斗が元気に叫ぶ。


「……ほんと、優斗くんは元気だね。また明日―」


 美咲が笑う。


 レオンは靴を脱ぎながら、真剣な顔で言った。


「……食事は大事だ」


「名言みたいに言うな!!」


 朔弥のツッコミが、家の中に明るい笑いを広げた。

 病院とはまったく違う生活の匂いが家の中に満ちていた。

 味噌汁の残り香、木の床の温もり──

 どれも、朔弥にとっては帰ってきた実感そのものだった。


「……ふぅ……帰ってきたなぁ」


 靴を脱ぎながら、朔弥が心底ほっとした声を漏らす。


「ほんとよ。もう……心配したんだからね」


 母が言う声は、怒っているようで怒っていない。

 むしろ、息子が目の前にいる安心が滲んでいた。

 父も腕を組みながら、わざとらしく咳払いをする。


「まぁ……無事ならいい。だが、もう二度と勝手な真似はするなよ」


「……わかってるって。俺だって、もうあんな目に遭いたくないし」


 朔弥は素直に頭を下げつつ、いつもの軽さも忘れない。

 その横で、レオンが少しだけ居心地悪そうに立っていた。


「……俺も、心配をかけた」


 父と母は驚いたように目を丸くしたが、すぐに柔らかく微笑んだ。


「レオンもありがとうね。朔弥を……守ってくれて」


 レオンは一瞬だけ目を伏せ、ぎこちなく頭を下げた。


「……当然だ。俺は……仲間を守る」


 その言葉に、母は胸に手を当てて小さく息を呑む。


(レオン……ほんとに真っ直ぐな子……)


 朔弥は照れくさそうに笑った。

 両親が夕飯の準備に向かい、家の中が少し落ち着いた頃。

 レオンはふと、リビングから庭へと歩き出した。

 夕焼けの光が芝生を赤く染め、風が木々を揺らしている。


 どこにでもある、平和な夕方の景色。

 ……なのに。

 レオンの表情が、ほんのわずかに硬くなる。


「……」


 その気配に気づいた朔弥が、後ろから声をかけた。


「レオン? どうしたんだよ」


 レオンは空を見上げたまま、しばらく黙っていた。

 夕焼けの赤が、彼の瞳にゆっくりと映り込む。


「……いや。気のせいだ」


 ゆっくりと首を振る。

 その声は静かで、けれどどこか、ほんの少しだけ重かった。

 朔弥は隣に立ち、同じ空を見上げる。


「……そっか」


(レオンが気のせいって言う時って、大体気のせいじゃないんだよな……)


 心の中でぼそっと呟きながらも、深くは聞かない。

 風が吹き、二人の影が庭に長く伸びる。


 その影の先に、まだ誰も知らない何かが潜んでいることを──

 この時の二人は、まだ知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ