第5話:開眼の光
中に入った瞬間、空気が変わった。
冷たさではない。
重さ。
胸の奥に鉛を流し込まれたような圧迫感が広がり、影の瘴気が渦を巻いて視界を揺らす。
レオンは聖剣を構え、美咲の前に立つ。
「美咲、気を抜くな。ここからは──」
言い終える前に、低い唸り声が響いた。
闇の奥から影の魔物が姿を現す。
赤い眼がこちらを射抜き、牙を剥く。
レオンは一歩踏み込み、聖剣を振るう。
斬撃が闇を裂き、魔物が霧散する。
その瞬間、影が揺れ、瘴気が薄く流れた。
その隙間から──
朔弥と優斗の姿が、はっきりと見えた。
「……え……?」
美咲の足が勝手に動いた。
レオンの声も、魔物の唸りも、全部遠くなる。
「朔弥くん……!」
レオンが手を伸ばすが、美咲はもう前へ走り出ていた。
闇の中を、ただ二人のもとへ。
朔弥の胸には深い裂傷。
優斗の脇腹は抉れ、腕は不自然な角度で折れている。
床に広がる血は乾き始め、鉄の匂いが喉を刺した。
美咲の呼吸が乱れる。
膝が崩れ、地面に手をついた。
「……そんな……嘘……朔弥くん……優斗くん……」
震える指先が朔弥の頬に触れる。
冷たい。
血の気が引いている。
その冷たさが、美咲の胸を締めつけた。
「……起きて……お願い……」
声が震え、涙が頬を伝う。
美咲の肩が小さく揺れた。
背後で、レオンが魔物を斬り払いながら叫ぶ。
「美咲! 離れすぎるな、戻れ!」
けれど美咲は振り返らない。
優斗の方へ目を向けると、こちらも同じく瀕死。
呼吸は浅く、今にも止まりそうだった。
胸の奥が裂けるように痛む。
(どっちか一人だけなんて……そんなの……! 二人とも……絶対に助けたい……!)
美咲は震える手で杖を握りしめる。
《上位治癒》は単体対象。
一人に集中すれば、もう一人が死ぬ。
二人同時は不可能。
しかも──
出血量が多すぎて、治癒しても追いつかない。
美咲の呼吸が乱れ、視界が揺れる。
「お願い……お願いだから……二人とも……死なないで……!」
涙が頬を伝い、血に落ちて混ざった。
背後でレオンが叫んでいる。
「美咲! 下がれ! 魔物が──!」
しかし、美咲には届かない。
音が遠い。
世界がぼやける。
目の前の二人しか見えない。
(助けたい……助けたい……どうして……どうして……! 私……何もできない……?)
その瞬間だった。
祈りが光へ、光が奇跡へ。
胸の奥で、何かが弾けた。
──光。
それは魔力ではない。
もっと深い、もっと根源的なもの。
祈り。
願い。
命を求める叫び。
そのすべてが、美咲の胸の奥でひとつに溶け合い、圧倒的な光となって溢れ出した。
美咲の身体を包む光は、ただの魔力ではなかった。
祝福。
赦し。
命を抱きしめるような、母胎の温もり。
レオンが振り返り、目を見開く。
「……美咲……?」
しかし美咲は聞こえていない。
世界の音が遠のき、ただ二人の命の鼓動だけが胸に響いていた。
美咲は朔弥と優斗の手を握りしめ、涙を流しながら祈る。
「助けたい……! 二人とも……絶対に……助けたい……!!」
その願いが、光となって爆ぜると、胸の奥に何かが刻まれる。
熱でも痛みでもない。
もっと深い、魂に触れるような感覚。
――【称号:聖女】
光が広がり、美咲の周囲に聖なる風が吹きあがる。
髪がふわりと舞い、ローブが光を帯び、瞳の奥に金色の輝きが宿る。
その姿は──
まるで神の使いのようだった。
「《範囲治癒》」
呪文を唱えると、美咲を中心に魔方陣が展開された。
陣の中では光が広がり、朔弥と優斗の身体を包み込んでいく。
光は優しく、しかし強く、二人の命を抱きしめるように脈動している。
裂傷が塞がる。
出血が止まる。
骨が元の位置に戻る。
皮膚が再生する。
血の匂いが薄れ、温かい春風のような香りが広間を満たす。
レオンはその光景に息を呑んだ。
「……これが……美咲の力……」
流れた血の量が多すぎた為、二人はまだ目を覚まさない。
意識が戻るにはもう少し時間が必要のようだ。
しかし、命をつなぎとめる事は出来た。
美咲は涙を拭い、震える声で呟く。
「……よかった……ほんとに……よかった……」
だが──
まだ、戦いは終わっていない。
奥の闇が蠢き、影の魔物が再び集まり始める。
レオンが聖剣を構え直す。
「美咲、まだ来るぞ!」
美咲はゆっくりと立ち上がった。
涙の跡が残る頬に、金色の光が宿っている。
その姿は戦場に立つ聖女そのものだった。
美咲は杖を胸元に掲げ、静かに、しかし確かな声で詠唱を始める。
その声は震えていない。
迷いもない。
ただ、仲間を守りたいという純粋な願いだけが宿っていた。
「その輝きは仲間を包み、力を満たし、心を守る盾となる。――」
詠唱と同時に、美咲の足元に光の粒が集まり始める。
床に淡い金色の紋様が浮かび、それは天から降りた祝福の印のようだった。
「闇を退け、希望を灯し、ここを聖なる領域へと変えよ――」
光の紋様が一気に広がり、広間全体を包み込む。
影の瘴気が押し返され、魔物たちが怯えたように後退する。
そして──
「《光祝福陣》!」
光が爆ぜた。
広間全体が聖域へと変わり始める。
レオンの身体能力が跳ね上がり、美咲の魔力回復速度が急上昇する。
闇属性攻撃が大幅に軽減し、精神が澄み渡り、恐怖が消えた。
辺りの空気が温かく、柔らかく、優しくなっていく。
レオンはその光に包まれながら、驚きと感嘆の入り混じった声で言う。
「……美咲……お前……本当に……」
美咲は涙を拭い、しかし強い瞳でレオンを見つめた。
「レオンくん……守るよ。朔弥くんも、優斗くんも……そして、レオンくんも……!」
レオンは聖剣を構え、美咲の光を背に受けながら笑う。
「任せろ。ここから──反撃だ。」
影の魔物たちが一斉に吠え、光の聖域へと襲いかかる。




