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第8話:二つの鼓動

 金属製のフェンスと、コンクリートの壁が視界に入る。

 自衛隊駐屯地のゲートだ。

 監視所の中で誰かがこちらに気づき、慌ただしく動き出す影が見えた。


「……ダンジョン側から人影!? 全員、警戒態勢!」


 拡声器越しの鋭い声が響き、複数の自衛官が一斉にこちらへ走ってくる。

 その足音が地面を叩くたび、美咲の胸がきゅっと縮んだ。


(……怒られる……? 捕まる……? でも……二人を助けてもらわなきゃ……!)


 レオンは朔弥と優斗を抱えたまま、自衛官たちの前で足を止めた。

 最初に駆け寄ってきた隊員が、腰のホルスターに手を添えたまま鋭く叫ぶ。


「お前たち、そこで止まれ! 何者だ、どこから来た!」


 美咲は思わず身をすくめた。


「わ、私たち……その……!」


 レオンが短く答える。


「ダンジョンの中からだ。この二人が倒れていた」


 隊員の表情が一瞬だけ強張る。


「……ダンジョン内部から? 本当か?」


 別の隊員がレオンの腕に抱えられた朔弥と優斗を見て、息を呑んだ。


「おい……血が……! この二人、負傷してるぞ!」


 最初の隊員が即座に叫ぶ。


「負傷者だ! 担架を持ってこい!」


「了解!」


 担架が運ばれ、朔弥と優斗は慎重に移されていく。

 美咲は胸を押さえながら、その様子を必死に目で追った。


「……お願い……助けて……」


 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 担架が運び去られた直後、最初の隊員がレオンと美咲へ向き直る。

 さっきまでの救護の色が消え、その目に警戒が戻る。


「……負傷者は医務室へ搬送する。だが、お前たちは別だ。封鎖区域内からの出現は重大事案だ。動くな」


 レオンは静かに頷いた。


「従う」


 美咲は震える声で呟く。


「……レオンくん……」


「大丈夫だ。落ち着け」


 左右から別の隊員が近づき、レオンと美咲の手首に結束バンドがかけられる。


 カチッ──


 その音が、美咲の胸に冷たい現実を突きつけた。


(……これからどうなるの……)


 隊員は無線に向かって報告する。


「負傷者二名、医務室へ搬送。無断侵入者二名を拘束、司令部へ連行する」


『了解。司令官が待機中だ』


 二人は左右を固められ、完全に拘束された状態で駐屯地内へと連行されていった。

 足元の砂利が、踏むたびにザリッと音を立てる。

 その音が、妙に大きく響いた。

 美咲の手首には結束バンドが食い込み、じんじんとした痛みが広がっている。


(……痛い……でも……これくらい……どうってことない……あの影に比べたら……)


 そう思おうとしても、胸の奥の震えはなかなか止まらなかった。

 レオンは前を向いたまま、美咲の方へ小さく声を落とす。


「歩けるか」


「……うん……大丈夫……」


 本当は足が震えていた。

 でも、レオンくんの声があるだけで、その震えが少しだけ和らぐ。


 建物の中へ入ると、外の冷たい空気とは違う、乾いた室内の匂いが鼻をくすぐった。

 廊下の蛍光灯が白く光り、その下を、二人は無言で歩かされる。

 すれ違う隊員たちが、ちらりとこちらを見るたびに、美咲の呼吸が浅くなる。


(……私たち……本当に無断侵入者なんだ……)


 胸が締めつけられる。

 重厚な扉の前で、先頭の隊員が立ち止まった。


「司令官。無断侵入者二名、連行しました」


 中から低い声が返る。


「入れ」


 隊員が扉を開けると、中は薄暗い会議室だった。

 中央の机の向こうに、駐屯地司令官が座っている。


 鋭い目つき。

 無駄のない姿勢。

 その場の空気が一段と重くなる。


「中へ」


 促され、二人は部屋に入った。

 司令官は二人を一瞥し、隊員に短く命じた。


「拘束具を外せ」


「了解」


 隊員が近づき、レオンと美咲の手首にかけられた結束バンドを切る。


 パチン──


 自由になった手首に、赤い跡がくっきり残っていた。

 美咲は思わず手首を押さえる。

 隊員は後ろへ下がり、扉の前で直立していた。

 目の前にいる司令官は書類から目を上げ、冷静で、しかし鋭い視線を向けた。


「……君たち。封鎖区域に無断で侵入したと聞いているが、本当か?」


 美咲の喉がひりつく。

 レオンは静かに答えた。


「……はい」


「まず状況を説明してもらう。なぜダンジョン内部にいた」


 司令官の鋭い視線を受けながら、レオンは静かに口を開いた。


「俺たちは、さっき運ばれた二人を救うためにダンジョンへ入った」


 声は落ち着いていて、十五歳とは思えない重みがあった。


「内部では異常が発生していた。影の挙動が通常と違う。反応速度、攻撃性、光への耐性……すべてが変質していた」


 司令官の表情がわずかに強張る。

 レオンは続けた。


「その異常の中で、二人を発見した。生命反応は弱かったが……まだ助かると判断した。だから連れ帰った。それだけだ」


 言葉は簡潔で、余計な感情を一切挟まない。

 司令官は書類を置き、レオンをじっと見つめる。


「……君は、何者だ?」


 レオンは視線を逸らさず返答する。


「必要なことだけ話す。今は……影の異常の方が重要だ」


 司令官の表情がわずかに揺れた。


「……影の異常、か。だが、それを判断できる根拠はどこにある?」


 レオンは静かに答える。


「経験だ。あれはいつもの影ではなかった」


 司令官は眉を寄せる。


「経験、だと……? もう一度聞こう。君は何者だ」


「何者とかはどうでもいい事だ。それより、影の異常の方を優先してくれ」


「その判断をする為に、確認する必要がある」


 二人の話は平行線のまま進まない。

 そんな中、司令官の視線は学生の戯言を見るような色を帯び始めていた。

 美咲の胸がざわつく。


(……どうしよう……このままじゃ、影の異常を誰も信じてくれない……風間さんなら……!)


 司令官の視線がレオンに向いている隙を見計らい、美咲はそっと手を動かした。

 指先がスマホに触れた瞬間、心臓が跳ねる。


(……怒られるかもしれない……でも……やらなきゃ……!)


 美咲はスマホを膝の影に隠し、画面を開く。

 震える指で風間防衛大臣の名前をタップした。


 発信中──


 小さなバイブレーションが、手のひらに伝わった。


(……お願い……出て……!)


 司令官は美咲の行動に気づかず、まだレオンを問い詰めている。

 そのとき。

 スマホのスピーカーから、低く落ち着いた声が響いた。


『……美咲君か?』


 美咲は震える声で名前を呼んだ。


「……風間さん……!」


 司令官が驚いたようにこちらを見た。


「お前、何をしている!」


 美咲はスマホを胸に抱え、司令官の目を見てはっきりと言った。


「この通話の相手は……風間防衛大臣です」


 司令官の顔色が変わった。


「……は? 何を言ってる?」


 美咲はスマホを差し出す。


「……お話があります。レオンくんのこと……影の異常のこと……全部、聞いてください……!」


 司令官は半信半疑のままスマホを受け取り、耳に当てた。


「こちら駐屯地司令……か、風間大臣!? し、失礼いたしました! はい、はい……えっ、今すぐですか? はっ、了解しました。通信室にお連れ致します」


 部屋の空気が一変した。

 レオンは静かに立っているだけだが、美咲には分かった。


(……これで……話が通る……!)


 通信室に通された二人は、大型モニターの前に座っていた。

 モニターが点灯し、数秒のノイズの後──

 風間防衛大臣の姿が映し出された。


 背後には官邸の執務室らしき背景。

 深夜にもかかわらず、彼の目は鋭く、疲れを見せない。


『……美咲君、レオン君。無事でよかった。そこにいた理由は、また後で聞かせてくれ』


 美咲は思わず涙が滲んだ。


「風間さん……!」


 レオンは一歩前に出て、静かに頭を下げた。


「風間、感謝する。まずはダンジョンの状況を説明する」


 風間は頷き、画面越しに二人を見つめる。


『聞かせてくれ。影の異常──そして、君たちが見たものを』


 レオンは簡潔に語り始めた。


 影の動きが通常ではありえない形に変質していたこと。

 反応速度が異常に高かったこと。

 光への耐性が変わっていたこと。

 意志のようなものを感じたこと。


 そして──

 朔弥と優斗が重傷を負ったため撤退したこと。


 風間は途中で一度も口を挟まなかった。

 ただ、真剣に聞いていた。

 レオンの話が終わると、風間は深く息を吐き、画面越しに言った。


『……分かった。君たちの判断は正しい。そして──影の異常は、国家レベルの問題だ』


 司令官が息を呑む。

 風間は続けた。


『二人の容態が安定したら、私も病院へ向かおう。直接、君たちには礼を言わなければならないな』


 美咲の胸に温かいものが広がる。

 レオンは静かに頷いた。

 通信が終わり、部屋には静寂が戻った。

 美咲は胸に手を当て、小さく息を吐いた。


(……終わった……ちゃんと……伝わった……)


 レオンは無言のまま、モニターの黒い画面をしばらく見つめていた。

 その横顔は、戦いの後の静けさをまとっていた。


 司令官は深く息を吐き、二人へ向き直る。


「……大臣の指示だ。状況は正式に扱う。ただし、まだ確認すべき点は多い」


 一拍置いて、声の調子がわずかに和らぐ。


「その上で──負傷者の容態を見に行くことは許可する」


 美咲は慌てて首を振る。


「い、いえ……! 私たちこそ……勝手に入って……」


 レオンは静かに言った。


「状況が状況だ。あなたの判断は正しい」


 司令官はわずかに目を見開き、その後、短く頷いた。


(……レオンくん……こういう時の言葉が……本当に大人みたい……)


 美咲の胸の奥がじんと温かくなる。

 司令官は二人に向かって言った。


「負傷者二名は医務室で治療中だ。容態はまだ安定していないが……医師が全力で対応している」


 美咲は胸が縮むような感覚に襲われた。


「……会いに行っても……いいですか……?」


 司令官は頷いた。


「もちろんだ。ただし、医師の指示には従ってくれ」


 レオンが美咲の方を向く。


「行こう。二人に……声をかけてやらないと」


 美咲は小さく頷いた。


「……うん……」


 司令官が扉を開け、二人を廊下へと送り出す。


「医務室はこの先だ。案内をつける」


 隊員が一人、前に立ち、無言で歩き出した。

 レオンと美咲はその後に続く。

 歩きながら、美咲は小さく呟いた。


「……レオンくん……さっきの……すごかった……」


 レオンは少しだけ首を傾ける。


「何がだ?」


「司令官さんに話してる時……なんか……すごく……堂々としてて……勇者って……こういう感じなんだって……思った」


 レオンは少しだけ目を伏せ、照れたように息を吐いた。


「……勇者だからじゃない。あの二人を助けたかっただけだ」


 美咲の胸に、静かに温かさが広がる。

 レオンは続けた。


「美咲。お前が風間に連絡したのは……正しい判断だ。あれがなければ、話は進まなかった」


 美咲は顔を赤くしながら、小さく笑った。


「……うん……ありがとう……」


 二人の間に、静かで温かい空気が流れた。

 廊下の角を曲がったその先に──

 医務室の扉が見えてきた。


 白衣の医師はカルテをめくりながら、眉をひそめて二人へ向き直った。


「……正直に申し上げますと、この状態は少し説明がつかないんです」


 美咲の胸がきゅっと縮む。

 医師は続けた。


「外傷は……ほとんど治っている。縫合が必要な傷も、深い裂傷も見当たらない。出血量からすれば、もっと重い損傷が残っていてもおかしくないのですが……」


 医師は困惑したように首を振る。


「……まるで傷だけが先に治ったような状態でして。医学的には、こういう治り方はありえません」


 美咲の指先が震えた。


(……私の……魔法……でも……説明できないよね……)


 医師は続ける。


「ただ、出血による体力の消耗は大きかったようです。その影響で、しばらく意識が戻らない可能性があります。ですが──命に別状はありません」


 美咲の胸に、じんわりと温かさが広がった。


「……よかった……本当に……よかった……」


 レオンは静かに頷き、ほんのわずかに肩の力を抜いた。


「二人のそばにいてもいいですか?」


 美咲が尋ねると、医師は柔らかく頷いた。


「ええ。ただし、刺激は与えないようにお願いします」


 医師が席を外すと、美咲は朔弥の枕元へそっと歩み寄った。


「……朔弥くん……聞こえる……? 私たち……外に出られたよ……だから……もう大丈夫だよ……」


 返事はない。

 でも、美咲はその手をそっと握った。


 まだ体温が戻りきっていない、弱い温もり。

 それでも──

 確かに生きていると分かる温度だった。

 レオンは優斗のベッドの横に立ち、静かに目を閉じた。


(……守れた……だが……これは終わりじゃない)


 美咲はレオンの方を見た。


「レオンくん……どう思うの……?」


 レオンはゆっくりと目を開け、美咲へ向き直る。


「美咲。影の異常……あれは偶然じゃない。何かが起きている」


 美咲は唇を噛む。


「……うん……私も……そう思う……あの声……まだ耳に残ってる……」


 レオンの表情がわずかに曇る。


「聞こえたのか。外に出た後も」


 美咲は小さく頷いた。


「……うん……でも……もう聞こえないよ。ここは……安全だから……」


 レオンは少し考え、静かに言った。


「……それならいい。今は……二人のそばにいよう」


 美咲は朔弥の手を握り直した。


「……二人が目を覚ますまで……ここにいてもいいよね……?」


 レオンは穏やかに頷いた。


「もちろんだ。今日は……休もう。俺たちも、限界だ」


 美咲は小さく笑った。


「……うん……」


 医務室の照明が少し落とされ、機械の電子音だけが静かに響く。

 その音に包まれながら、二人はしばらく黙って仲間のそばに立ち続けた。

 外では、夜が深まっていく。


 そして──

 この夜の静けさが、嵐の前のものだと知るのは、もう少し先のことだった。

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